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第96話:貴賓席の黒鐘と、浅葱の二段突き

第96話をお読みいただきありがとうございます!


今回は、黒い鐘がついに貴賓席へ伸びる回です。

ガラルドを守るシオンの二段突き、そして国王の前でも一切怯まないアレンの動きに注目していただけると嬉しいです。

黒の円卓が王国の内部権限にまで触れている疑いも出てきます。

 貴賓席は、競技場の熱狂から一段高い場所にあった。


 王国旗、各公爵家の紋章旗、帝国の黒銀旗。磨き上げられた白石の欄干の内側で、王族、有力貴族、他国使節たちが、穏やかな微笑みを貼り付けて競技を眺めている。


 だが、その空気は薄い氷のように張りつめていた。


「ふむ。ルシアンの風が変わったな」


 ガラルド・ド・グランヴェルは、競技場上空に広がる見えにくい風幕を見上げ、低く呟いた。


 その背後に控えるシオンは、浅葱色の羽織の袖を小さく揺らしながら、ぽわりとした笑顔のまま首を傾げる。


「ルシアン様、上手だねえ。見てる人は演出だと思ってるけど、あれ、何か逃がしてる」


「分かるか」


「うん。足の裏が、ちょっと気持ち悪い」


 日常の声音は柔らかい。だが、シオンの瞳の奥だけは、すでに獲物を見つけた刃のように細くなっていた。


 少し離れた帝国席では、皇太子ヴィルヘルム・フォン・バルディアが退屈そうに肘をついている。だが、その視線は眠っていない。競技場ではなく、王国貴族たちの表情を観察していた。


 そのさらに端。


 グスタフ・ヴァン・ボルテールの拳から、微かな雷光が漏れていた。


 息子の停学以降、ボルテール家へ向けられる視線は明らかに冷たい。誰も面と向かって嘲らない。だからこそ、視線の端、扇の陰、咳払いの一つ一つが、彼の神経を削っていた。


 そこへ、鐘が忍び込んだ。


 ごぉん。


 貴賓席にいる者の耳には、ほとんど聞こえない。


 けれど意味だけが、胸の奥へ薄く染み込む。


 疑え。


 怒れ。


 奪われた面子を取り戻せ。


 グスタフの指先から、雷がさらに強く弾けた。


「……グランヴェルめ」


 その呟きは小さかった。だが、周囲の貴族が一斉に目を向けるには十分だった。


 ガラルドは動かない。


 ただ、背後のシオンへ短く告げた。


「来るぞ」


「うん」


 次の瞬間、欄干の装飾に埋め込まれていた黒銀の針が、細く伸びた。


 狙いはガラルドの首筋。


 シオンの姿が消えた。


 正確には、誰の目にも踏み込みが見えなかった。浅葱色の影が一瞬で欄干の前へ滑り込み、細剣の切っ先が二度、同じ線を走る。


 天然理心流、魔剣『瞬界・二段突き』。


 一突き目が黒銀の針の先端を弾き、二突き目が針の根元を貫いた。


 硬質な悲鳴のような音を立てて、針が砕ける。


「ガラルド様、少し下がってね。これ、触ると嫌な感じする」


 シオンは笑っていた。


 だが、その目はもう完全に戦闘の目だった。


 貴賓席の空気がざわめく。


「何事だ」


 国王レオンハルト・ヴァン・アイビスが、低く問う。


 その声だけで、場の混乱が一段押し戻された。豪胆な王の視線が、砕けた黒銀の針、雷を漏らすグスタフ、そして競技場上空の風幕を順に捉える。


「どうやら、祝宴に招かれざる客が紛れ込んだようだな」


 ガラルドが静かに応じる。


 そこへ、床下の点検口が内側から蹴り開けられた。


 白石の床に黒い影が躍り出る。


 アレンだった。


 和泉守兼定は抜かれたまま。刃には、まだ薄く硝煙の臭いが残っている。その後ろから、クラウスが魔導小銃を片手に現れた。


 王国貴族たちの顔色が一斉に変わる。


「貴賓席に抜刀した平民が――」


「黙ってろ」


 アレンの一言で、その貴族は喉を詰まらせた。


 公的な礼儀を整える余裕はない。今この場で必要なのは、作法ではなく、誰が何を殺そうとしているかを見抜く目だった。


「ガラルド様、国王陛下。失礼します。黒の円卓の仕掛けです。貴賓席の魔力系統に、黒い鐘の針が入ってる」


 国王は愉快そうに目を細めた。


「ほう。余の席まで狙うとは、大胆な虫どもよ」


 ヴィルヘルムが、帝国席から静かに口を開く。


「王国の貴賓席に、外部の工作物が事前設置されていた。警備上の失態だな」


 その言葉に、王国貴族たちが色めき立つ。


 だが、クラウスが冷たく遮った。


「皇太子殿下。今は責任追及より除去が先です」


「分かっている。続けろ」


 アレンは欄干へ近づいた。


 砕けた針の根元。その奥に、細い黒い線が残っている。魔力管ではない。感情を流すための傷だ。


 しかも、その縁に、見覚えのある形が刻まれていた。


 王国式の正式封蝋紋。


 アレンの眉が、わずかに動く。


「……外から無理やり刺したんじゃねえ。内側の許可を偽って通してやがる」


 ガラルドの目が、鋭く細まった。


「学園か、王宮か。いずれにせよ、権限持ちが噛んでいるな」


 黒い線が震えた。


 ごぉん。


 今度の鐘は、貴賓席全体を狙う。


 疑え。


 裏切れ。


 隣の者を敵と見ろ。


 扇を握る貴婦人の手が震え、老貴族が隣国使節を睨み、グスタフの雷がさらに濃くなる。


 このままでは、黒の円卓が手を下すまでもない。


 貴族たちが、自分たちで刃を抜く。


「シオン」


 アレンが短く呼ぶ。


「なあに、局長」


「貴賓席の端から端まで、針を探して折れ。根元は残すな」


「りょーかい」


 シオンの声は明るかった。


 次の瞬間、浅葱色の影が貴賓席を駆けた。装飾柱の陰、椅子の脚、紋章旗の留め具。誰も気づかなかった黒銀の針が、二段突きで次々と砕かれていく。


 クラウスは魔導小銃を構え、銃口を天井へ向けた。


「感情波の集中点、三つ」


「撃つな。貴族どもの頭上だ」


「散弾ではなく遮断弾を使う」


 三発。


 青白い魔導弾が天井近くで弾け、黒い鐘の波紋を薄く裂いた。


 アレンはその光を見た。


 道が見える。


 兼定の刃に、赤黒い炎が再び宿った。


 業火流『硝煙ノ灯』。


 アレンは鐘の意味が流れ込んでくる方向を、銃火の残滓と黒い線の震えから逆に辿った。


 欄干の中央。


 王国旗の真下。


 そこに、最後の接続針がある。


「陛下、失礼」


 アレンは国王の前を横切った。


 臣下なら許されない無礼。だが、レオンハルトは笑った。


「よい。斬れ」


 その一言で、貴賓席の空気が決まった。


 アレンは踏み込み、兼定を突き入れる。


 天然理心流、平突き。


 刃は欄干の石材を砕かず、その奥に潜む黒銀の針だけを貫いた。


 ごぉん、と鳴りかけた鐘が、途中で潰れる。


 黒い波紋が弾け、貴賓席に満ちていた疑心の霧が薄れていく。


 グスタフが荒い息を吐き、額に汗を浮かべた。自分が何を口走りかけていたのか、遅れて理解した顔だった。


 床に落ちた最後の針の欠片に、文字が浮かんだ。


 貴賓席接続、失敗。


 王国正式経路、再利用不可。


 次段階、対象を原型へ収束。


 アレンはその文字を見下ろし、静かに兼定を引いた。


 国王の笑みが深くなる。


 ガラルドの視線は、すでに別のものを見ていた。王国式の封蝋紋。つまり、この国のどこかに、黒い鐘へ道を開けた者がいる。


 アレンは刃についた黒い煤を払った。


「どうやら次は、こっちへ来るらしい」


 クラウスが淡々と答える。


「好都合だ。餌に食いついた瞬間を撃てる」


 シオンが、砕いた針の欠片を両手いっぱいに抱えて戻ってきた。


「局長、全部折ったよ。褒めて」


「あとでな。まだ終わってねえ」


 アレンは競技場の中央を見下ろした。


 歓声は続いている。


 だが、黒い鐘の気配はもう、外へ散っていない。


 一点へ、収束している。


 アレンの胸奥の虚孔が、冷たく疼いた。


 次に鳴る鐘は、自分を狙っている。

第96話をお読みいただきありがとうございました!


今回は、シオンの「ぽわぽわしているのに戦闘になると一気に鋭い」魅力を書くのが楽しかったです。

国王の「よい。斬れ」も、豪胆さが出せてお気に入りの台詞になりました。

アレンが作法より命を優先して突っ込む場面も、彼らしくてかっこよかったですね。


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