第95話:主導管の鐘と、神童の静寂
第95話をお読みいただきありがとうございます!
今回は、競技場の歓声が黒い鐘の燃料に変わっていく回です。
地下ではアレンとクラウスが主導管へ突入し、表ではルシアンが異常を察して競技場を守ります。
噛み合わない二人の共闘と、表裏で支え合うアレンとルシアンの関係にも注目していただけると嬉しいです。
競技場の地下へ続く補助階段は、歓声の振動で細かく震えていた。
石壁の奥を、目に見えない血管のような魔力管が走っている。そこを流れるのは、ただの魔力ではない。観客席から降ってくる熱狂、期待、嫉妬、焦り、勝利への渇望。人の心が吐き出す雑多な熱が、一本の流れに撚り合わされ、地下深くへ吸い込まれていた。
「大した仕掛けだな。祭りの拍手まで餌にしやがる」
アレンは和泉守兼定を低く構えたまま、階段を駆け下りる。
隣を走るクラウスは、葉巻を噛み潰すように口端で押さえた。
「大規模感情流を動力化する発想自体は合理的だ。問題は、制御権が敵にあることだ」
「感心してる場合か」
「評価と警戒は両立する」
「可愛げのねえ男だ」
言い終える前に、下層の扉が内側から膨れ上がった。
黒い鐘の紋様が、鉄扉の表面に浮かぶ。ごぉん、と低く鳴った瞬間、扉が破裂し、鐘鳴りの兵が三体、湿った影を引きずりながら飛び出した。
アレンは踏み込む。
瞬歩。
草木もない石床でさえ、音は立たない。重心を床へ吸わせ、力を跳ね返させる。気づいた時には、アレンの身体は一体目の懐に入り込んでいた。
兼定の刃が、兵の喉から胸を斜めに裂く。
だが、黒い血は出ない。裂け目から、観客席の歓声のようなものが漏れた。
「……こいつら、表の声を混ぜられてる」
「ならば、弾く」
クラウスの魔導小銃が二発、乾いた音を立てた。弾丸は残る二体の膝と肩を正確に撃ち抜き、黒い身体を床へ縫い付ける。
アレンはその隙に首核を断った。
兵が崩れ、地下室の奥が見える。
そこは、競技場の心臓だった。
天井から太い魔力管が何十本も垂れ下がり、中央の巨大な水晶柱へ接続されている。水晶柱の内部には、黒い鐘の影が脈打っていた。鼓動のたびに、上の歓声が吸われ、濁った金色の光へ変わっていく。
「主導管……いや、主導管を乗っ取る寄生鐘か」
アレンが呟く。
クラウスは銃口を中央へ向けた。
「破壊する」
「待て」
アレンは銃口の前へ、兼定の鞘を滑らせた。
「撃てば上に反動が返る。管の先は観客席と競技場だ。まとめて泡を吹かせる気か」
「敵の中枢を残す方が被害は大きい」
「だから短期決着だ。雑に壊すんじゃねえ。鐘だけを抜く」
クラウスの灰色の瞳が、わずかに細くなる。
「可能か」
「不可能なら、もう斬ってる」
その時、頭上から一際大きな歓声が響いた。
水晶柱の中の鐘が、嬉しそうに膨らむ。
競技場では、次の競技が始まったのだろう。大勢の視線と感情が、まっすぐ地下へ降ってくる。
アレンの胸奥にある虚孔が、ぞわりと疼いた。
吸える。
だが、吸ってはいけない。
これは敵の鐘が汚した、人の心の熱だ。無理に呑めば、形のない泥が内側へ溜まる。容量の底は見えない。だからこそ、どこで限界が来るのか分からない。
「ルシアン……気づけ」
アレンは小さく呟いた。
◇
表の競技場。
応用機動部門の第二走者が、火の輪と風壁を抜けた瞬間、観客席が大きく沸いた。
その熱狂の中で、ルシアンは不意に足を止めた。
「……おかしい」
「ルシアン様?」
フェリスがすぐ横で身構える。
ルシアンは観客席を見渡した。誰も倒れていない。暴動も起きていない。けれど、歓声の膨らみ方が不自然だった。拍手の波が、自然に散らず、競技場の床へ吸い込まれている。
アレンなら、どう見る。
そう考えた瞬間、答えは早かった。
「フェリス。審判席へ伝えて。次の競技進行を三十秒だけ遅らせる。理由は、風壁の出力調整」
「承知しました」
「それと、僕が合図したら観客席の上に薄い風幕を張る。人を閉じ込めるんじゃない。音と感情の流れを、上へ逃がす」
フェリスの琥珀色の瞳が鋭くなる。
「地下ですか」
「たぶんね。アレンが裏で暴れている」
ルシアンは穏やかに笑った。
「なら、表は僕が整える」
杖を掲げる。
長い詠唱はしない。短い符号を、呼吸に乗せる。
「風二式、薄幕。光一点、散華。水一式、静滴」
観客席の上に、ほとんど見えない風の膜が広がった。続けて、淡い光の粒が空へ舞い上がる。観客たちはそれを競技の演出だと思い、さらに美しい歓声を上げた。
だが、その歓声は地面へ沈まない。
風幕に乗って上へ流れ、光の粒に砕かれ、空へ散っていく。
◇
地下の水晶柱が、ぎしりと軋んだ。
流入する感情流が急に細くなる。黒い鐘の影が焦ったように脈打ち、魔力管が暴れ始めた。
「上が変わったか」
クラウスが呟く。
アレンは口元だけで笑った。
「うちの主君は、察しが良いんだよ」
鐘が怒った。
水晶柱の表面から、黒い腕が何十本も生え、アレンとクラウスへ襲いかかる。
「三分稼げ」
「命令か」
「頼みだ。そっちの方が動くか?」
「不快だが、合理的だ」
クラウスの影から、魔物の腕が三本、床を割って飛び出した。黒い腕の群れを押し返し、魔導小銃が連続して火を噴く。
銃火の光が、地下室を断続的に照らした。
アレンはその火線を見た。
硝煙の灯。
兼定の白刃に、赤黒い炎がまとわりつく。銃火、鐘の黒腕、魔力管の脈動。そのすべてが、敵の位置を示す道標になる。
アレンは、火線の隙間を渡るように踏み込んだ。
黒腕を斬る。
だが、狙いは腕ではない。
水晶柱の中、鐘と主導管をつなぐ細い継ぎ目。人の心を燃料へ変換している一点。
「そこだ」
アレンは刃を返す。
天然理心流、絶空・平突き。
見えない気魄が、赤黒い火を巻き込みながら水晶柱へ突き刺さった。
黒い鐘の影が、初めて悲鳴のように震えた。
ごぉん、と鳴りかけた音を、アレンの虚孔が半分だけ呑む。
胸の奥が重い。
泥を一杯、無理やり飲まされたような不快感が走る。
それでも、膝は折れない。
「人の拍手を、汚え鐘の餌にしてんじゃねえ」
アレンはさらに一歩踏み込み、兼定を捻った。
水晶柱の中で、黒い鐘と主導管の継ぎ目が裂ける。
黒い影が剥がれ落ち、床に鐘形の焦げ跡を残した。
地下の魔力管が、一斉に正常な淡青色へ戻っていく。
競技場の歓声も、もう地下へ沈まない。
だが、床に落ちた焦げ跡の中央に、黒銀の小さな針が残っていた。
クラウスがそれを見下ろす。
「本体ではない。接続針だ」
「つまり」
「第零鐘の本体は、まだ別にある」
アレンは兼定を振り、赤黒い火を払った。
その時、焦げ跡から薄い文字が浮かぶ。
観測継続。
次接続先、貴賓席系統。
アレンの黒い瞳が、冷たく光った。
貴賓席。
そこには国王がいる。ガラルドがいる。帝国皇太子も、王国の重鎮たちもいる。
表の華やかな舞台の、もっとも高い場所。
そこへ、黒い鐘が手を伸ばしている。
「クラウス」
「分かっている」
アレンは階段へ向けて走り出した。
次に鐘が鳴る場所は、もう見えている。
第95話をお読みいただきありがとうございました!
今回は、華やかな大会の歓声そのものが敵の燃料になる、という不気味さを書くのがなかなか大変でした。
アレンとクラウスは相性が悪いのに戦闘では妙に噛み合うところがかっこよく、ルシアンが表から静かに支える場面もお気に入りです。
フェリスの即応も、短いながら彼女らしい忠誠が出せたかなと思います。
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