(6)秘色の胎動
白嶺は、リオ・ヴァレンの中枢化映像を何度も見返していた。
画面に映っているのは、どこまでも真っ白な世界。その中央でリオは立ったまま動かず、環境を変えても音を流しても、人格基準データを再同期しても結果は同じだった。
「再生」
出発前の《アルゴス》船内映像へ切り替わる。無重力の中で金髪を僅かに浮かせたリオが、窓の外を見ながら笑っていた。
『火星に道路を作るんだ。最初の空気、最初の水、最初の灯り。そういうのを作りに行く』
白嶺はそこで映像を止め、再び白界へ戻した。
「感覚刺激と人格基準データを再同期」
『完了しました。反応に変化はありません』
システムは何度調べても正常と返し続ける。それでもリオは動かず、幸福指数も測定できないままだった。
少し離れた席では、モニカが通常利用者の中枢化記録を確認していた。
天国センターでは、死者の記憶や欲求から環境を構築し、その中で生じる幸福反応を測定する。家族との再会、失った時間のやり直し、現世では叶わなかった夢。表向きだけを見れば、救済と呼んでも差し支えのない穏やかな業務だった。
しかし、死者が望むものまで穏やかとは限らない。
モニカの画面には、生前教師だった男の天国が映っていた。勤務評価は高く、保護者からの信頼も厚い。犯罪歴もなく、生前のAI人格診断でも重大な危険傾向は検出されていなかった。
その男が望んだのは、自分へ逆らわない子どもたちだけを集めた小さな教室だった。逃げることも拒絶することも許さず、教師である自分だけが絶対的な権限を持つ世界。
モニカは途中で映像を閉じた。
「……最低」
「何かありました?」
「見ない方がいいです」
白嶺はリオの白界を拡大しながら、それ以上追及しなかった。
「多くの人は、自分で幸福を作るのがあまり上手ではありませんからねぇ」
「知能の問題ですか?」
「それだけではありません。どれだけ強く望んだものでも、手に入れば慣れてしまう。快楽、支配、復讐、承認だけでは幸福を長く維持できず、関係性や役割、自己決定、成長、意味づけのようなものまで必要になります」
「天国なのに?」
「天国だからですよ。制限がなくなれば、何を選ぶかはその人次第ですから」
モニカは次の記録を開いた。
生前、慈善事業へ長く携わっていた女性で、AI診断では共感性も社会貢献意識も高いとされていた。ところが中枢化後は、自分に感謝しない夫を罰し、理解しない娘を泣かせ、最後には家族全員を屈服させる。それでも満足できなくなると世界を初期化し、同じことを最初から繰り返していた。
モニカは眉間を押さえた。
「これだけ情報を集めても、AIには分からないんですね」
「予測はできます。ただ、本人が死後に何を選ぶかまでは、実際に接続しなければ分からない部分があります。AIは心を読む装置ではありませんから」
「だから遺族には、家族の天国を見せないんですね」
白嶺の指が止まった。
「家族……」
「テレシアさんは、最後には身体も記憶も壊れてました。でも、さっきの人たちを見てると……家族が死後に何を望んだかなんて、知らない方がいいのかもしれません」
「なぜです?」
「お父さんが自分のいない世界を選んでいたり、お母さんが本当は家族を憎んでいたり、子どもが親のいない場所で幸せになっていたり。逆に、自分のためだけに誰かを閉じ込めていたり……そんなものを残された人が全部見たら、たぶん耐えられませんよ」
「法の趣旨とも一致しますね」
「そういう話じゃないです。人間が耐えられないって話です」
「なるほど」
「今の『なるほど』、絶対ちゃんと聞いてないですよね」
「聞いていますよ」
そう答えながら、白嶺はすでに別の記録を開いていた。
画面に現れたのは、テレシアと赤ん坊が暮らしていた木造住宅だった。白嶺は環境ログから室内の生活音、揺り籠の軋み、赤ん坊の呼吸を順番に分離し、その中からテレシアが時折口ずさんでいた短い旋律だけを抽出する。
「これをリオへ送ります」
「理由は?」
白嶺の手が一度止まった。
「……分かりません。だから試します」
白界へ、揺り籠の軋む音と低い旋律が送られた。
リオ自身は動かなかったが、モニターの端に小さな波形が立った。
「……先生、今の」
「もう一度」
同じ音を流すと、今度はリオの右手、その指先だけが僅かに揺れた。
白嶺はすぐに別の母子記録から似た環境音を探して白界へ流したが、反応はない。再びテレシアの音声へ戻すと、先ほどと同じ小さな波形が立った。
「どういうことですか」
「分かりません」
「先生がそれ言う時、大体ろくなことにならないですよね」
「否定はできませんねぇ」
白嶺はテレシアの記録、リオの白界、身体データ、ヴィクターとの通信ログを同時に並べた。
『肉体には履歴が残る。戸籍より正直にな』
「何を探してるんですか」
「それが分かれば、探す必要はありませんよ」
モニカはしばらく白嶺の横顔を見ていた。
「なんか楽しそうですね」
「そう見えますか?」
「はい。私は逆です。毎日こういうのを見てると、ちょっと嫌になります。死んだ後なら少しくらい綺麗になるのかと思ってましたけど、結局そのままなんですね」
「人格が連続している以上――」
「今、それをデータの話にしないでください」
白嶺は続きを言わなかった。
「先生は、人を見てるようで見てないんですよ。欲望も悲しみも愛情も、全部反応として見るでしょう。必要なのは分かります。でも、それだけじゃないです」
俯いたモニカの頬を、涙が一筋伝った。
白嶺はその顔を見つめた。
「涙が出ていますね。呼吸も浅くなっていますし、嫌な記憶へ注意が固定されて――」
「全部分かってます。だから何ですか」
そこで白嶺は口を閉じた。
モニカの涙、呼吸、視線、肩の動きを数秒眺めたあと、椅子から立ち上がって彼女の前へ移動する。
「先生?」
そのまま白嶺は、モニカへ口づけた。
長くはなかった。
突然のことにモニカは動けず、白嶺が離れてからも数秒その顔を見ていたが、やがて右手を振り上げた。乾いた音が響き、白嶺の顔が横を向く。
「……何をしたんですか」
「注意の固定を切りました。涙も止まっています」
「止まったんじゃありません。別の感情で上書きされたんです。そういう話をしてるんじゃない」
白嶺は赤くなった頬へ手を当てながら、モニカの顔を確認した。
「目的自体は達成できています」
「最低です」
「不快でしたか?」
「不快です。それ以上、分析しないでください」
モニカは唇を手の甲で乱暴に拭った。
それでも白嶺が何か言おうとしたため、すぐに睨み返す。
「今、何を言おうとしました?」
「接触刺激による一時的な反応で、恋愛とは――」
「だから分析するなって言ってるんです!」
白嶺は口を閉じた。
「先生は、人が恥ずかしがってる時まで反応として見るんですか?」
「数値にはしていませんよ」
「そういう問題じゃないです」
モニカが声を荒らげても、白嶺の注意は長く続かなかった。数秒もしないうちに視線はリオのモニターへ戻り、テレシアの音声に反応した波形を確認し始める。
その横顔を見たモニカは、唇を拭っていた手をゆっくり下ろした。
「……今も私を見てないでしょう」
「見ていますよ」
「違います。先生は、私じゃなくて私の反応を見てるだけです」
白嶺は何も答えなかった。
モニカはしばらく返事を待っていたが、やがて端末を机へ置き、そのまま部屋を出ていった。
自動ドアが閉じるまで、白嶺はその背中を見ていた。
静かになった個室で再びテレシアの旋律を流すと、白い世界の中央に立つリオの指先が僅かに動き、先ほどと同じ波形が現れた。
白嶺はその反応を拡大しながら、小さく呟いた。
「……なぜ」
【心理学の小ネタ】
白嶺がいきなりキスしたのは、恋愛ではありません(笑)
心理学には「注意転換」という考え方があります。
人は強いショックを受けると、そのことばかり考えてしまいます。
そこで、もっと強い刺激を与えて意識を切り替える方法です。
……まあ、普通はキスなんてしません。
でも白嶺は、「反応が変わるか実験してみよう」という発想の人。
相手の気持ちを考える前に、効果を確かめる。
だからモニカは怒ります。
怒られて当然だな。




