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第99話:黒鐘卿の記録と、帝国の算盤

第99話をお読みいただきありがとうございます!


今回は、黒の円卓側と帝国側から競技場事件を振り返る回です。

黒鐘卿にとっては失敗すら観測結果であり、帝国にとってアレンは測定不能の兵装候補。

王国とは違う冷たい視点を楽しんでいただけると嬉しいです。

 王都の空から遠く隔てられた、どことも知れぬ黒い円卓の間。


 そこには窓も扉もなかった。


 あるのは、闇に沈む円形の卓と、その中央で静かに回転する黒銀の鐘だけだ。


 鐘の表面に、競技場での戦闘記録が映し出されていた。風の道を開くルシアン。氷で鐘の縁を止めるエレナ。黒糸を読むクロード。追尾する風で測定針を払うアルベルト。そして、和泉守兼定を赤黒い炎で染め、仮殻の核を貫いたアレン。


 黒鐘卿は、砕けた仮面の半面を指先で撫でた。


「仮殻破損。原型反発率、想定以上。虚孔深度、直接測定失敗」


 淡々とした声に、悔しさはない。


 むしろ、その奥には研究者の歓喜すら滲んでいた。


「しかし、収穫はあったのだろう?」


 円卓の奥から、誰かの声がした。顔は見えない。黒い霧の向こうに、ただ席だけがある。


 黒鐘卿は恭しく頷く。


「はい。原型は、鐘の音を呑む。だが、完全な無傷ではない。大量の恐怖、祈り、残響を流し込めば、虚孔の縁に泥のような沈殿が残る」


 黒銀の鐘に、アレンがわずかに膝を沈める映像が映る。


「あれが限界か」


「いいえ。限界ではなく、反応点です。器の底は測れませんでした。ですが、縁は揺らせる。揺らせるなら、調律は可能です」


 円卓の闇が、かすかにざわめいた。


 調律。


 それは黒の円卓にとって、ただの精神支配を意味しない。魔力の器を持たぬ空白を、鐘の譜面へ置き換えるための手順だった。


 黒鐘卿は、折れた指揮杖を卓へ置く。


「王都外縁へ再同期座標を移しました。旧外郭水門。地下排水路と旧魔力排出管が交差する、古い流れの結び目です」


「王国は追ってくるか」


「必ず。王家は旗を立て、グランヴェルは実務を担い、アレンは裏の刃として来る。加えて、帝国も動くでしょう」


 黒鐘卿の声が、少しだけ低くなる。


「クラウス・フォン・バルツァー。あの男は邪魔です。銃撃は美しくないが、観測対象としては厄介極まりない」


「帝国が我らと同じ獲物を見ている、ということか」


「はい。彼らは原型を兵器として測る。私たちは鐘として測る。目的は違えど、視線は同じです」


 黒銀の鐘に、次の映像が浮かぶ。


 帝国席で、退屈そうに目を細めていた皇太子ヴィルヘルム。


 そして、その傍らで魔導小銃を下げなかったクラウス。


「ならば、旧外郭水門は王国、帝国、我々の三者が交わる場となる」


「ええ。実験場としては、申し分ありません」


 黒鐘卿は、砕けた仮面をそっと卓上の黒い鐘へ沈めた。


 鐘が、音もなく欠片を呑む。


「次は、原型の虚孔だけではありません。王国の旗、帝国の銃、学園の魔法。それらすべてを同時に鳴らします」


 ◇


 同じ頃。


 聖アイビス国立魔法学園に用意された帝国使節団の控室では、重い沈黙が落ちていた。


 黒に近い軍装を纏ったヴィルヘルム・フォン・バルディアは、窓辺に立ち、競技場から退避していく人波を見下ろしていた。


「王国の祝祭は、随分と騒がしいな」


 皮肉のようで、声には怒りも嘲笑もない。


 クラウス・フォン・バルツァーは、魔導小銃の薬室を確認しながら答えた。


「祝祭ではありません。戦力査定の場です。そして本日、その査定対象に黒の円卓が割り込みました」


「評価は」


「王国の学生は未熟。しかし一部は実戦へ転用可能。ルシアン・ド・グランヴェルは指揮官として有用。エレナ・ド・フロストハイムは防衛線の構築に適性。クロード・ヴァン・オルタニアは精神干渉の解析役として危険。アルベルト・ヴァン・ウインザードは、性格はさておき制御精度が高い」


 ヴィルヘルムの口元が、わずかに動く。


「性格はさておき、か」


「戦場では評価項目に入りません」


「では、あの平民は?」


 クラウスは一拍だけ沈黙した。


 紫煙が、部屋の空気に細く伸びる。


「平民として扱うべきではありません。魔力値ゼロ。だが、魔法体系外の反応を示す。黒の円卓が原型と呼ぶ理由は不明ながら、兵器化された場合、戦場の常識が変わります」


「帝国に必要か」


「必要か不要かで言えば、必要です。ただし、制御不能のまま保有すれば、味方の戦列も切り裂く」


 ヴィルヘルムは窓から視線を外した。


「黒の円卓に渡すよりは、王国に持たせておく方がまだ読めるか」


「現状では」


「現状では、か」


 皇太子は静かに笑った。


 その笑みは若者のものではなく、国境線を盤面として見る者のそれだった。


「旧外郭水門へ奴らは向かうな」


「はい。王国は正式調査隊を組むでしょう。黒の円卓も待ち構えるはずです」


「帝国は?」


「表向きは、王国の治安維持を尊重します」


「表向きは」


 ヴィルヘルムは、机上の王都地図へ指を置いた。


 王都東外縁。


 旧外郭水門。


 その一点を、軽く叩く。


「クラウス。黒鉄衆を動かせ。王国より先に手を出すな。だが、黒の円卓が何を回収しようとしているのか、必ず掴め」


「承知」


「それと、アレンという少年を殺すな」


 クラウスの灰色の瞳が、わずかに細まる。


「理由を」


「あれは、まだ王国の刃だ。だが、黒の円卓にとっては鐘であり、帝国にとっては測定不能の兵装候補だ。壊すには早い」


「捕獲対象に指定しますか」


「今は観測対象だ。王国の旗の下で、どこまで動くかを見ろ」


 クラウスは短く頷いた。


 帝国の判断は速い。


 情ではない。


 価値があるから、生かす。


 脅威だから、測る。


 必要になれば、奪う。


 ヴィルヘルムは窓の外へ視線を戻した。


 競技場の上には、まだルシアンの風の残滓が薄く揺れている。


「王国の神童。魔力ゼロの刃。黒の円卓の鐘。面白い盤面になった」


 クラウスは葉巻に火をつけ直す。


「盤面ではありません。戦場です」


「だから面白いのだ」


 皇太子の声は静かだった。


 王国が傷を塞ぐ間に、黒の円卓は鐘を鳴らす準備を進め、帝国はその両方を測っている。


 旧外郭水門へ向かう道は、すでに三つの影に踏まれていた。

第99話をお読みいただきありがとうございました!


今回はアレンたちの勝利を、敵側と帝国側がどう見ているのかを書く回でした。

黒鐘卿の「調律」という言葉はかなり不穏で、帝国のヴィルヘルムとクラウスもまた、味方ではない冷たい魅力を出せたと思います。

次の旧外郭水門編に向けて、盤面がかなり面白くなってきました。


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