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天国白書  作者: 凛1129
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7章 連関の系譜(1)秘色の胎動

挿絵(By みてみん)

白嶺(はくれい)は、リオ・ヴァレンの映像を見返していた。

画面には真っ白な世界が映っている。その中央でリオは立ったまま動かない。環境を変えても、音を流しても、記憶補助を使っても結果は同じだった。

システムだけが、正常と返し続けている。


白嶺は端末へ指を置いた。

「再生」

出発前の《アルゴス》船内映像が映る。リオは窓の外を見て笑っていた。無重力の中で、金髪がわずかに浮いている。


「火星に道路を作るんだ」

映像の中のリオが言う。

「最初の空気、最初の水、最初の灯り。そういうのを作りに行く」


白嶺は映像を止めた。

次に白界の映像を表示する。

リオは動かない。

「再同期」

「完了しました」

「感覚刺激」

「正常に送信されています」

「反応ログ」

「変化なし」


白嶺は画面を閉じなかった。

その背後で、モニカが別の端末を見ていた。

「 次、音声反応を順に試してくれ 」

様々な音声が流れる。


天国センターの通常処理。

死者の希望を読み取り、環境を構築し、幸福指数を確認する仕事。


それは表向きには穏やかな業務だった。

死者が望んだ世界へ向かう。

救済。再会。やり直し。


そう呼ぶこともできる。

だがモニカの画面に映っているものは、そんな言葉では片づかなかった。


現世では教師だった男がいた。

記録上は問題のない人物。勤務評価も高い。

保護者からの信頼も厚く、犯罪歴もない。


現世にいた時のAI人格診断でも、重大な危険傾向は検出されていなかった。

だが死後の環境で、その男が望んだものは違った。

小さな教室。

言うことを聞く子どもたち。

逃げない児童。

そして拒絶しない身体。


モニカは映像を途中で閉じた。


「……最低」


白嶺は返事をしなかった。

リオの白界を拡大している。


「先生」

「はい」

「今の見てましたか」

「見ていません」

「見ない方がいいです」

「必要なら見ます」

「必要じゃありません」

「多くの人は、幸福を作れません」


「知能の話ですか」

「知能だけではありません。知識と訓練です」

白嶺は白界を見たまま答えた。


「人間は、自分が何で幸福になるかを正確には予測できません。手に入れる前は強く望む。手に入れた後は慣れる。そして、また別の刺激を欲しがる」


「だから、あんな世界になるんですか」


「はい。快楽、支配、復讐、承認。分かりやすい願望ほど構築しやすいですが、長くは保ちません」


白嶺は端末を操作した。


「安定した幸福には、関係性、役割、自己決定、成長、意味づけが必要です。ですが、それを自分で設計できる人間は少ない」


「天国なのに?」

「天国だからです」

白嶺はモニカを見ずに言った。


「制限がなくなると、その人間の構造だけが残ります。現世で幸福を組み立てられなかった人間は、死後も同じです」


モニカは別の記録へ切り替えた。

次の利用者は、現世で慈善事業をしていた女性だった。

AI診断では、共感性が高く、社会貢献意識も強いとされている。

だが構築された環境では、彼女は理想の家族を作り、何度も壊していた。


自分に感謝しない夫を罰する。

自分を理解しない娘を泣かせる。

最後には全員を屈服させる。

それでも満足しない。

また最初からやり直す。


同じ台詞。同じ怒り。同じ支配。


モニカは眉間を押さえた。


「AIって、何を見てるんでしょうね」

白嶺はリオの反応ログを見たまま答えた。

「傾向です」

「傾向?」

「過去の発言、行動履歴、医療記録、購買記録、脳波パターン、対人反応。その総合です」

「それだけ見ても、分からないものは分からないんですね」

「はい」

モニカが顔を上げる。

「そこは認めるんですね」

「AIは心を読む装置ではありません」


白嶺は画面を切り替えた。

白界。

リオは動かない。


「本人が本当に何を望むかまではAIは入れません。近似はできます。予測もできます。ですが本人が死後に何を選ぶかは、接続後にしか分かりません」

「だから家族の天国化映像は見られないんですね」


白嶺の指が止まる。

「家族……」

そう呟いたが、すぐにモニターにまた目を向け答える。 

「制度上は禁止されていますね」

「知ってます」


モニカは自分の手を見た。

「テレシアさんは壊れてました」

「はい」

「でも、ここで見る多くの人より、ずっと人間に見えました」

「人間らしさの定義ですか」

「違います」


モニカの声が少し揺れた。

白界の映像が一瞬揺れた。

「!?」

白嶺の動きが止まる。


モニカは画面を閉じた。

「でも、今日は少し分かった気がします」

「何がですか」

「見たら壊れますよ」


白嶺はモニカを見た。

モニカは笑わなかった。


「お父さんが死後に何を望んだか。お母さんが本当は何をしたかったか。恋人がどんな世界で幸せになっているか。子どもが親のいない場所を選んでいたら。逆に、自分のためだけに誰かを閉じ込めていたら」


モニカは端末の黒い画面を見た。

「そんなもの、遺族が見たら終わります」

「法の趣旨と一致します」

「趣旨じゃないです」

モニカの声が少し低くなった。


「人間が耐えられないんです」

白嶺はまたリオの画面へ戻った。

「なるほど」

「聞いてます?」

「聞いていますよ」


「今の『なるほど』は、たぶん聞いてない時のやつです」

「聞いています」

白嶺はテレシアの記録を開いた。


画面に映ったのはテレシアの部屋だった。小さな部屋にベッドが一つ、揺り籠が一つ。そこには、赤ん坊の世話を続ける彼女の姿が残っている。


ただ赤ん坊の世話を続けていた。脳死に至るまで。


モニカは画面に気づいた。

「テレシアさんですか」

「はい」

「また調べてるんですか」

「比較しています」

「何と」


白嶺は答えず、テレシアの環境ログを開いた。

室温。照明。音声。揺り籠の軋み。赤ん坊の呼吸音。

テレシアが口ずさんでいた短い旋律。


白嶺はその音声だけを抽出した。

「先生?」

「音声刺激として使います」

「誰に」

「リオ・ヴァレンに」


モニカは言葉を失った。

「なぜです」

「さあ……」


白嶺は音声を白界へ送った。

「だから比較します」


音だけが流れる。

小さな部屋の環境音。

揺り籠の軋み。

低い旋律。


モニターの端に、わずかな波形が立った。

白嶺の指が止まる。

「もう一度」

同じ音を流す。

リオは動かない。

だが、右手の指先だけがわずかに揺れた。


モニカが息を止めた。

「今」

「もう一度」


白嶺は別の母親と赤子の音声を選び、白界へ流した。

リオの指先は動かない。


モニカは画面を見たまま言った。

「どういうことですか」

「分かりません」

「先生が分からないって言う時、だいたい良くないことですよね」

「はい」

「そこは否定してください」


白嶺は返事をしなかった。

テレシアの記録。

リオの白界。

ヴィクターの言葉。

肉体には履歴が残る。


白嶺は四つの画面を並べた。

テレシアの小さな部屋。

リオの白い世界。

リオの身体データ。

テレシアの死亡関連記録。


モニカは画面を見た。

「先生」

「はい」

「何を探してるんですか」

「分かりません」


「じゃあ、なんでそんな顔をしてるんですか」


白嶺はモニカを見る。

「どんな顔ですか」

「楽しそうな顔です」

「そうですか」

「そうです」


モニカは端末を閉じた。

「私は、ちょっと無理です」

白嶺は何も言わない。

モニカは言葉を続けた。


「毎日、人の願望を見ます。死んだ後なら少しは綺麗になるのかと思ってました。でも違うんですね。死んでも、だいたいそのままです」


白嶺はリオの波形を見ている。

「人格の連続性です」

「そういう言い方をしないでください」

「では」

「分かりません。でも、今はその言い方を聞きたくないです」

「見れば分かる話です」

「僕には、見ただけでは分かりません」

「でしょうね」


モニカは小さく笑った。

笑ったのに、目元は笑っていなかった。


「先生は、人間を見ているようで見ていません」

白嶺は答えない。

モニカは続けた。


「欲望も、悲しみも、愛情も、全部データで見ますよね」

「必要です」

「必要でも、それだけじゃないです」


白嶺はリオの画面から視線を外した。

モニカの頬に涙が一筋落ちていた。


「モニカさん」

「何ですか」

「涙が出ています」

「知ってます」

「呼吸が浅くなっています」

「それも知ってます」

「注意が嫌悪記憶に固定されています」

「だから何ですか」


白嶺は立ち上がった。

モニカは顔を上げる。


次の瞬間、白嶺はモニカに口づけた。

長くはない。

乱暴でもない。

だが、あまりにも突然だった。


モニカは動かなかった。

白嶺が離れる。


数秒。

モニカの手が上がった。


白嶺の頬に乾いた音が響く。

「何をしたんですか」


声は低かった。

白嶺は何事もなかったかのようにモニターの前に座った。


「注意固定を切りました」

「そういう話をしていません」

「涙は止まっています」

「止まったんじゃありません」


モニカは唇を手の甲で拭った。

その動きは乱暴だった。


「別の感情で上書きされたんです」


「なら成功です」

「最低です」


白嶺は少し首を傾けた。


「不快でしたか」

「不快です」

「しかし心拍は上昇しています。怒りだけではなく」

「言わないでください」


モニカが遮った。

白嶺の視線が止まる。


「なぜです」

「私が分かっているからです」


モニカは視線を逸らした。

頬が赤い。

それに気づいた瞬間、白嶺を睨み直した。

唇を拭う手に、さらに力が入る。


「恋愛反応に近いものが出ています」

「だから言うなって言ってるんです」

「恋愛ではありません。接触刺激による一時的な……」

「そういうところですっ!」


モニカは唇を強く結んだ。

「先生は、そういうところが本当に最低です」


白嶺は答えない。

モニカの呼吸はまだ浅い。涙は止まっていた。


白嶺は端末へ視線を戻した。

テレシアの音声ログ。

リオの指先反応。

白界。


モニカはそれを見て、さらに顔を歪めた。

「今、私を見てませんよね」

「見ています」

「違います」


 モニカは震えた声で言った。

「先生は、私の反応を見てるだけです」


白嶺は少し黙った。

モニカは部屋を出ていった。


自動ドアが閉じ、個室に沈黙が戻る。

白嶺はしばらく扉を見て、やがて端末へ向き直る。


白界。


白嶺は再生ボタンへ指を置いた。

また、リオの指先がわずかに動いた。


「なぜ……」

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