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天国白書  作者: 凛1129
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26/38

8章 月の庇護 (1) 緋の封蝋

挿絵(By みてみん)

 白い天井だった。

消毒液の匂い。

微かな機械音。


白嶺はゆっくり目を開いた。


知らない部屋。

知らない照明。

だが、誰がいるかはすぐに分かった。


「起きたかい」


窓際の椅子に、ヴィクター・ヴォルコフが座っていた。


「……なぜ、あなたが」

「年寄りの見舞いだ。ありがたく受け取れ」

「そうですか」

白嶺は天井へ視線を戻す。


「21:00に退院。さっき医療BANREIが俺に言ってきたぜ」

白嶺は目を見開いた。

「ICUです」

「ああ」

「親族以外は入れません」

「そうだな」

「信じるのか」

「なにをですか」

「俺が見舞いに来たことだよ」

「いいえ」


ヴィクターは低く笑った。

「可愛げのない男だ」

「よく言われます」


少しの沈黙。

「お前と一緒にいたねぇちゃん。下のロビーで待ってるぜ。お前もやるなぁ」

白嶺は答えなかった。


「お前が聞きたいだろうと思って来てやったんだがな」

ヴィクターは、腕を組み言った。


「栗山なゆた」

白嶺が言う。


ヴィクターは目を細めた。

「知っていますか」

「ああ」

「何者ですか」

「科学者だ」

「それだけですか」

「養護教員でもあった」

「資料にはありませんでした」

「だろうな」

「なぜですか」

「消された」


白嶺はヴィクターを見る。

数秒


「誰に」

白嶺は口から吐き出す。


「それを聞くには、君はまだ若い」

「年齢の問題ですか」

「違う」


ヴィクターは葉巻を取り出したが、火はつけなかった。


「人生の問題だ」

白嶺は黙る。

「栗山なゆたは天才だった」

ヴィクターは静かに続ける。


「そして、触れてはいけないものに触れた」

「禁呪ですか」

「そう呼ぶ者もいる」

「あなたは違うのですか」

「私は商売人だ」


ヴィクターは自嘲気味に笑った。


「名前を変えたところで、売れるものは売れる」


白嶺は表情を変えない。

「私と関係がありますか」


ヴィクターは葉巻を指先で転がした。

火をつけることはない。

それでも指だけは癖のように動いていた。


「君は今、自分の母親を探しているつもりかい」

「可能性として考えています」

「なら、やめておけ」

「理由は」

「その問いは、君を幸せにしない」

「幸せは目的ではありません」


「若いな」

ヴィクターの声は、低く笑っていなかった。


「真実は薬ではない。毒にもなる」

「それでも知る必要があります」

「必要と欲望を混同するな」


白嶺は黙った。

ヴィクターはようやく白嶺を見る。


「私は悪人だ」

淡々と言った。

「君が思っているより、ずっとな」

「知っています」

「だろうな」

ヴィクターは小さく笑った。


「だがな」

その声だけが、少し低くなった。


「一度死んだ子どもに、二度目の地獄を見せたいとは思わん」


白嶺の目がわずかに動く。

「どういう意味ですか」

「聞かなかったことにしろ」

「できません」

「だろうな」


ヴィクターは立ち上がった。

「歳をとると、口が軽くなる。よくねーことだな」

後頭部を指でかきヴィクターは背伸びをし、葉巻を口に咥えた。


「栗山なゆたは科学者だ」

「養護教員でもあった」

「天才だった」

「今、君に渡せる答えはそれだけだ」

「なぜ、それだけなのですか」


ヴィクターは扉へ向かう。

「答えには値段がある」

「金ですか」

「違う」


自動ドアの前で、ヴィクターは立ち止まった。

「支払うのは、平穏だ」


白嶺は言葉を発しようとしたがヴィクターは被せるように言った。

 

「急ぐな」


ヴィクターは振り返らない。

「君はまだ、生きている」


扉が開く。


「それを無駄にするな」


ヴィクターは部屋を出ていった。

静寂が戻る。


白嶺は天井を見上げたまま、しばらく動かなかった。


栗山なゆた。

科学者。

養護教員。

天才。

消された記録。


そして――

一度死んだ子ども……


「……私のことですか」

白嶺はうつむき呟く。


答える者はそこにいなかった。


 

 21:00。

医療BANREIが部屋にぼやっと現れる。

 

「退院時間です。お大事に」

 

部屋のドアが開く。

白嶺はそのまま病室を出た。


エレベーターが降り、ロビーの階につき、ドアが開いた。


「先生!」

モニカは走った。

気付いた時には、白嶺に抱きついていた。


「……無事でよかった」

声が震える。


白嶺は動かなかった。

数秒遅れて、そっとモニカの背中へ手を置く。


抱きしめ返す、というより。

泣いている子を落ち着かせるような手つきだった。


「大丈夫ですよ」

白嶺は静かに言った。

「私は、ここにいます」


モニカの胸が跳ね、慌てるように半歩下がる。


「ち、違います」

「何がですか」

「これは、その……母国では普通です」

「そうなんですか」

「普通です。心配した人には、こうしてます」


モニカはもう半歩下がる。


「家族みたいなものですから」


言葉が口をついて出た瞬間、モニカは目を見開いた。

白嶺の表情が少しだけ変わった。


ほんの一瞬。

痛そうな、懐かしそうな、子どものような顔。


「……家族ですか」

白嶺は小さく繰り返した。


モニカの息が止まる。

「はい。いえ、違います。職場の話です。チームという意味で」

「そうですか」

白嶺は微かに笑った。

「なら、安心しました」

「何がですか」

「よく分かりません」


白嶺は目を伏せた。

「でも、少し安心しました」


モニカは何も言えなくなった。

白嶺は優しく、ゆっくりモニカの手を両手で握り、モニカの目を見る。

モニカは叱られるかもしれない親の目を見るように、白嶺の目を見た。


「僕は大丈夫ですよ。ありがとう」


 帰りのカプセルは静かだった。

白嶺は席に座るなり眠ってしまった。

倒れてから初めて見る寝顔だった。


いつもなら端末を見て、何かを調べ、誰かの相談に答えている。

 時には存在そのものが機密指定されている人物と面会し、そのまま業務へ戻ることもあった。


だが今は違った。

まるで電源を切られた機械みたいに動かない。


モニカは窓の外を見る。


暗闇。

流れる光。

そして、もう一度白嶺を見る。


髪が少し乱れていた。

モニカは周囲を見た。


ゆっくりと手を伸ばす。

指先が髪に触れる。

ほんの少しだけ整える。


「……栗山なゆた」

小さく呟く。


返事はない。

白嶺は眠っている。

モニカは窓へ視線を戻した。


しばらくして。

「先生」


今度は名前を呼ぶ。

「……白嶺先生」


静かな寝息だけが返ってきた。

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