(8) ゴーストリンク
震える手の中で、紙コップのコーヒーが小さく揺れていた。
モニカは自動ドアの前で立ち止まり、何度目か分からない言葉を自分に言い聞かせる。
「普通に……」
その瞬間、目の前のドアが開いた。
「!?」
そこには白嶺が立っていた。
「お、おはようございます」
「はい。おはようございます。今日は京都へ行きますので、支度してください」
「きょ、京都ですか?」
「少し気になることがありまして。よろしくお願いしますね」
白嶺はいつもと変わらない様子で端末へ視線を落とし、僅かに笑った。昨日のことなど何もなかったような態度に、モニカは目を合わせることもできず、小さく「……はい」と頷いた。
◇
東京から京都までは二十八分。
かつて新幹線と呼ばれた線路の上を、今は真空リニアカプセルが走っている。乗車券も改札もなく、BANREIが本人認証を済ませると、白嶺とモニカの前に個室カプセルの扉が開いた。
発車して間もなく、向かいに座った白嶺がおもむろに口を開いた。
「モニカさん。今日はいつもより綺麗な服ですね」
「特に理由はありません。職場ではないので」
モニカは下を向いたまま答え、話を変えるように駅弁を開いた。
「それより先生、京都のどちらへ向かうんですか?」
「京都市立御所南小学校です」
「先生が二年生までいたという?」
「えぇ」
「何をしに?」
白嶺は少し考え、ぼんやりと窓の外を眺めた。
「――自分探し?」
「自分探し!?」
モニカが思わず顔を上げた隙に、白嶺は駅弁から鮭を摘まみ、当然のように口へ運んだ。
「えっ?」
モニカの箸が止まる。
「だから乗る前に、先生もいりますかって聞いたじゃないですか」
白嶺は鮭を飲み込んでから、ようやくモニカへ目を向けた。
「少しは戻りましたね」
「何がですか」
「緊張です。その方が助かります。京都では少し歩きますから」
何事もなかったように窓へ視線を戻す白嶺を見て、モニカは唇を噛んだ。
「……勝手に人の鮭食べないでください」
「はい。次は聞きます」
「次も食べる気なんですか」
モニカは残りの駅弁を白嶺から守るように引き寄せた。
◇
京都市立御所南小学校。
校門の脇には古びた石碑が残り、刻まれた文字だけは百年以上前と変わっていなかった。
「本当に残っていたんですね」
「えぇ」
白嶺は風に揺れる校庭の木々と、その奥にある校舎を見上げたまま短く答え、校門を抜ける。
その瞬間、足が止まった。
「…………あの記憶」
「先生?」
モニカの声に白嶺の肩が僅かに動く。
「どうかしましたか?」
「いえ。少し既視感があっただけです」
白嶺はそれ以上何も言わず、再び校舎へ向かって歩き始めた。
◇
受付の職員は、白嶺が提示した文明局認証を見るなり姿勢を正した。
「失礼いたしました」
アーカによる認証が完了すると、本人確認も申請書も求められなかった。文明局という肩書きだけで十分らしく、数分後には二人とも教育資料保管室へ案内されていた。
職員が離れるのを待って、モニカが声を落とす。
「先生。今の、完全に文明局の権限を使いましたよね」
「使いました」
「何を探しているかも分かってないのに?」
「それを調べに来ましたから」
モニカは額を押さえた。
「そういう目的で使うものじゃないんですよ」
「そうなんですか」
「今知ったんですか!?」
資料室にモニカの声が響く。
「勉強になります」
「絶対反省してませんよね」
白嶺は答えず、そのまま古い教育記録を調べ始めた。
◇
二十分ほど調べても手掛かりは見つからず、白嶺は端末を閉じてさらに奥の保管室へ入った。
そこには《卒業アルバム》と記された紙媒体が、何百冊も年代順に並べられている。
「日本では、こういうものを学校に残しているんですね」
モニカは興味深そうに一番奥の古い一冊を手に取り、ページを開いた途端に表情を明るくした。
「白黒だ……先生、白黒の写真ですよ」
カラー化された過去の映像を見ることが当たり前になった時代では、本物の白黒写真そのものが珍しい。
そんなモニカを横目に、白嶺は新しい年代から順にアルバムを確認していった。教師と生徒の顔を見ては閉じ、さらに古い年代へ遡っていく。
何冊目かを開いたところで、その手が突然止まった。
「……まさか」
思わず漏れた声に、モニカが顔を上げる。
「先生、どうしました? 自分探しできましたか?」
白嶺は答えず、ページの一点を見つめていた。
「……栗山」
「やっぱり自分がいたんですか? でも二年生なら――」
「資料端末をこちらへ。急いでほしい」
それまでとは明らかに違う声に、モニカも表情を変えた。
「はいっ」
すぐに先ほどの資料室へ戻り、端末を持ってくる。白嶺は受け取るなり学校の記録と卒業アルバムを同時に確認し始め、何度も検索条件を変えていった。
やがて、その動きが止まる。
「……ない。いない」
「何がですか?」
モニカも横からアルバムを覗き込んだ。
そこには一人の女性教員が写っている。その下に記された苗字は――《栗山》。
「先生が探しているの、この人ですか?」
白嶺は答えず、文明局経由へアクセスを切り替えて学校の記録をさらに深く検索した。しかし、どこまで範囲を広げても該当する人物は出てこない。
「どういうことだ……」
白嶺の顔から、いつもの穏やかな表情が消えていた。
モニカも何も言えずにその横顔を見つめていたが、次の瞬間、白嶺の身体が大きく揺れた。
「うっ……!」
「先生!?」
頭を押さえた白嶺がその場に崩れ、モニカは慌てて駆け寄った。
「先生! しっかりしてください!」
床へ落ちかけた白嶺の端末から金色のBANREI――エオンが飛び出し、すぐに緊急医療プロトコルを起動する。
『心拍、血圧ともに危険域。外傷なし。脳活動の異常上昇および、記憶領域への高負荷アクセスを検出』
金色の光が白嶺の全身を走査すると、モニカのBANREIであるミネルヴァも起動し、二つの光核が高速で同期を始めた。
『文明局医療ネットワークへ接続。緊急搬送を要請します』
直後、医療管制AIの音声が割り込んだ。
『患者BANREI識別番号を送信してください』
『BANREIコード、エオンより発信。患者、栗山白嶺。文明局天国センター管理者。神経学的異常反応を確認。緊急搬送を要請する』
数秒の処理時間を挟み、医療管制AIから同じ要求が返ってきた。
『患者BANREI識別番号を送信してください』
エオンの金色の光が僅かに揺れる。
『識別番号なし』
資料室が静まり返った。
モニカは倒れた白嶺を支えたまま、ゆっくり顔を上げる。
「……え?」
『再確認。患者BANREI識別番号を送信してください』
『識別番号なし』
今度は医療管制AIが沈黙し、僅かな処理時間のあとで応答そのものが変わった。
『識別不能個体を確認――特別管理対象と照合。識別番号不要。最優先対応へ移行します。神経医療班および医療ドローンを派遣。到着予測、五十八秒』
モニカの顔から血の気が引いた。
先進国でBANREI番号を持たない人間など、存在しない。まして白嶺は文明局職員であり、天国センターの管理者でもある。
それなのに医療管制AIは、識別番号が存在しないことを問題にしなかった。
《特別管理対象》。
その処理は、まるで白嶺という存在を最初から知っていたかのようだった。
『患者の意識レベル急速低下。応答消失――意識消失を確認』
「先生! 聞こえますか! 先生!」
モニカは倒れた白嶺の身体を抱き起こしたが、何度呼びかけても返事はない。
その傍らでは、床へ落ちた学校端末と開いたままの卒業アルバムが重なっていた。
《栗山》
そこに写っているのは、白嶺と同じ苗字を持つ一人の女性教員。
百年以上前の紙のアルバムには確かに存在しているにもかかわらず、その人物の記録だけが文明局のどこにも残されていなかった。
設定資料 真空リニアカプセル
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音速を超えた!
ソニックブ〜ム




