11章 甘密の鎖 (1)偽りの肯定
病院の出口で、モニカは端末を見た。
「先生」
「はい」
「今日はセンターには戻りません」
「なぜです」
「佐藤病院の検査データは、局内回線に乗せない方がいいです」
白嶺は少しだけ目を細めた。
「理由は」
「次局長経由です。文明局本部にログを残すのは危険です」
「では、どこで解析しますか」
モニカは一拍置いた。
「私の部屋です」
白嶺はモニカを見る。
「モニカさんの部屋」
「はい」
「私がですか」
「データの秘匿性を考えれば、それが最も安全です」
白嶺は数秒黙った。
「合理的ですね」
「合理的です」
モニカは即答した。
少し早かった。
モニカはうつむいている。
白嶺は首を傾げる。
モニカは視線を端末へ戻した。
「この感情は……」
「それに、先生は今日、意識を二度失っています」
モニカは被せるように言った。
白嶺は少し間を置いておいて答える。
「はい」
「医療センターへの自動搬送もありました」
「はい」
「一人にする理由がありません」
「監視ですか」
「経過観察です」
「なるほど」
白嶺は頷いた。
モニカは息を吐く。
「あと」
「はい」
「ご飯も食べてませんよね」
「食べていません」
「では決まりです」
「何がですか」
「経過観察です」
モニカは歩き出した。
白嶺はその背中を見た。
経過観察。
データ保全。
局内回線の危険性。
どれも理由として成立している。
成立していたが。
モニカの歩く速度だけが、少し速かった。
――――――
高くそびえ立つマンション。
その40階にエレベーターは止まった。
「こんな景色の部屋に住んでいるのですね。モニカさんは」
白嶺は目を光らせている。
「結構普通じゃないですか?最上階でもありませんし」
モニカは相変わらずうつむき、苛立ったように答える。
「モニカさん、大丈夫ですか?怒っていますか?この感じからすると……」
「怒っていません」
そう言うと、モニカは被せスタスタと歩いていく。
白嶺は首を傾げる。
「ここです」
モニカはノブを握りながら言った。
『ニンショウシマシタ』
ドアのスピーカーが答える。
扉が開くと大きなベッド。
女性の部屋らしいちょっとしたオブジェ。
片付けられた部屋。
少し整えられた本。
「モニカさん!イメージ……人格想定通りの部屋ですね」
白嶺は少しだけ微笑む。
「えぇ。先生が、凄く優秀な上司だと私も思います」
そう淡々と言うと、モニカは白嶺の手を握った。
「ぇ!?」
白嶺は、少し驚いた顔をした。
そのままモニカは部屋へ入る。
「モニカさん、折角なので、部屋を拝見したいのですが……」
白嶺は言った。
モニカは手を握り部屋の奥へと行った。
暗く夜景の光だけ差し込む部屋。
「僕は、久しぶりに興奮しているかも知れません」
白嶺は言った。
「聞いているかも知れませんが……」
モニカの手に力が入る。
「痛いですよ。どうしたのですか?モニカさん?」
少し困ったように白嶺はモニカへ問う。
「はい、先生」
モニカは言う。
手に力が入る。汗ばむ手のひら。
「この、感覚……」
白嶺は言った。
「これは、れんあ……」
白嶺の唇がモニカの唇で塞がれる。
何秒……あるいは一分くらい経っていたのかもしれない。
「……先生は」
唇を離すモニカが呟く……
「先生はっ!」
強く言葉を発する。
「モニカさん……大丈夫……大丈夫です」
「それっ!」
モニカの目から涙がこぼれ落ちる。
「はい……」
白嶺は言った。
白嶺の手は、モニカの腰に回すかどうか戸惑う。
「あなたは、なんでっ!!」
モニカが声を荒げた。
「モニカ……さん……」
白嶺は、少し震える。
「9歳って……」
モニカの抱きしめる腕に力が入る。
「はい……そのようですね」
白嶺は、少し悲しげな顔をし、モニカの腰に手を回し優しく置いた。
「大丈夫ですよ。心配してくれてありがとうございます」
白嶺はモニカの手を両手で優しく握った。
モニカは目を見開いた。
「それって……」
モニカの涙がこぼれ落ちる。
「大丈夫……大丈夫ですよ」
白嶺の手はモニカの後頭部へそっと寄せ、抱きしめた。
「僕は大丈夫ですよ。想定な……」
暗闇の中、再びモニカの唇が白嶺の唇に重なる。
「先生……」
「はい……モニカさん……」
「私の名前はライラです……」
「はい……存じ上げていますが……それ……」
再びモニカが唇を重ねる……
「先生……」
モニカのベッドがいつもより軋む……
「私は……あなたを……先生を……」
――――――
「ミネルヴァ……」
モニカが呼ぶ。
薄紫色の球体がふんわり浮かぶ。
「先生……は?」
『2時間17分前にお帰りになられたようです……』
そうミネルヴァは答えた。
モニカは枕に顔を埋める。
「なんで!?」
モニカは不機嫌そうにミネルヴァに言った。
『栗山様ですか?』
「……そう……」
モニカは苛立つ気持ちを抑えるように聞いた。
『言うの?』
と、ミネルヴァは聞いた。
「……いや……言わなくていい……」
モニカは枕に顔を埋めたまま答えた。
『栗山様はご行為を済まされたあと……』
「だから言うなって」
『はいっ』
ミネルヴァの音声が止まる。
数分の間、沈黙する。
「っで?」
『っで?といいますと』
「それから?」
『それとは?』
ミネルヴァの音声が流れる。
「なんで、いないの」
『あぁそれなら伝言を預かっています』
モニカがベッドから起き上がる。
「なんでそれを早く言わないの!?」
怒った口調でモニカは言う。
『栗山様は』
「うん」
『本日は午後出勤で良いと』
「んーーーー!」
『…………』
「なんだそりゃー」
モニカの声が部屋に響き渡る。
——————
「遅かったな。白嶺」
その男は窓の外を見ながら言った。
白嶺は黙って歩いていきコーヒーを置いた。
「人の運び屋もやるのですか。ヴィクターさんは」
白嶺は聞いた。
ヴィクターは葉巻に火をつけ、ゆっくりと答えた。
「寿命寸前のピラルクを日本まで生かして運ぶようなもんだ」
「そうですか」
白嶺はソファに腰をかけ、窓の前にいるヴィクターにそう言った。
ヴィクターは両手を広げ肩を竦める。
「相変わらずだな」
ヴィクターは近づき灰皿に葉巻を押し付け、対面のソファに座った。
少し沈黙が流れる。
「その分だと、盤面にピントが合ってきたか」
ヴィクターは背もたれに身体を預け言う。
「私は、自分の疑問が分かればそれで良いのです」
白嶺は淡々と答えた。
「疑問ねぇ」
「えぇ」
白嶺は少し微笑む。
「その疑問の価値はあるのかい」
ヴィクターはまた葉巻を取り出し言った。
「価値?」
白嶺はヴィクターの目を見て言う。
「俺は忠告したはずだぜ」
ヴィクターはそう言うと葉巻に火を点ける。
「……」
白嶺は黙って聞いている。
「昔、あるマフィアのボスが犬を飼っていたんだ」
ヴィクターは煙を燻らす。
「賢い犬だった」
「なるほど、可哀想に」
白嶺は答える。
ヴィクターは大声で笑い言った。
「理解が早い……」
ヴィクターは続けて言う。
「金も、麻薬も、死体も、全部見つけてきた」
ヴィクターはまた笑う。
「優秀なワンちゃんだ」
煙を吐き出し言った。
白嶺が少しだけ笑い
「狩猟犬だったのかもしれませんねぇ」
と言った。
「だから埋められた」
ヴィクターは葉巻を灰皿に押し付けながら続ける。
「ボスが望むのはいつだって……」
ヴィクターは天井を見ながら
「家族の安寧だ」
数秒目線が合わさり沈黙を生む。
「面白いですねぇ」
白嶺は微笑んで言った。
「親心だな」
ヴィクターは窓を見ながら言った。
「では、そろそろ失礼するか」
ヴィクターは立ち上がる。
「今週の日曜日に死にかけのピラルクを運んでくる」
「魚の最後を看取ってやっくれ」
ヴィクターはそう言いドアの向かった。
「えぇ、お話はきちんと伺います」
「それと……」
白嶺は立ちながら言った。
「その、マフィアさんに聞いておいて下さい」
「……」
ヴィクターはハンドポケットで黙ってドアを向いたまま聞いている。
「飼っていたのは、犬じゃなくリカオンだったかも知れませんよと」
ヴィクターが振り返らず、
「聞いておくよ」
と答え部屋を後にした。
部屋を出たあと、白嶺はまたソファに腰をかけた。
「親心ですか。面白いですねぇ」
微笑みながらそう呟いた。




