4章 Cinderella’s Final Moments(1)欠陥
モニカは机の上へ投影された波形データを眺めながら、無言で入力を続けていた。
DEX対象者の精神安定率は、今日も基準値を下回っている。
端末の青白い光が、薄暗い研究室へ静かに浮かんでいた。
室内には、冷却装置の低い駆動音だけが流れている。
白嶺は少し離れたモニター席で、別の中枢化映像を見ていた。
老人の夫婦が、食卓で味噌汁を飲んでいる。
ただそれだけの映像。
なのに白嶺は、珍しく長い時間その画面を閉じなかった。
モニカはキーボードを打ちながら、小さく言う。
「先生」
「……あぁ、そう言えば私は先生と呼ばれているのでしたね」
白嶺は中枢化モニターを見たまま虚ろに答える。
「先生は、どちらの大学を出られたんですか」
「出ていません」
即答だった。
モニカは手を止める。
「……中退ですか?」
「いえ」
白嶺は少し考える。
「退学もしていませんね」
モニカは眉をひそめた。
「では、最終学歴は?」
白嶺は初めてモニターから目を離した。
「学歴?……」
本当に確認するみたいに呟く。
「京都市立御所南小学校二年生です」
モニカは数秒黙った。
「……はあ?」
「そこが最後ですね」
「いや、待ってください」
モニカは思わず笑う。
「じゃあそこから独学で、記憶保持中枢化を?」
「独学……」
白嶺は少しだけ首を傾げた。
「どうなんでしょう」
「どうなんでしょうって……」
「気づいたら、皆が聞きに来るようになったので」
白嶺は穏やかに微笑む。
「成り行きです」
「成り行きって……」
モニカは頭を抱えた。
「いや、意味分かんないですから」
白嶺は少し黙る。
モニターの光が、その横顔を白く照らしていた。
「最初は、脳波の残響を見ていただけなんです」
「残響?」
「人って、強い感情の直後だけ、脳波が少し遅れるんですよ」
白嶺は空中へ指を動かした。
古い脳波ログが投影される。
怒鳴っている男。
泣いている女。
笑顔。
その直後に残る、僅かな波形。
「皆、脳は停止したら終わりだと思っていました」
白嶺は静かに続ける。
「でも完全停止って、実際にはかなり曖昧なんです」
モニカは画面を見る。
脳波の尾が、死後もしばらく揺れている。
「最初は医療事故扱いでした」
「え?」
「死亡判定後の患者映像が、一瞬だけモニターへ出力されたんです」
モニカの眉が動く。
「それって……」
「ただのノイズだと言われました」
白嶺は少し笑う。
「でも私には、人の顔に見えた」
研究室が静かになる。
「そこから、ずっと見てました」
「……一人で?」
「はい」
「論文も無しに?」
「論文の意味がよく分からなかったので」
白嶺は本当に不思議そうだった。
「映像化できるなら、皆すぐ作ると思ってました」
モニカは言葉を失う。
「でも誰も作れなかったんですか?」
「皆、“脳”を難しく考えすぎていたので」
白嶺はモニターへ視線を戻す。
「人間って、意外と単純なんですよ」
画面の中では、中枢化した老人が静かに笑っていた。
「脳は、死んでも急には諦めないので」
そこで文明局からメッセージが来た。
【DNR-600552 氏名小谷野 朋子 60歳、女性より契約が交わされた。至急対応せよ】
「仕事だ。」
モニカはウンザリしたように呟く。
「また珍しいケースですね」
白嶺も微笑ではあるが呟く。




