表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天国白書  作者: 凛1129
PR
27/39

8章 月の庇護 (2) ガラスの枷

挿絵(By みてみん)

医療管制センターからモニカに呼び出しが入ったのは、翌朝だった。


「私は栗山の親族ではありませんが」

「承知しています」

短い返答だった。


「では、なぜ私に連絡を」


管制BANREIの光が淡く明滅する。


『回答します』

『栗山白嶺氏の登録情報を照会』


数秒の沈黙。


『親族登録なし』

『里親登録なし』

『養護施設記録なし』


モニカの眉が動いた。

「施設の記録もないのですか」

『確認できません』

「では、誰が保護していたのですか」


再び数秒。


『保護責任者登録 文明局』

「……文明局?」

『はい』

『個人保護者登録なし』

モニカは言葉を失う。


先進国で生きる人間に保護者がいないことは珍しくない。

だが、保護責任者が国家機関、それも児童養護とは関係のない文明局というのは異例だった。


「局には確認を?」

『取得済みです』

『栗山白嶺氏の今後の経過観察について』

『最も近しい立場にある職員への説明が望ましいと判断されました』


「最も近しい……」


『現在の所属 文明局天国センター』

『統括補佐 ライラ・モニカ・サントス』

『該当』


モニカはしばらく黙っていた。


「彼の保護責任者はいるのに、保護者はいない」

「だから私ということですか」


管制BANREIの光が揺れた。

『確認します』

『保護者登録』


短い沈黙。

『保護者は二体のBANREIです』

「二体?」

モニカは思わず声を荒げた。


「ミネルヴァ」

薄紫色の光核がモニカの前に浮かび上がる。

「一個人に二体のBANREIが与えられる特例を検索して」


ミネルヴァの光が静かに揺れた。

『現時点で、出生時から二体のBANREIが一個人に付与された公的記録は確認されていません』


モニカは答えなかった。

数秒後。

小さく息を吐く。


「指定時間に伺います……私で、よければ」


――――――


案内された部屋は、病室ではなかった。


白い壁。

透明な診断パネル。

人間の医師が一人。

そして、その背後に浮かぶ三体の医療管制BANREI。


「神経症例管理担当の高峰です」

医師は短く名乗った。


「栗山白嶺氏について、説明が必要です」

「容体は?」

「生命に問題はありません」


モニカは息を吐きかけた。

だが、高峰の表情は変わらない。


「問題は、生命ではありません」

空間に脳波データが表示される。

異常な密度の神経活動。

記憶領域の過負荷。

感情処理領域の反応遅延。

「このデータを見て、何が分かりますか」


「……忘却処理が機能していません」

呟くように答えた。

「そうですか。さすがは文明局の職員ですね」

少し角が立つ言い方だったが、モニカは聞き流した。

「人間の脳は、覚えるためだけに存在しているわけではありません」


高峰は淡々と続ける。

「忘れることで、生きています」


モニカは黙ってモニターを見ていた。


「嫌な記憶も、痛みも、恐怖も、恥も、喪失も。通常は時間と共に薄まる。再構成され意味を変える。そうやって人間は日常へ戻る」


空間に、白嶺の脳活動が拡大される。

「しかし栗山氏は、それがほとんど起きていない」

「全部……覚えている、ということですか」

「近いです」


高峰は少しだけ間を置いた。

「正確には、忘れるべき情報が、忘却されずに残り続ける」

モニカの指先が動かなくなる。

紫に輝くミネルヴァの動きも止まっていた。


「そんな脳で、人は普通に生きられるんですか」


高峰は答えなかった。

代わりに管制BANREIが音声を発した。

『通常個体であれば、長期生存継続は困難』

『精神崩壊率、極めて高』

『自己保存行動の破綻が予測されます』


モニカの頬に、一滴の涙がつたう。

「でも先生は、いつも普通に働いています」

『その点が異常です』

管制BANREIは即答した。


『通常勤務』

『対人応答』

『高度判断』

『心理支援』

『倫理判断』

『危機対応』

『いずれも成立しています』


高峰が続ける。

「だから分からないのです」

「何がですか」

「なぜ、壊れていないのか」


沈黙が続く。

――僕は大丈夫ですよ。ありがとう。


「先生……全然、大丈夫じゃないじゃないですか」

震えるような小さな声で呟いた。

高峰は聞こえないふりをした。

「さらに問題があります」

空間に表示された白嶺の登録情報が、途中で途切れていた。

氏名。

所属。

職務権限。

そこまではある。

しかし、その先がない。

「出生記録、医療履歴、BANREI個人識別番号、幼少期記録。通常アクセスでは確認できません」

「消されているんですか」

「分かりません」

「分からない?」

「消された記録なら、削除痕跡があります」

高峰は画面を見る。

「これは違う」


「っ……」

モニカの喉が鳴る。言葉を飲み込む。


「最初から、一般BANREIが理解できない場所に置かれている」

管制BANREIが再び告げる。

『栗山白嶺氏は、通常分類不能』

『医療判断継続には、保護者または責任管理者の承認が必要』

「保護者……」

モニカはその言葉を繰り返した。

高峰は静かに言った。

「栗山氏に必要なのは、治療だけではありません」

「では、何が必要なのですか」

「止める人です」

モニカは顔を上げる。

「彼は、問題に遭遇すると解決するまで思考を止めない傾向があります」

「先生らしいです」

「笑い事ではありません」

高峰は即答した。

「通常の人間は疲労します。苦痛を感じます。そして忘れます」


モニカは答えなかった。

「しかし栗山氏は違う」

空間の脳活動データが強調される。

「忘れない」

「だから考え続ける」

「そして、壊れるまで止まらない」

「BANREIでは止められないのですか」


『本人意思を越えた行動は原則不可』

管制BANREIが答える。

『生命危機発生時を除き、行動権限なし』


高峰はモニカを見る。

「だから、人間が必要です」

「私に、止められると?」

「分かりません」

「分からないのに呼んだんですか」

「ええ」

高峰は表情を変えなかった。


「他に候補がいない」


モニカは黙った。

管制BANREIの光が淡く揺れる。

『確認します』

『栗山白嶺氏の観察継続に同意しますか』

モニカは白い画面を見つめた。

栗山なゆた。

消された記録。

識別番号なし。

二体のBANREI。

そして、忘れられない脳。


「栗山先生は」

モニカはゆっくり口を開いた。

「どれくらい、覚えているんですか」

高峰は答えなかった。

答えたのは管制BANREIだった。

『データの通りです』

『ただし推定では』

短い沈黙。

『忘れた方がよいものほど、残っている可能性があります』


モニカは目を伏せた。


数秒後。


「……同意します」

モニカは言った。

「私が、確認します」

管制BANREIが静かに応答する。


『承認を記録しました』

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ