10章 死線に触れる (1) 折衝
モニカは、まとめ上げた資料を暗号回線に流した。
送信先は南米。
表向きには存在しない、チェロの回線だった。
資料には、悠・ベレナール・松永の死亡記録、司法解剖記録、葬儀日程、火葬証明、遺族側に残された遺品データ、そしてリオ・ヴァレンとの身体的相違点が添付されていた。
数分後、画面にチェロが映る。
「見たぞ」
モニカは椅子に座ったまま答えた。
「どう思う?」
チェロは煙草をくわえたまま、資料を指で弾く。
「家族側に穴はないな」
「ええ。ベレナール家は普通に葬式をして、普通に納骨している」
「なら、すり替えられたとしたら司法解剖の時か」
「私もそう見ている」
モニカは別の資料を開いた。
「リオ・ヴァレンは、脳移植経験者。“Forbidden Spellcaster”通称、禁じられた魔法使いである可能性が極めて高い」
チェロの目がわずかに細くなる。
「BANREIでは?」
「日本側はブロックがかかっている。文明局救済課天国センターのBANREIでは、ここから先は追えない」
「で、俺達に回したわけか」
「そう」
モニカは画面を見る。
「知りたいのは二つ」
「悠・ベレナール・松永の身体は、どこでリオ・ヴァレンに使われたのか」
「そして、悠・ベレナール・松永の脳は、その時どうなったのか」
チェロはしばらく黙った。
「重い話だな」
チェロは煙を吐く。
「普通なら死体を追う」
「お前らは脳を追うのか」
「職業病よ」
「怖い女だ」
モニカは一度視線を天井に逃がした。
視線をチェロのモニターへ戻す。
「だからあなたに送った」
「ただでは無理だ」
モニカの眉が少し動いた。
「こちらも協力したわ」
モニカの身体が前に出る。
「それは公の仕事だ」
チェロは即答した。
モニカは背もたれに身体を預ける。
「裏が動くには、裏の代償がいる」
「何が望み?」
チェロは煙を吐いた。
「一人だ」
「うちの人間を一人、日本で中枢化させろ」
モニカは黙った。
「南米では通らないのね」
「通るわけがない。身分が汚れすぎている」
「戸籍は?」
「ない」
「病気は?」
「……ある」
「日本国籍者との婚姻は?」
「相手なら簡単に用意できるやつだ。モテモテ男だからな」
チェロは不敵に笑っている。
モニカは少し考え、端末に条件を打ち込んだ。
「なら、可能性はある」
チェロが顔を上げ目を細める。
「可能性?」
「日本国籍者との婚姻。重篤疾病。本人同意。全財産の整理。肉体の引き渡し。その他審査」
「それで通るのかい?」
「普通は通らない。でも特例はある」
チェロは怪訝な顔をした。
「そんな情報はこっちのBANREIにないぞ」
「ないでしょうね」
モニカは淡々と答えた。
「この時代、そんな案件はまず存在しないもの」
「制度じゃないのか?」
「制度というより、運用ね」
「変な国だな」
「日本には、」
「“情け”って言葉があるの」
モニカは両手の指を軽く曲げた。
チェロは小さく笑った。
「情けでマフィアを救うのかい?」
「救うとは言ってない」
「そうか」
チェロは大げさに笑う。
「安心した」
「善人になるのは性に合わない」
モニカは視線を外さずに答えた。
「条件を満たすなら、審査に乗せると言っているだけ」
「その権限をお前が持っているのか」
目がまん丸になったチェロの顔が画面に近づく。
「栗山監察官と私だけ」
「お嬢ちゃん……思ったより偉かったんだな」
「今さら?」
モニカは両手を広げ、肩をすくめた。
チェロは自分の足を叩き立ち上がる。
「よし、なら調べてやる」
「悠・ベレナール・松永の脳が廃棄されたのか」
「あるいはどこかへ運ばれたのか、そこまで掘ってやる」
チェロはしばらくモニカを見ていた。
「お嬢ちゃん、見た目よりなかなかやるな」
「悠・ベレナール・松永の報告を待ってる」
チェロは笑った。
「今度デートでもどうだ?」
「報告が先」
モニカは首を傾げ、微笑みながら通信を切った。
通信端末を閉じ、大きく伸びをした。
「終わったぁ……」
「うちの先生と、大違い」
資料や送信ファイルの映像を乱暴に落としていく。
「品も、清潔感も、部屋だって散らかっているし」
モニカは飲みかけのコーヒーを一気に飲み紙コップを潰す。
「先生だったら……」
振り返る。
白嶺はモニカを見ている。
モニカが固まる。
白嶺は無表情のまま椅子に座っている。
「……」
「……」
「いつからいたんですか」
「日本側にはブロックがかかっている、からです」
モニカの表情が消えた。
数秒の沈黙。
モニカは両手で顔を覆った。
「最悪です……」
「そうですか」
白嶺は首を傾げる。
「全部聞いてたじゃないですか」
「監察です」
「盗み聞きです」
白嶺は少し考える。
「結果的には同じですね」
「同じじゃありません」
モニカは椅子に崩れ落ちた。
「最後まで?」
「聞いていました」
モニカは再び顔を覆う。
「消えたい……」
白嶺は首を傾げた。
「なぜです」
「なぜですじゃありません」
「仕事です」
「そういうことじゃ……ありません」
モニカは立ち上がり、背を向ける。
白嶺は少し考える。
そして真顔で言った。
「人気があるのは良いことです」
モニカはゆっくり振り向く。
「慰めるの下手ですよね」
「事実を述べています」
白嶺は微笑みながらそう言った。
白嶺は立ち上がり、モニカの残したデータを一つずつ落としていく。
「そしてチェロは、この件では嘘をついていません」
「分かるんですか?」
「少なくとも、手を抜くつもりはない」
「なぜ?」
「報酬を曖昧にしなかった」
白嶺は歩きながらさらにモニター落としていく。
「一人。日本で中枢化させろ。条件を最初に切った」
「そして報酬が見えた瞬間、調べる範囲を自分から区切った」
「悠・ベレナール・松永の脳が廃棄されたのか。あるいはどこかへ運ばれたのか」
「あれは約束ではありません」
白嶺は止まり静かに言った。
「作業計画です」
「信用できるんですか?」
「信用ではありません」
白嶺は即答した。
「職務能力の評価です」
「軽口は多い。しかし論点から逃げていない」
「駆け引きはするでしょう」
「ですが、請けた仕事はします」
白嶺は全てのモニターの消えた画面を見渡した。
数日後。
モニカの端末に暗号回線の着信が入った。
表示された発信元を見て、モニカは小さく息を吐く。
「チェロ」
回線を開く。
画面の向こうでチェロが笑った。
「よう、お嬢ちゃん」
「報告は?」
「相変わらず可愛げがねーな」
「報告」
チェロは両手を広げ肩をすくめた。
「分かったよ」
その声色が少しだけ変わる。
モニカの表情も消えた。
「結論から言う」
「脳移植が行われたのは日本だ」
数秒、部屋が静かになる。
「日本……」
「驚くな」
「俺も驚いた」
チェロは資料を表示させる。
「名前は出てこなかった」
「だが当時リオ・ヴァレンの周囲にいた人間を一人捕まえた」
「そいつが話した」
モニカは黙って聞いている。
「リオ・ヴァレンは好奇心旺盛だった」
「火星に行きたがっていた」
「だが年齢が問題だった」
「そこで適合率の高い若い肉体が見つかった」
チェロは煙草を灰皿に押し付ける。
「成功するかも分からない実験手術だった」
「金持ちってのは、わかんねーな」
「リオはそれでも金を出し、ルートも用意した」
「だが――」
チェロが画面を見る。
「最初の実験体でもあった」
モニカの眉が動く。
「術者は?」
「名前はない」
「分かっているのは女だということだけだ」
「医者?」
「研究者に近いらしい」
チェロは続けた。
「そして面白い話がある」
「続けて」
「その女の本命はリオじゃない」
モニカが顔を上げる。
「悠・ベレナール・松永だ」
沈黙。
「……何ですって?」
「リオは実験だった」
「本当に欲しかったのは悠の脳だ」
「えっ」
モニカは止まる。
チェロは淡々と続けた。
「リオの手術が先」
少し間を置き、さらにチェロは話す。
「成功を確認した後、同時に進行していた悠の脳移植が行われた」
モニカはゆっくり口を開く。
「待って」
「その話が本当なら」
「悠の脳は廃棄されていない」
「そうなるな」
チェロは頷く。
「移植先も聞けた」
モニカの身体が前に出る。
「誰?」
「そこまでは分からない」
「戸籍も名前も消えてる?もしくは改ざんされている」
「だが」
チェロは画面越しにモニカを見る。
「植物状態だった子供らしい」
部屋が静まり返る。
「男の子?」
「多分そうじゃねえか?脳移植に詳しくはねーけど、男の脳は女になれるのかい?不自由しなくなるな!それができりゃ」
チェロは明らかにいやらしい目で笑っている。
少しの間があき、チェロのトーンが戻りまっすぐにモニカを見る。
「分かるのは植物状態だったことだけだ」
モニカは何も言わなかった。
チェロも黙る。
やがてモニカが呟く。
「つまり――」
その声は小さかった。
「悠・ベレナール・松永は」
「どこかで生きている」
チェロは否定しなかった。
数秒後。
画面の端で、椅子から立ち上がる白嶺の姿が映った。
チェロの目が細くなる。
「監察官もいたのか」
白嶺は答えない。
映像の前に立ち、代わりに静かに口を開く。
「その情報源は信用できますか」
チェロは笑った。
「俺と同じだ」
「金には弱い」
「だが嘘は嫌いだ」
白嶺は少しだけ目線を落とし間をあけたが、
すぐに微笑んだ顔を上げ言った。
「十分です」
モニカは二人を見比べた。
チェロも白嶺も目が合わせたままだ。
先に数秒の沈黙を破りチェロが話始めた。
「一ヶ月後」
チェロは目線を白嶺に向けたまま、低いトーンでゆっくりと話始める。
「金はそんなにねーが、最近日本人女性と幸せな結婚をした男がな?」
「可哀想になぁ、自分でも気づかなかった病が、不幸にも悪化しちまったそうだ……」
「蚊も殺せないような気立ての良い老人が、最後に記念にそちらへ観光するかもしれない」
チェロは煙草に火をつける。
モニカは息を呑む。
「その時はどうか、あれ、日本語でなんていうんだっけ」
煙草の煙を吸い込む。
「おお、そうだ」
「“ナサケ”ってやつだ」
チェロは煙を吐き、灰を落とす。
「仲良くしてやってくれよ」
モニター越しの煙草が煙を燻らす。
「もちろんですよ」
白嶺は薄っすらと微笑みながら答える。
モニカは白嶺の顔を見上げる。
「そのような方がいらっしゃれば、規定に従い審査しますよ」
白嶺は微笑みチェロから目線を外さず、モニターを切った。




