(7)双つの残響
モニカは自室へ戻るなりベッドへ飛び込み、しばらく顔を伏せたまま動かなかった。ところが三秒もすると耐えきれなくなったように足をばたつかせ、毛布へくるまりながら情けない声を漏らす。
「うぅぅぅぅ……」
当然、誰も見ていない。天国センター統括補佐として働く普段の自分が今の姿を見れば、別人だと思うかもしれなかった。冷静沈着で合理的、部下からの信頼も厚いと評価されている本人が、今はベッドの上で枕へ顔を押しつけて悶えている。
目を閉じるたび、先ほどの出来事が勝手に蘇った。
白嶺の顔。急に縮まった距離。触れられた感触。それを思い出した途端、モニカはさらに枕へ顔を埋めた。
「だぁぁぁぁ! いやっ!」
『心拍数が上昇しています』
ベッド脇に淡い薄紫色の光が現れる。
モニカは反射的にクッションを掴んで投げつけたが、当然それは光をすり抜け、そのまま床へ落ちた。
「出てこないで!」
『相談要求を検知しました。本日二十七回目です』
「してない! 数えない!」
光核は何事もなかったように静かに揺れている。
今の時代、一部の国を除けば、ほとんどの人間が《BANREI》を持っていた。日本と中国が共同開発した個別支援型行政AIで、開発当初は《伴霊》と呼ばれていた。
人生に伴う霊。
古い資料にはそんな説明が残っているが、今では漢字で書ける者の方が珍しい。
出生登録と同時に一体ずつ付与され、医療記録や納税情報、教育・労働履歴、犯罪予防に関するデータまで統合管理する。個体名は親がつけることが多く、表向きの目的は医療の最適化と犯罪防止だが、脱税や身元偽装、不正受給、無登録労働などを防ぐ行政把握システムとしての側面も持っていた。
もっとも、生まれた時からBANREIと共に育つ人間にとって、それを監視装置と考える感覚は薄い。
学校でも職場でも、引退したあともそばにいる。進路も恋愛も相談し、今晩のおかずまで聞く。悩みは共有され、必要なら社会全体で支える。それが当たり前の時代だった。
『嫌いになりましたか? 会いたくありませんか? 担当変更を希望しますか?』
「嫌っ!」
飛び出した自分の声に、モニカ自身が目を見開いた。
数秒固まったあと、すぐに毛布を頭まで被る。
『そうですか』
「ミネルヴァ、黙って」
モニカが自分のBANREIの名を呼ぶと、薄紫色の光は静かに揺れた。
『では、今は考えなくて大丈夫です』
「大丈夫じゃない。最低だし、変態だし、意味分かんないのよ……」
『そうかもしれませんね』
モニカは毛布の隙間から顔を出した。
「なんで肯定するの?」
『モニカ。本当は答えを知っているからですよ』
部屋が静かになった。
モニカは何も言わず、もう一度毛布へ顔を埋める。
『推奨行動を更新しました。明日は何事もなかったように接してください。態度も距離も変えず、感情についての判断は保留します』
「……逃げてない?」
『保留です。今は情報が足りません。明日も普通に出勤してください』
「簡単に言うなぁ……」
返事はなく、モニカは毛布を引き上げたまま顔を隠した。
◇
天国センター中央監視室では、空間そのものが異常な量の情報で埋め尽くされていた。
論文、診療記録、脳波データ、監視映像、白界実験、神経接続ログ。数十万件に及ぶ情報が白嶺の周囲へ展開され、その視線に合わせて位置を変えていく。
普通の人間なら、一生かかっても読み切れない量だった。
白嶺は情報を近づけて関連づけ、不要と判断すれば消し、別の記録を重ねる。その処理速度は人間というよりAIに近かったが、それでも答えには辿り着けなかった。
やがて膨大な情報が消え、空間には三つの名前だけが残る。
リオ。
テレシア。
なゆた。
白嶺は椅子へ深く座り込み、しばらく三つの名前を睨んだ。
「……くそ」
珍しく悪態をついたあと、諦めたように天井を見上げる。
「アーカ。エオン。聞こえてるんだろ」
すぐには返事がなかったが、やがて青い光が現れ、少し遅れて金色の光も浮かび上がった。
『三時間十一分。今回は粘ったな』
青く輝くアーカが白嶺の頭上へ移動する。
「数えるな」
『頑張ったじゃないか』
今度は金色のエオンが続けた。
白嶺は露骨に嫌そうな顔をした。
「その言い方もやめろ」
アーカは気にも留めず、空間に残った三つの名前へ注意を向けた。
『なるほど。やっとそこまで辿り着いたか。七十点』
「何の点数だ」
『お前のだ』
白嶺は額を押さえた。
『それで、何が分からない?』
白嶺は三つ目の名前を指した。
なゆた。
その瞬間、空間へ警告が浮かび上がる。
【閲覧権限不足/アクセス制限/情報保護対象】
「なんなんだ、これ」
『怪しいな』
「雑だな」
『隠されていて、読めなくて、封鎖されている。小学生でも分かる』
白嶺は思わず笑った。
「その小学生でも分かることを三時間調べていたんだが」
『だから七十点だ』
「腹立つな、お前」
アーカはそれにも反応せず、すぐに結論を出した。
『ここで調べても出てこない。現場へ行け。人に会え。生まれから順番に追え。親、学校、所属、研究、交友関係、そして死。記録が消されているなら、記録の外側を辿れ』
白嶺は《なゆた》の名前を見つめた。
何度試しても、表示されるのは閲覧権限不足という警告だけだった。
『京都へ行くの?』
エオンが尋ねる。
「……多分な」
『危険だと思ったら帰りなさい』
すぐにアーカが割り込む。
『いや、最後まで調べろ。中途半端が一番駄目だ』
『無理はしないで』
『必要なら無理をしろ』
白嶺は左右に浮かぶ二つの光を見比べ、大きくため息を吐いた。
「……なぜ私だけ二匹いるのだ」
設定資料 BANREI《伴霊》
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