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天国白書  作者: 凛1129
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15章 沈黙の包囲網 (2) 妙手の檻 鬼手の鍵

挿絵(By みてみん)

「あなたの危惧されていた通りかもしれません」

 メイリンはそう言い、録音データを取り出した。


 神代はそのデータを早送りしたり、通常再生したりして、確認をした。


「なるほど」

「確信が持てたのは三つの疑念からです」

 

「恋仲、もしくは想いを寄せる栗山氏に口吻された際、ライラ氏に怒りはなかった」

「右頬への打撃に対し、事前の防御反応が確認できませんでした」

「そして栗山氏は、こちらの疑念に終始気づいていた」


 メイリンは報告を簡潔に述べた。

「……気づいていた?」

 神代は湯呑に手を伸ばし両手で持って言った。


「疑念の始まりは、ライラ氏の反時計回りです。前回にはありませんでした」


 神代がもう一度録音データを巻き戻す。

「このテーブルは時計回りに回すんですよ」

 白嶺の音声が流れる。


「こちらの疑念に気づいています」

 神代は湯呑を静かに机へ置いた。

 陶器の底が、乾いた音を立てる。


「つまり栗山くんは、自分の右目を悟られたと判断した」

「はい」

「だから盤面を崩した」


 メイリンは小さく頷く。


「確認される前に口吻する」

「殴られることも計算に入れていたのでしょうか」


 神代は指を組んだ。

 しばらく録音データの波形を眺める。


「いや」


 短く否定した。


「殴られることまでは読んでいない」

「……」

「読んでいたのは、君が右目を確認しようとしていたことだけです」


 神代はそこで再生を止めた。

 室内から、白嶺の声が消える。


「しかし、結果として」

 神代はメイリンを見る。

「君の左手は、彼の右側から飛んだ」

「はい」

「そして防御反応はなかった」


 メイリンは目を伏せる。


「あの距離なら、普通は硬直します。肩が上がる。首が逃げる。瞬きが入る。少なくとも、何かしらの反応が出ます」

「だが出なかった」


 神代は湯呑を両手で包み直した。

「右目が見えていない」

 

 メイリンは静かに頷いた。

 神代の口元が、ほんのわずかに緩んだ。

 それは笑みというより、感心に近かった。


「いや、見事だ」

 

「……見事、ですか」

「右目を直接確認しようとした君の一手を、栗山くんは口吻で潰した」

 神代は淡々と言う。

「だが、その潰し方が、別の証拠を生んだ」

「……」

「盤面を壊したつもりが、盤面を変えただけ——」

 メイリンは小さく息を吐いた。

「問題は、その先……」

 神代は天井を見上げる。

「先……ですか」

 

「なぜ隠す」

 神代は窓の外へ視線を移した。


「右目を失っただけなら、局へ申告すれば済む話」

「……」

「栗山くんは、失明そのものではなく」


 神代は静かに言った。

「失明した理由を隠している」


「そして確証はないが、ここ数日の栗山くんの少年性」

「あれは全部フェイク」

「まさか。AIにも行動心理は確認させました」


「いやぁ……」


 神代は視線を落とした。

 口元が緩む。

 抑えようとして、右手で口を覆った。


「まさか、あの時からダミーを撒き散らしていたとはねぇ」


 声には、苛立ちよりも感嘆が混じっていた。


「栗山くん」

 神代は小さく息を吐く。


「やはり、君は危険だ」


——————————


 午後八時十五分。

 二人はモニカの家にいた。


 既にゆりかごの筐体はヴィクターの手で回収され、代わりに白嶺が使う簡易媒体が机の上に置かれている。

「他にもできることは何かありますか」


 モニカは両手を強く握り締めたまま聞いた。

「私にできることなら、何でもします」


「いえ……」

 白嶺は何百通りものシミュレーションを横目で流しながら首を振る。


「次局長は私を見ています」

「だから、モニカさんは今まで通りが一番です」


「でも……」

 モニカの声が震えた。

「私が反時計回りに回したから……」


「遅かれ早かれです」

 白嶺は穏やかに答える。

「次局長なら、いずれ辿り着きました」

「むしろ、こちらも相手の考え方が分かりました」


 モニカは俯いたまま動かない。

 白嶺は視線を映像へ戻した。


「私は彼女に会いに行きます」

「それだけは変わりません」


 左側の空中ディスプレイでは、無数のシミュレーションが高速で切り替わっている。


「でも……」


「モニカさんは、いつも通りでいいですよ」

 白嶺は微笑んだ。

 その笑顔が、かえって胸を締めつける。

 自分の失敗を責めず。


 これから命懸けで動こうとしている。

 それでも、最初に気遣うのは自分だった。


 モニカは目を閉じ、小さく息を吐く。

 涙だけは見せたくなかった。


「ほら」

 白嶺が急に言った。

「半人前の少年が女性の家に転がり込む生活……」

 少し考える。

「あれ、何と言うんでしたっけ」

「……」

  

「そう。紐生活!」


「紐!?」

 思わず顔を上げる。

 

「今、紐生活させてもらっています」

 白嶺は照れくさそうに笑った。


「充分ですよ……ありがとうございます」


 その笑顔を見た瞬間だった。

 張り詰めていた糸が切れる。


 モニカは勢いよく白嶺へ抱きついた。


「わっ」


 二人の身体がそのまま床へ倒れ込む。

 気付けば、モニカは白嶺の上にいた。


 互いの呼吸だけが、静かな部屋に響く。

 白嶺は数秒まばたきを繰り返した。


「あの……」

 言葉を探す。


「昼間、私が言った……あれ」

 少しだけ視線を逸らす。

「女性が上に乗るやつ……」

 耳まで赤くなっていた。

「あれ、やります?」


 モニカは答えなかった。

 ただ優しく白嶺を見つめる。


 そして静かに、その唇へ口づけた。


——————————


 翌日、モニカのBANREI ミネルヴァがモニカの頭上にフワフワと浮かんでいた。

 

『ライラ、起きてください』

 ミネルヴァは優しい音楽を流しながら、そう言ってモニカを起こした。

「おはよう……」

 モニカは辺りを見渡す。

「先生は!?」

『栗山様から伝言を預かっております』

「だから先生は!?」

 

 ミネルヴァは音楽をフェード・アウトさせ

『おはようございます。モニカさん』

『モニカさんは、いつも通り出勤して下さい』

『私は一件、寄ってから出社します』

 と、映像を流した。


モニカは、後頭部を二回撫で、息を吐く。

『ライラ……』

「……なに」

『愛情は尊いものです』

『ですが、避妊はもっと現実的です』


「いらんこと言うな!」


——————————


 そして、モニカは職場にいた。

 メイリンと二人きりだ。


「ぬぬぬっ!空気の読めないバカ上司め……」

 モニカは小さな声で呟いた。


「モニカさん、その資料データをこちらへ」

 メイリンは、モニカに言うと、モニカは黙って映像をメイリンに投げつける。


 メイリンの前にデータがフワッと浮かぶ。

「ありがとう」

 資料を確認しながらメイリンは言った。


「昨夜は、よく眠れましたか」

「ええ、ぐっすりと」

「目の下にクマがありますよ」

「えっ?」

 モニカは自分の顔を映像に映し出した。

 クマ……は、ない……

 メイリンは横目でそれを見て、苦笑した。

「計られたか」

 モニカはメイリンを睨みつけた。


 午後二時を少し回る少し前に白嶺が出社してきた。

  自動ドアが開いた。

 白嶺は紙コップを片手に、いつも通りの笑顔で入ってくる。


「いや〜、バレちゃいましたね」

 そう言いながら、拍手しメイリンのデスクに向かった。


 メイリンは白嶺を怪訝な顔で見る。

「私のつけ焼き刃の演技では、到底無理でしたね」

「——何が、ですか」

 白嶺はにっこりメイリンに向かって微笑む。

 

「私は今後、母に会います」

 一瞬、執務室から音が消えた。


「なにを!?」

 メイリンが思わず立ち上がる。

 

「私が会えるのか」

「それとも阻止されるのか」

 白嶺は天井を見上げて言い、一度深呼吸をする。

 メイリンの顔に視線を戻す。


「缶蹴りですね」

 

 メイリンもそれを聞いていたモニカも言葉を失う。

 それでもメイリンは吐き出すように言語化を試みる。

「栗山監察官……なにを、考え……」

「そのままです」

「次局長のなにを……」

「知りません」

「なら……」

「思想が違うだけです」

 白嶺は淡々と話を進める。


「私は、私の思想に従って動きます」

 白嶺は微笑む。

「青臭い話です。それに……」

「私は正式な公人ではありませんから」


 メイリンは白嶺を見つめた。


 目の前の男は、追い詰められているはずだった。

 それなのに、どこか楽しそうだった。

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