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天国白書  作者: 凛1129
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45/62

14章 虚実の水面 (2) 深淵の残照

挿絵(By みてみん)

光がある。

いや、ない。

まぶたを閉じた時だけ浮かぶような、輪郭の曖昧な白。


「同期率四十二……」

モニカが画面を見つめる。

「速すぎます」

ヴィクターは腕を組んだまま動かない。

  

「……白嶺」

遠くで女の声。

視界が滲む。

培養液。

動けない。

透明なガラス。

若い女性が何かを話している。

……左側しか見えない。


モニターの半分だけが表示される。

「なんだこれ……」

ヴィクターが眉をひそめる。

「左しか映ってねぇ」

「全部映せねーのか?」

「調整してます」

モニカは急いで録画を開始し、映像の調整を試みる。

 

音は届かない。

また切り替わる。

大学の講義室。

 

「記録できています!」

「映像の調整はできません!」

モニカが叫ぶ。

 

黒板には脳の断面図。

「人間の人格とは——」

また左側しか見えない。

白。

黒板が切り替わる。

脳神経。

シナプス。

胎児の発達。

次々と映像が流れていく。

また切り替わる。

同じ講義。

また。

また。

また。

老人の教授。

若い教授。

女。

男。

国も時代も違う。

それでも内容は脳だけだった。


 モニカは息を呑んだ。

「……なに、これ」

映像は止まらない。

同じような講義が、何百、何千と高速で流れていく。

「先生……」

 

鏡が映る。

少年の身体がある。

顔だけが、どうしても輪郭を結ばない。

画面にノイズが走る。

 

「おい」

アーカの声。

「寝るな」

姿はない。

「死ぬぞ」


 半透明なゲル状のヘッドギア。

動けない少年。

まぶただけが震える。

無数の映像。

数式。

論文。

脳解剖。

心理学。

精神医学。

人格形成。

映像は止まらない。


 モニカは口元を押さえた。

「こんなの……教育じゃない」

ヴィクターも言葉を失う。

画面には、

眠ることも、

目を逸らすことも許されない少年が映っていた。


 電気刺激。

 また講義。

 また電気刺激。

 また講義。

 また。

 また。

 また。

 

「……拷問だ」

ヴィクターが低く呟く。

モニカは録画ボタンを押したまま、

涙だけが頬を伝っていた。

  

 また白。

白衣の女性の手が、少年の頭を抱き寄せる。

抱き寄せられる。柔らかな温もり。

胸に耳を寄せると、小さな鼓動だけが聞こえた。

それだけで、不思議と何も怖くない。

  

 画面の外で、誰かが笑っている。

女性の肩が、わずかに震えた。

顔だけが霞んで見えない。

 

「白嶺!」

 厳しい声。

「こいつらは、終わっている——」

 

 ノイズが走る。

 映像が何回か点滅するとまた白いなにも見えない世界。

 

素っ気ないが、優しい声。

「いつか、またここへ来なっ」

間が空く。

「その時は——」

静寂。

冷たく感情のないトーンで声が流れる。

  

「私を、紛うことなく殺せ」


 映像はそこで止まった。

 モニカは停止をかけ忘れている。

 床にペタンとしゃがみ込み、止まった映像を見ている。


 ヴィクターは後頭部に手を置く。

「栗山の状態に異変があったら連絡してくれ」

 ヴィクターは連絡先の入った一枚のカードをテーブルにそっと置き部屋を出た。


————————


 朝日がカーテンの隙間から差し込んでいた。

ゆりかごの表示灯だけが、静かに緑へ戻っている。

 モニカは薄く目を開けた。

「……先生」

 白嶺はまだ眠っていた。

 穏やかな寝息。

 昨夜のような苦しそうな表情はない。

 その時だった。

 肩から毛布が滑り落ちる。

「……え」

 自分が何も身につけていないことに気付く。

 床には脱ぎ捨てられた服。

 昨夜の記憶を辿ろうとする。


 白嶺の手を握っていた感触だけが、まだ掌に残っている。

 モニカは静かに毛布を胸元まで引き寄せた。

 その時。

 部屋の隅で、小さな光が揺れた。

 薄紫の光核。

 ミネルヴァだった。

『生命兆候、安定』

 いつもの穏やかな声。

 その一言だけ残し、光は静かに端末へ消えた。

 モニカは何も答えなかった。

 

 もう一度、眠る白嶺へ視線を向けた。

 白嶺のまぶたが震える。

 そしてゆっくりと目が開いた。


 気だるそうに白嶺は身体を起こす。 

「おはようございます……モニカさん」

 寝ぼけた子供のように呟く。

 

 モニカの肩が震える。

 昨夜見た映像が脳裏をよぎる。

 次の瞬間。

 

「先生!」

 モニカが白嶺に抱きつく。

 褐色肌の小さな肩を震わせ、腕に力が入る。


「普通に生きていましたね」

 白嶺は薄っすらと微笑みモニカの耳元で呟いた。

モニカの腕はさらに力が入り、

「良かった……」

と呟いた。


「しかし変ですね」

 白嶺は右手をゆっくり目の前へ動かした。

 

「右側が見えませんね」

 

「!?」

「まさか」

 モニカは抱きついた手を離し、白嶺の目を見る。

 右側の目は開いているが、光を失っていた。


「後遺症!?どうして、BANREIは反応していない」

 端末に目を向けたが、反応した形跡はない。

 

「モニカさん」

 白嶺はモニカの顔を真剣な眼差しで見る。

「……はい」

 目に溢れそうな涙をこぼさないようにモニカも鼻をすすりながら白嶺を見た。

「……」

 白嶺はなにも言わない。

「……」

 モニカもこれから言われる言葉が頭の中の予想として駆け巡る。

 

「裸ですね」

「!?」


 モニカは慌てて、毛布を身体に寄せる。

「今は……あのっ」

 言葉を探すが見つからない。


「見てきたことも、全部かは断定できませんが、概ね覚えていると思います」

「あのっ」

「記録データはありますか」

 と、白嶺はモニカへ優しく確認する。

「あり、あります!」

「ちょ、まって、待っていて下さい」

 モニカは毛布を引きずりながら、“ゆりかご”の筐体へと向かった。


 ベッドに座っている白嶺は、壁に背中を預け、窓の外に視線を向ける。

 外では配送用ドローンが、無数に飛び回っている。


「さて……どうしましょうかねぇ」

 そう呟き、配送用ドローンをぼんやり眺めていた。

 

————————

 

 白嶺は起きてから、ヴィクターに連絡し状況と礼を述べた。

「右目の代償は大きかったな」

「特に不自由は感じていません」

 このような簡単なやりとりだった。


 朝、二人で出社すると、既にメイリンがいて、軽蔑した目で二人を見るなり、

「お二人ともおはようございます」

 と言い、すぐにデータ処理の仕事を始めた。


 白嶺とモニカも自分のデスクについた。

「モニカさん」

「はい」

「昨日の私はちゃんとできましたか」

「先生!?」

 モニカは座ろうとしたが、立ち直した。

「その、ところ構わず下世話な話をするのやめてください!」

 メイリンの眉毛が片方ピクリと動く。

「そういうものなのですか」

 白嶺は、映像を立ち上げながら聞いた。

 

「子どもじゃないんですから」

「どうだった?とか。やめてください」

 

「……な・る・ほ・ど♪」

 白嶺は上機嫌で呟きながら、データを確認しはじめた。

 メイリンは天井を仰ぎ、小さく息を吐いた。


「メイリンさん」

「はいっ」

「これ、ちょっと面倒なのでそちらでまとめてもらえますか」

 白嶺は、映像データをメイリンに投げた。

 【白界化被験体調査】


「お言葉ですが、これは監察官が目を通してまとめるものでは……」

「大丈夫ですよ」

「お役所のお決まり定型文を貼っておけば」

 

 以前の白嶺なら決して口にしない言葉だった。



 モニカはそのやりとりを見て今朝の朝食の時に白嶺に言われたことを思い出した。

 

「右目のことは、絶対に明かさないで下さい」

「次局長は、必ずそこから零層を疑います」

「そして私は、もう餌を撒いています」

 

「もし私が動けなくなった時は、児童を救えるのはモニカさん、あなただけになります……」

 

 朝食の約30分間。

 白嶺は現在予想できることを含め、話をまとめ、できる限りフィーリングで合わせてほしいと、依頼がモニカにあった。


「モニカさん」

「はいっ!?」

「今夜も泊まって良いですか?」

「うるさいっ!エロ上司!降格しろ!」


 メイリンは返事をすることもなく、こめかみを指で押さえ小さく首を振った。


  

 

 

設定資料 零層意識同期装置ゆりかご

https://x.com/i/status/2075007057930170707

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