15章 沈黙の包囲網 (3) 接吻の代償
「以上、報告を終わります」
「栗山くんがねえ……」
「次局長、お言葉ですが彼は公人では——」
「もう不可能だな——」
神代は言葉を遮った。
メイリンの言葉に急ブレーキがかかる。
神代はデスクから来客用のソファに移動し、腰を下ろした。
「君も」
「はい」
メイリンも対面のソファに腰掛けた。
二人は目で意思疎通を図る。
互いの信頼関係、そして目的の共有を確かめ合うような数秒間。
「答えは二つだ」
神代から話は始まる。
メイリンは神代を見つめながら頷いた。
「一つは、我々の計画を推し進めること」
「もう一つは、彼の行き先だけ監視をすること」
神代はそう言うと、親指と人差し指を立てた。
メイリンは首を傾げる。
「なにを計画しているかを見極めなければ、こちらの動きもめくれる可能性があるのではないでしょうか」
「その疑念に君は、振り回されたのだろう」
「……仰る通りです」
メイリンはうつむく。
「こういうのは、優秀な人間ほど罠にかかりやすい」
神代は少し微笑みながらメイリンに言った。
「君は空城之計って知っているかい?」
「いえ、存じ上げません」
「簡単に言えば、手の内を隠すのではなく、あえて見せて相手に疑わせる戦術」
「それは、栗山監察官だと……」
「そういうことだ」
「彼が、なぜあれほどの知識を持って目覚めたのかは分からない」
「しかし、彼の最も恐ろしいことは……」
メイリンの呼吸が一拍止まる。
「相手に選ばせたいカードを引かせられる」
「その程度の心理トリックであれば、わかると思います」
メイリンは言ったが、
「娯楽レベルのエンタメならね」
神代に返された。
「娯楽……ですか」
「彼が張り巡らせた地雷の数は、私でも見当もつかないよ」
「それが解任できない理由ですか?」
神代はため息をつく。
「エルサルバドルのサンサルバドル還生局、ベネズエラのカラカス継承院……南米だけではない。東欧、西アフリカ、東南アジア——彼を慕う施設は世界中に点在している」
「まさか……」
メイリンは首を傾げ、信じられないといった表情を浮かべた。
神代はうんざりしたように、列挙する。
「これで、ほんの一部だよ」
「どういうことですか」
「栗山くんを慕う各施設だよ」
「それでは?」
メイリンは身を乗り出し神代に聞く。
「いや、そこから児童の名が上がることはない」
「上がることはない……ないが……」
「——栗山くんは、世界中に借りを残してきた」
「一個人がだ。傑作だよ」
神代は大きな声で笑った。
それからしばらく沈黙が続いたが、神代は話題を変えた。
「君は要人というものを、どう思う」
「文明を導く方々です」
「ふふ……そう教えられる」
神代は鼻で笑う。
「実際は、自分だけは助かりたい臆病者だ」
メイリンの指先に力が入る。
「昨日まで倫理を説いていた男が、余命宣告一枚で児童の身体を欲しがる」
「人権を叫んでいた女が、夜叉孫ほどの肉体を望む」
「そんな奴らを何百人と見てきた」
神代のトーンが熱を帯びる。
「だから利用し、彼らの欲望の対価を、日本の未来へ変える」
「……」
「だが栗山くんは違う」
神代は、わずかに目を細めた。
「彼は、泥のない蓮を信じている」
メイリンは無意識に唇を噛んだ。
「……蓮、なるほど」
「そうだ」
神代は窓の外へ視線を向ける。
「花だけを見ている者には、根が沈む泥は見えない」
「栗山くんは、その泥を否定する」
「私は、その泥がなければ花は咲かないと知っている」
神代は小さく息を吐いた。
「だから、最も扱いにくい」
「次局長……」
メイリンは、少しだけ声を落とした。
「あなたは、栗山監察官を軽んじているようですが、本当は、かなり高く見ていらっしゃる」
返事の代わりに視線だけが動いた。
「違いますか」
「高く見ているさ」
神代は眉間を押さえた。
「ただし、子どもとしてね」
「子ども……」
「正義は金を生まず、善意は契約書に判を押さない」
メイリンは言葉を選ぶように、ゆっくり口を開いた。
「それが、海外要人への特例ですか」
神代は頷く。
「彼らは表では、日本の中枢化を批判する」
「人権だ、倫理だ、神への冒涜だとね」
神代は手を広げ、肩を竦める。
「だが余命宣告を受けた翌日には、私のところへ通信が入り、口を揃えてこう言う」
「——『頽廃の御子』を紹介してくれ、と」
「……頽廃の御子?」
メイリンはその名を反芻した。
「それは世界共通の呼び名ですか」
「なゆたの名を知る者のほうが一部だよ」
神代は笑って答えた。
「禁呪を望む者にとって、神の名など必要ない」
「奇跡だけ分かれば十分だ」
「……だから、利用されたのですね」
メイリンは神代を見る。
「俗物たちの欲望に」
「そんな他責的ではない」
神代は短く否定した。
「利用したんだ」
「俗物は欲を撒く」
「私は刈り取る」
メイリンの胸の奥が、わずかに震えた。
その言葉に、逃げがなかった。
「では……栗山監察官が会おうとしている相手は、母親。そこになにか問題が生じるのでしょうか」
メイリンは慎重に言葉を置いた。
「ただの母親ではない」
短い答えだった。
「彼女は、植物状態だった息子を――目覚めさせた」
「君なら、この意味は分かるね」
「……成長期の脳移植」
「医学は、不可能と結論づけています」
「だが、彼女は成功させた」
神代はメイリンを見る。
「その彼女の肉親は栗山監察官だけ」
「まさにカナの奇跡の子だ!」
その言葉は、凶気に感じるほど神代を興奮させる意味を含んでいた。
神代の口角が緩む。
「そんな彼を御子に会わせれば、何が起こるかわからん」
「しかし肉親というものは、更に厄介なんだ……」
神代は、しばらく薄笑いを浮かべ、天井を見上げた。
そして、いつもの次局長の顔に戻る。
「既に資金は、ほぼ目標を達成している」
「あとは、第三中枢化機関を発表するだけ」
そこで、神代は拳を握る。
メイリンは静かに神代を見つめた。
「富める者が、自分を救うために払う金で」
「救われなかった者を救う」
「皮肉ですね」
神代は肩をすくめる。
「俗物にも、社会貢献くらいはしてもらわないとな」
「理想ではない」
「だが、私に残された現実だ」
「ですが……」
メイリンは神代を見据える。
「栗山監察官なら、その餌ごと燃やします」
神代は苦笑した。
「餌!? 違うな。栗山くんなら食す人間を淘汰する」
「——だから、思想が違うのですね」
「どちらが正しいかではない」
「どちらを選べば、文明が残るかだ」




