第97話:鐘鳴る競技場、総力の防衛線
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今回は、競技場が一気に本物の戦場へ変わる回です。
ルシアンや学生たち、教師、護衛、従者たちがそれぞれの役割で動きます。
エレナ、アルベルト、クロードも、それぞれの得意分野で防衛線を支えます。
そして、シオンがアレン不在の間に身につけた新たな剣技にも注目していただけると嬉しいです。
黒い鐘の気配が、アレンへ収束する。
貴賓席の空気が、見えない糸で一箇所へ引き寄せられるように歪んだ。
アレンの胸奥で、虚孔が冷たく疼く。
呼ばれている。
いや、測られている。
「局長、顔色悪いよ?」
シオンが、砕いた黒銀の針を床へ落としながら覗き込んだ。
「気のせいだ。お前は貴賓席を押さえろ」
「うん。でも、ボクも強くなったからね。前みたいに、待ってるだけじゃないよ」
その声は軽い。だが、足先はすでに次の踏み込みへ向けて沈んでいる。
直後、競技場の四方で黒い火花が弾けた。
観客席の給仕、警備に立つ下級騎士、記録係の教師補佐。何人もの人影が、同時に黒い仮面を顔へ押し当てた。仮面は肌へ溶け込み、胸元に鐘の紋様が浮かび上がる。
「潜伏者か」
ガラルドが低く呟く。
貴賓席だけではない。観客席、選手待機席、審判席。黒の円卓は、祝祭の人混みそのものに紛れていた。
ごぉん。
今度の鐘は、命令ではなかった。
合図だった。
黒仮面の者たちが一斉に動く。観客席の支柱へ黒い釘を打ち込み、競技場の結界に穴を開けようとする者。選手待機席へ走り、学生を人質にしようとする者。貴賓席へ再び針を投げる者。
競技としての魔法を見せていた学生たちは、最初の一瞬、動けなかった。
魔法を競う訓練は受けている。
得点を取る魔法も、観客に見せる魔法も知っている。
だが、背後にいる誰かを守りながら、敵の殺意だけを止める魔法は、別物だった。
「全員、下がらないで!」
その沈黙を破ったのは、ルシアンだった。
彼は競技場中央へ杖を掲げ、短い符号を重ねる。
「風四式、隔壁。土二式、腰壁。水三式、静環。光一点、標識」
風の壁が観客席と競技場の間に薄く立ち上がり、土の低い壁が子供や非戦闘員の前へ走る。水の輪が足元に広がり、逃げ道を青く照らした。
「避難誘導と防壁維持! 攻撃は教師と護衛に任せて!」
声が通った。
それだけで、震えていた学生たちの目に焦点が戻る。
リナが真っ先に木刀を抜いた。
「分かった! セレナ、左の待機席!」
「言われなくても分かっていますわ!」
セレナは短剣ではなく訓練用の木刀を構え、泣きそうな下級生の前へ立った。リナの雷が黒仮面の足元を弾き、セレナの踏み込みがその進路を潰す。
「汚らわしい足で、こちらへ踏み込まないで」
冷たい声とともに、白銀の氷壁が待機席の前へ走った。
エレナ・ド・フロストハイムだった。ライトブルーの瞳を細め、扇を持つような優雅な手つきで氷の槍を並べる。黒仮面が壁を殴った瞬間、衝撃は氷牙となって跳ね返り、男の肩を容赦なく貫いた。
「守る相手が平民だろうと、ここは学園です。私の前で、無様な悲鳴を増やすことは許さないわ」
別方向から、緑の風が唸った。
「やれやれ、まったく美しくない騒ぎですねえ」
アルベルト・ヴァン・ウインザードが高級羽扇子をひと振りする。目に見えない風の刃が、黒仮面の足首だけを追尾して切り裂き、観客席へ伸びる手を正確に止めた。
「本来なら、私の風はもっと優雅な舞台で披露されるべきなのですが。観客を傷つける無粋者を放置するよりは、まだマシでしょう」
さらに、クロード・ヴァン・オルタニアが青ざめた顔で指先を広げた。
銀色の精神感応糸が、黒仮面の胸元から伸びる鐘紋へ絡みつく。
「彼らは自分の意思で完全に動いているわけではありません。鐘の合図で同期させられている。首ではなく、胸元の鐘紋を止めてください」
その解析が入った瞬間、学生たちの魔法は乱暴な攻撃から、急所を外した拘束へ切り替わった。
華やかな大会の魔法ではない。
泥臭く、必死で、守るための一歩だった。
「教師陣、結界の外縁を塞ぎなさい! 護衛騎士は貴賓席と観客席の間へ!」
エレノアの声が、競技場を切った。
深紅のドレスが翻る。彼女の足元から黒紫の魔法陣が開き、観客席へ伸びかけた鐘の波紋を次々に縫い止めた。
「研究対象としては面白いけれど、私の庭で好き勝手されるのは不愉快だわ」
教師たちが一斉に動く。
火の教師は支柱の黒釘を焼き、土の教師は崩れかけた通路を補強する。王宮護衛の騎士たちは盾を並べ、グランヴェル家の執事や各家の従者たちは、主人の前で静かに短剣を抜いた。
そこには、学生の舞台とは違う硬さがあった。
点を取るためではない。
誰かを生かすための、職務の動きだった。
「よそ見してんじゃねえ」
アレンの声が、貴賓席の端で落ちた。
黒仮面の一人が、貴婦人の背後へ忍び寄っていた。アレンは瞬歩で距離を消し、和泉守兼定の峰で男の顎を叩き上げる。倒れた男の胸元から、黒い鐘紋が剥がれかけた。
「生身に貼りつけた使い捨てか。胸糞悪い」
クラウスの魔導小銃が火を噴き、別の黒仮面の肩を正確に撃ち抜いた。
「殺傷より無力化を優先するのか」
「観客の前で死体を増やせば、また鐘の餌になる」
「合理的だ」
「お前に褒められても嬉しくねえ」
その時、貴賓席の天井近くに黒い輪が開いた。
中から、鐘鳴りの兵が三体、貴賓席へ落ちる。
狙いは国王ではない。
アレンだ。
「局長!」
シオンが飛び出した。
これまでの二段突きとは違う。
一歩目で姿が消え、二歩目で浅葱の残像が三つに割れた。実体は一つ。だが、足裏へ逃がした膨大な魔力が、踏み込みの余韻を刃の軌跡として残している。
魔剣『瞬界・三段霞』。
一突き目が鐘鳴りの兵の腕を弾く。
二突き目が首核の位置を暴く。
三突き目が、遅れて霞の奥から現れ、核だけを貫いた。
兵が一体、黒い霧になって崩れる。
「へへ。どう、局長。ボク、留守番中に増やした」
「悪くねえ」
アレンは短く返した。
それだけで、シオンの顔がぱっと明るくなる。
「よーし、もっとやる!」
残る二体へシオンが斬り込む。その背を、アレンは一瞬だけ見た。
速いだけではない。
待てるようになっている。
相手の核が見えるまで、一呼吸を残せるようになっている。
アレン不在の間、この少女は確かに自分の足で強くなっていた。
「上等だ」
アレンは兼定を構え直す。
黒い鐘の気配は、なおも自分へ集まっている。競技場のあちこちで黒仮面が倒され、潜伏者の包囲網が破れ始めているのに、鐘の中心だけは濃くなっていた。
ルシアンが競技場中央から、こちらを見上げる。
遠い。
だが、目が合った。
ルシアンは何も叫ばない。ただ杖を少しだけ掲げ、風の道を開く。
アレンが動くための道だ。
「分かってるじゃねえか」
アレンは低く笑った。
黒い輪の奥から、黒鐘卿の声が滲む。
「総力防衛、記録。原型への収束、継続。次鐘、直下へ」
競技場の中央、その床下で巨大な影が脈打った。
アレンは貴賓席の欄干へ足をかける。
下には学生たちがいる。教師がいる。護衛がいる。ルシアンがいる。
そして、黒の円卓が開こうとしている鐘の口がある。
「シオン、貴賓席を任せる」
「うん。行ってらっしゃい、局長」
アレンは笑った。
次の瞬間、和泉守兼定を手に、競技場中央へ向かって飛び降りた。
第97話をお読みいただきありがとうございました!
今回は、学生たちの競技としての魔法と、教師や護衛たちの守るための実戦を対比するのがポイントでした。
シオンの新技『瞬界・三段霞』は、速いだけではなく「待てるようになった」成長を出したくて書いています。
アレンに「悪くねえ」と認められてぱっと明るくなるシオン、可愛かったですね。
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