14章 虚実の水面 (1) 笑裏蔵刀
神代が来てから半月。 児童を疑わせる中枢化者は、一人として現れなかった。
メイリンは白嶺の前に立った。
「今週のデータのまとめです」
映像を立ち上げる。
「違法中枢化者は0です」
白嶺は指先で映像を拡大した。
数件のデータへ視線を走らせる。
しかし、その指はすぐに止まった。
「そのようですね」
「脳移植者であることは分かっておりますが……?」
「脳移植自体、どこで誰が行っているかすら現状わかりませんからね」
メイリンは白嶺を横目で一瞬見る。
「監察官のお考えを聞かせてください」
「特にありませんね」
白嶺は椅子にもたれたまま腕を組む。
数秒だけ映像を見つめ、静かに首を横へ振った。
白嶺は映像を落とした。
「なにもない……と」
「答えのないデータをいくら見ても答えはありません」
メイリンは白嶺を見た。
しかし、白嶺は端末を閉じただけだった。
期待していた返答は、最後まで返ってこなかった。
「承知しました」
その声は、以前より一段だけ事務的だった。
白嶺は端末を閉じると、部屋の隅に立つモニカへ視線を向けた。
「ところでモニカさん」
「はいっ」
モニカは少し驚き、返事をした。
「今夜、付き合ってもらえませんか」
「えっ!?」
「この前の……」
白嶺は少し考える。
「もう一度やりませんか」
「なにをですか」
「裸で交わる行為です」
「先生!?」
モニカは顔を真っ赤にして言った。
「は——?」
メイリンも驚き言葉を失う。
「私は、こういう時、どのように誘う?」
白嶺は上を向いて言葉を探す。
「求めたら良いかわかりません」
「——!?」
モニカも言葉が出てこない。
「メイリンさんは、神代次局長を求める時、どうするのですか」
「——なにを……」
メイリンも視線を白嶺から逸らし
「なにを根拠に……」
と、動揺し言った。
いくつかの映像では、そのような欲望を全開で解放している行為が行われている。
普段は客観的に見過ごす映像が、この時だけは、モニカとメイリンを惑わせた。
「——あれ、違いましたか」
白嶺は、表情を変えずメイリンに聞いた。
「そのような事は、お応えしかねます」
「先生、ここは職場ですよ、なにを」
モニカも続けて言った。
白嶺はメイリンから視線を外さず言う。
「今回のプロジェクトも佳境を迎えそうですしね」
「私もそろそろプライベートの時間が欲しくなりました」
「それは、ご自由になされたらよろしいでしょう」
メイリンの声の力強さが増す。
「なんで……こんな場所で……」
モニカも額に手を置き首を横に振った。
「今日までほとんど職場にいましたからね」
「息抜きです」
「息抜きで私を誘うな!」
モニカは机を叩き言った。
「もう好きにして下さい」
メイリンは端末を閉じた。
白嶺を見ることなく一礼する。
そのまま踵を返し、静かに部屋を後にした。
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時刻は午後10時を回ろうとしていた。
あれからモニカは、一言も言葉を発していない。
白嶺は立ち上がり、モニカの元に行った。
「モニカさん」
モニカは不貞腐れている。
「行きましょう」
モニカは驚いたように白嶺を見上げる。
そこにいる白嶺は、先程の下世話な雰囲気で話をしていた子どものような白嶺ではなかった。
モニカは、腑に落ちない気持ちがそのまま態度に出ているが、しぶしぶ白嶺と部屋を出た。
二人は職場を出て、角を曲がると、白嶺は一度だけ後ろを確認した。
人影はない。
そこで初めて歩みを止める。
「辱めてすいませんでした」
「!?」
「今はあれしか思いつきません」
「先生?」
モニカの顔が疑念に変わる。
「既にヴィクターがモニカさんの部屋にいるはずです
」
「なにを言って……」
モニカは、状況が全く分からず困惑している。
「時間がありません」
「急ぎましょう」
普段冷静な白嶺ではない様子を肌で感じる。
二人は、モニカの自宅へ向かった。
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二人は自宅へ到着すると、既にヴィクターが、モニカの家の前に立っていた。
ヴィクターは腕時計を一瞥し、肩を竦めた。
「遅かったな!栗山」
ヴィクターは葉巻を地面にこすりつけ火を消した。
「不法侵入です」
モニカは呆れて言った。
「まあそう言うな。姉ちゃん。緊急事態ってやつだ」
ヴィクターは笑いながら答えた。
部屋の隅に、白い筐体が置かれていた。
高さは腰ほど。幅は小さな冷蔵庫程度。医療機器というより、よく磨かれた仏壇にも見えた。
上部には透明な半円状のカバーがあり、その中で淡い光の粒がゆっくり回っている。
脳波、瞳孔反応、血流、自律神経、微細な筋収縮。 意識不明者から拾える、ほとんど声にならない信号を解析し、本人の意思を推定する装置だった。
一般ではそれを、ただ「ゆりかご」と呼ぶ。
病院で延命を選ぶ前に。
あるいは、最後に一度だけ本人の意思を確かめたい時に。
文明庁を始め、多くの中枢化可能国は、この端末を家庭用にまで小型化していた。
白嶺は筐体の前へ歩み寄る。
白い外装へ、そっと手を添えた。
「日本の物を使うわけにはいかねーからな」
「黒物だが、性能は変わらねーよ」
ヴィクターは“ゆりかご”をバンバンと二回叩いて、言った。
モニカは肩を竦めた。
「ありがとうございます」
白嶺はヴィクターに会釈をした。
「先生、ゆりかごなんて持ってきてどうするんですか」
「使います」
「誰に?」
「私です」
「!?」
モニカは驚いた。
「先生は、意識があるじゃないですか」
「はい。ですが、今回は意思を読むために使うのではありません」
「え?」
「私の意識を、限界まで沈めるために使います」
「一般の健常者に使ったら被害は計り知れませんよ」
「今は、それしかありません」
「どういうことですか」
「この世に答えがないなら、作るしかありません」
「分かるように説明して下さい」
「……」
白嶺は一度だけ目を閉じた。
言葉を選ぶように、静かに息を吐く。
「私のBANREIは2つあります」
「一つはテレシア・ベルナール・松永」
「私の脳の産みの親です」
モニカは、両手で口を覆い黙って聞いている。
「もう一つ、身体は栗山白嶺、恐らく栗山なゆたの息子です」
「仮説を言い出したら無限に生まれるのですが……」
「彼女の存在に触れるには、この方法しかないと、以前から考えていました」
「でも、危険です」
「被害によっては再生できません」
「なによりも負荷が大きすぎます」
ヴィクターは腕を組み、ゆりかごを一瞥した。
「姉ちゃんの言う通りだ」
葉巻の箱を取り出しかけ、手を止める。
「俺も三人見た」
ヴィクターは無意識に首筋へ触れた。
「零層へ潜ろうとして、一人は廃人、あとの二人は身体に重度の障害が残った」
部屋が静まり返る。
「だから俺は反対した」
ヴィクターは白嶺を見る。
「それでも、お前はやるんだろ」
「……そうですね」
白嶺は静かに頷いた。
「零層って言っても今の科学力では、それが本当にあるものなのかすら一部の研究者の間ではまだ、議論されていることですよ。先生もそれはご存知のはず……」
「なので!」
白嶺はモニカの言葉を遮る。
「私が彼女とのやりとりが発生すれば、記録しておいてほしいのです」
「私が覚えていなかったり、生きて戻れなかったりする可能性も視野に入れての判断です」
「そんなこと、できません」
「私には、信用できる人間がモニカさんしかいません」
「!?」
「裸で身体を交わせた仲じゃないですか」
白嶺は微笑みながら言った。
「そんなことを今……」
反射的に言い返そうとしたが、止める。
「零層はおそらく、人格ではありません」
白嶺は、ゆりかごの透明なカバーに指を置いた。
「記憶そのものでもない」
「そこにあるのは、記憶が作られる前の痕跡です」
「人格は、その上に積み重なった結果です」
モニカは何も言えなかった。
「神経接続の癖。感情の最初の型。母子間で形成された初期ネットワーク」
白嶺は小さく息を吐く。
「人格の源流です」
ヴィクターは低く口笛を吹いた。
「相変わらず、学者みてぇなことを言う」
そして白嶺を見る。
「だが、お前がその理屈を口にすると嫌な予感が不思議としねーな」
白嶺は肩を竦めヴィクターを見て微笑んだ。
「彼女がまだ、この世界のどこかに残っているのか」
「そこに彼女の痕跡があるなら、私は必ず辿り着きます」
「よし、栗山っ!行ってこい!」
ヴィクターはそう言い、白嶺の背中を叩いた。




