14章 虚実の水面 (3) 蝶を追う
数日後。
メイリンは早朝次局長室に向かった。
【栗山白嶺 経過報告】
メイリンはデータを三つ浮かばせる。
「以上が報告内容です。神代次局長」
神代はデータを一瞥すると、湯呑を置いた。
指先で映像を拡大し、しばらく無言で目を走らせる。
やがて小さく息を吐いた。
「これは……意外な結果でしたね」
神代は言葉を選んで言った。
再び映像データと資料を見直す。
【外見の変遷】 ・髪型への関心増加 ・装飾品着用 ・片眼用カラーコンタクト使用
【対人行動】 ・異性への興味の顕在化 ・性的話題への質問増加 ・自己開示の増加
【認知】 ・論理能力低下なし ・業務精度維持 ・不要情報の取捨選択傾向
【総合評価】 第二次性徴期にみられる自己像形成との類似性を確認。 知識・認知能力に顕著な低下は認められない。
神代は口元を緩めた。
「——ほとんど中高生だな」
データを閉じようとした指が止まる。
「……待て」
【片眼用カラーコンタクト使用】
神代はもう一度データを見直す。
「メイリン、カラコンをしているのか、栗山くんは」
「ええ、私も不自然なお洒落?と思いそこは確認しました」
「栗山くんはなんと?」
「過去に一世を風靡した伝説のロックバンドのボーカルを真似しているそうです」
「ロックバンド?」
「伝説のインディーズロックバンド HALCYONです」
「聞いたことがないな」
「ええ……だそうです……」
メイリンも、うまく報告ができず、起きた出来事をそのまま伝えることしかできないようだった。
神代は空中に指を滑らせた。
検索画面が展開される。
【HALCYON/Vo.狂慈】
伝説的ロックバンドHALCYONのボーカル。
左右非対称のカラーコンタクトと、祈るような歌声で知られる。
片眼に宿る淡い光は“愛”、もう片眼に沈む暗色は“凶気”を象徴するとされ、当時の若者文化に強い影響を与えた。
「百年以上前のインディーズだぞ……」
「どうして栗山くんが知っているんだ」
「はい、私も検索しましたが、特に流行りの……というわけではないようです」
「栗山くんはそれについてなにか言っていたのか」
「……」
メイリンは言葉を探すが、見つからず、詰まる。
「そのまま報告しますが……」
一瞬、間を置く。
「アシンメトリーが最強……だそうです」
そう言ってメイリンは肩を落とした。
報告している本人も、意味を理解していなかった。
「まっ、仕事が問題ないのならいいですよ」
神代はいつもの穏やかな表情に戻し、椅子へ深く腰掛け直した。
「彼は、局が預かっている子です」
湯呑を手に取る。
「普通の人生を歩めるのなら、それが一番の願いですから」
「今後の監視は続けますか」
メイリンの顔には、うんざりという感情が隠しきれなかった。
「君は、どう考える?」
恋人へ向ける優しい眼差しではない。
部下の判断だけを見極める、静かな視線だった。
メイリンは一度だけ息を整える。
「……監視は継続すべきと考えます」
「理由は?」
「どこに疑いが生まれるか分かりません」
「脅威は限りなくゼロへ近づけるべきです」
「抑止効果も含め、計画完了までは監視を継続すべきと判断します」
神代は返事をしない。
沈黙だけが部屋を支配する。
やがて小さく頷いた。
「私も同じ判断だ」
その瞬間。
メイリンは、自分の判断が正しかったと確信した。
「期待しているよ、メイリン」
神代は穏やかに微笑んだ。
神代はそう言うと、白嶺のデータを手で払うように落とし、消した。
「はっ!」
メイリンは深々と頭を下げた。
——————————
その頃、文明局の屋上に二人の男の陰があった。
白嶺はフェンスにもたれ、夜景を眺めていた。 右目を失ってから初めて見る東京は、少しだけ狭かった。
背後でライターの火が鳴る。
「その目、こっちで仕入れて直すことは可能だぜ」
「大丈夫ですよ」
「それに神代朔は、裏データくらいなら調べられます」
「なにぃ、俺の力が信じられねーのか?」
「はい!」
ヴィクターは葉巻を口に咥えたまま固まる。
「ハッキリ言うな」
ヴィクターは白嶺の腰をポンッと叩き、葉巻を吸った。
「落ち着いたら、治してやる」
「僕はそんなにお金持ちではありませんよ」
白嶺は少し苦笑いして答えた。
「俺のいる世界でもな、欠かしちゃいけねーもんがあるんだ」
ヴィクターは葉巻を白嶺へ向けて軽く振った。
「ファミリーを救ってくれた人間は、ファミリーだ」
「お気持ちだけ有り難く受け取っておきます」
「ははっ」
ヴィクターは笑った。
「それとな、お前さんが言っていた通りだったぜ」
「そうですか」
ヴィクターは葉巻の灰を落とした。
「東京大学地下三十二階」
「……」
「そこにお前のスパルタママはいるそうだ」
「……」
「どうしてわかった」
ヴィクターの笑みが消える。
白嶺は右目へ触れた。
「記憶とは違う意識です」
「映像には映っていなかったぞ」
「場所を覚えていたわけではありません」
「身体が先に知っていました」
白嶺自身も説明できないように首を傾げた。
「子どものころ」
ヴィクターは黙って聞いている。
「と言っても、脳年齢だけは今も子どもかもしれませんが……」
「茶化さなくていい……」
「なんでもないような物に興味を持つ時あるじゃないですか」
ヴィクターは葉巻の灰を落とす。
白嶺は屋上のフェンスを指先でなぞる。
「エレベーターの階数表示に触れると、頭まで一緒に落ちていくような感覚が、不思議で好きだったとか……」
「それに似たような感覚です」
「栗山、ならお前は苦痛も含めて記憶が……」
「いえ、全ては思い出していません……多分」
「見ていただいた映像が、私に流れ込んだ記憶のほとんどです」
「ヴィクターさん、それ一本もらえますか」
「あっ?ああ、はいよ」
ヴィクターは葉巻の入った小さなケースを取り出し、葉巻を白嶺に咥えさせ、火を灯す。
「口で煙を吸い上げるようにしろ」
白嶺は言われた通りにする。
「肺には入れず、煙を口の中で転がすんだ」
「!?」
白嶺は両眉をひそめる。
苦味と土の香りが舌へ広がる。
「……」
ゆっくり煙を吐き出した。
「不味いですね」
ヴィクターは白嶺の手から葉巻を抜き取る。
「ガキにはまだ早ぇ」
ヴィクターは笑いながら、もう一度白嶺の腰を叩いた。




