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第86話:虚孔反響試験と、大きすぎる器

第86話をお読みいただきありがとうございます!


今回は、アレンの虚孔を検証する回です。

白鐘事件で見えてきた謎を受けて、ルシアンとエレノアが立ち会う中、アレンの内側にある「器」の正体へ少し踏み込んでいきます。

静かな実験回ですが、アレン自身の根幹に触れる大事な話になっています。

 その夜。聖アイビス国立魔法学園の地下深く、特級魔導書庫のさらに奥にある封鎖実験室には、三人だけが集まっていた。

 アレン。

 ルシアン。

 そして、エレノア・フォン・ローゼンバーグ。

 普段ならフェリスが影のように張り付き、少しでも怪しい器具がアレンに近づこうものなら短刀を抜いていたはずだ。だが、今回だけはエレノアが「観測対象を増やすと反響値が濁る」と言い切り、ルシアンもまた、必要最低限の人数での検証を認めた。

 もちろん、ルシアン本人は最後まで退かなかった。

「僕は残るよ。アレンに何かあった時、誰より先に止めるのは僕の役目だ」

 その穏やかな声に、エレノアは肩をすくめただけだった。

「主君同伴の実験なんて、なかなか豪華ね。まあいいわ。あなたの魔力なら、緊急停止用の外部制御にも使える」

 実験室の中央には、黒銀の輪が三重に組み合わされた測定具が浮いていた。床には円形の魔法陣。壁には記録用の水晶板。天井から垂れ下がる鎖には、薄青く光る小瓶がいくつも吊るされている。

 その一つ一つに、きっちり量を測られた魔力が封じ込められているらしい。

「虚孔反響試験、第一段階。まずは極小量の魔力を、あなたの虚孔へ接触させる。普通の魔力器なら、魔力は器の縁に触れた瞬間に色を返すわ。火なら赤、水なら青、風なら緑。反響を見るだけだから、本来なら痛みすらない」

「本来なら、ですか」

 アレンは完璧な執事の姿勢のまま、実験陣の中央に立っていた。

 腰には和泉守兼定ではなく、神木烏木の黒誠。今日は戦闘ではない。だが、何かが暴れれば即座に叩き割れるよう、黒い木刀の柄には指をかけている。

「心配しなくていいわ。危険値を超えたら、私が止める」

「その台詞を聞いて安心するほど、私は教授を信用しておりません」

「あら、ひどい」

 エレノアは楽しそうに笑いながら、最初の小瓶を開いた。

 淡い火属性の魔力が、一筋の糸となってアレンの胸元へ伸びる。魔力は皮膚に触れる寸前でふっと揺れ、見えない穴へ吸い込まれるように消えた。

 反響はない。

 色もない。

 水晶板には、何も映らなかった。

「……消えた?」

 ルシアンが眉を寄せる。

 エレノアの表情から、先ほどまでの遊びが消えた。

「第二段階。水属性、同量」

 青い魔力糸が伸びる。

 消える。

「第三段階。風属性、三倍量」

 緑の糸が伸びる。

 消える。

「第四段階。土属性、十倍量」

 今度は、床の魔法陣そのものが低く震えた。普通の人間なら、魔力器がびくりと反応し、吐き気や眩暈を覚えてもおかしくない量だ。

 だが、アレンは瞬き一つしなかった。

 土色の魔力は、やはりアレンの胸元で静かに失せた。

 黒銀の輪が、カチリと乾いた音を立てる。

「おかしいわね」

 エレノアが呟いた。

「魔力が弾かれているなら、外へ散る。壊されているなら、魔力殻の破片が残る。吸収されているなら、器の内側から反響が返る。けれど、これは……返りがない」

「無力化している、ということでは?」

 ルシアンが問う。

「そう。けれど、無力化にも跡があるの。燃えた紙に灰が残るようにね。これは、灰すら見えない。まるで、落とした石が底に届いていない」

 アレンは黙っていた。

 痛みはない。

 違和感もない。

 ただ、胸の内側のどこかで、微かに冷たい風が動いたような気がした。

「続けるわよ。第五段階。複合属性、雷。二十倍量」

「教授」

 ルシアンの声が硬くなる。

「危険なら止めます」

「危険かどうかを確かめる実験よ。もちろん、壊す気はないわ」

 エレノアは、慎重に黄色い小瓶を開いた。

 雷の魔力が、細い蛇のように走る。空気が焦げ、封鎖実験室の壁に刻まれた結界が反応した。通常の生徒なら、防御魔法を張っていても膝をつくほどの密度だ。

 雷はアレンの胸元へ触れた。

 消えた。

 その瞬間、黒銀の輪がぎしりと歪んだ。

 水晶板に、ようやく文字が浮かぶ。

 ――反響不成立。

 ――吸収先深度、測定不能。

 ――容量推定、上限外。

 エレノアの瞳が、大きく見開かれた。

「……上限外?」

 ルシアンが水晶板を見る。

「エレノア教授。それは、どういう意味ですか」

「この測定具は、王宮暗部が禁忌術師を調べる時にも使った特級品よ。魔力器の容量、魔力の濁り、呪印の深さ、精神汚染の残響まで測れる。普通の大魔導士でも、上限値には届かない」

 エレノアは黒銀の輪に触れ、指先で震えを確かめた。

「なのに、この子は測定具の方が先に音を上げた。アレン、あなたの虚孔は……大きすぎる」

 その言葉は、刃よりも静かに落ちた。

 大きすぎる。

 強いでも、硬いでも、深いでもない。

 器そのものが、人間の規格から外れている。

「容量が大きい、ということですか」

 アレンが問う。

「ええ。少なくとも、私たちが想定した虚孔の容量より、はるかに大きい。しかも厄介なのは、あなた自身がそれを自覚していないことよ」

「自覚がないと、まずいのかい?」

 ルシアンの声には、隠しきれない不安が混じっていた。

「まずいわ。器が大きいということは、それだけ多くを受け止められる。でも、満杯になった瞬間に何が起きるか分からない。溢れるのか、破裂するのか、内側へ落ちるのか。しかもアレンの場合、器の底が見えない。容量が大きいというより、穴の縁だけが人間の形をしているのかもしれない」

 エレノアはそこで、言葉を選ぶように唇を閉じた。

「正直に言うわ。私は、怖い」

 あのエレノアが、はっきりとそう言った。

「研究者としては、喉から手が出るほど見たい。でも、あなたを人間として見るなら、これは踏み込み方を間違えた瞬間、戻れなくなる類いの謎よ」

 ルシアンがアレンの前に一歩出た。

「なら、今日はここまでだ」

「同感ね」

 エレノアはあっさり頷いた。

「これ以上は、外部制御用の術式を組み直してからにする。二つ目の金剛丹も、絶対に飲まないこと。あれはあなたの肉体を強める薬だけれど、虚孔が肉体とどう繋がっているか分からない以上、刺激として危険すぎる」

「分かっています」

 アレンは淡々と答えた。

 だが、その内側では別の思考が動いていた。

 虚孔が大きすぎる。

 魔力ゼロの体。

 理の外側に開いた穴。

 そして、アレンという少年の中に入り込んだ、土方歳三という男の魂。

(……まさか)

 アレンは胸の奥で、冷たく息を吐いた。

(この体にもともとあった空白に、死に損なった俺が落ちた。それが、穴を広げたってのか)

 この世界の少年アレンが、最初から魔力を持たなかったのか。

 それとも、土方歳三という別の人生、別の死、別の業が入り込んだことで、器が歪んだのか。

 答えはない。

 だが、エレノアの測定具が示した「上限外」という文字は、アレンの内側にある疑念を、ひどく生々しい形にして突きつけていた。

「アレン」

 ルシアンの声で、アレンは思考を戻した。

「何か、心当たりがあるのかい」

 その問いは鋭かった。

 さすがはルシアンだ。アレンがほんの一瞬だけ、内側へ沈んだことを見逃さない。

 だが、ここで話せることではない。

 前世。

 死。

 別の世界。

 そんなものを、証明もなしに口にすれば、ルシアンを余計な混乱へ引きずり込むだけだ。

 アレンは、いつものように不敵に笑った。

「心当たりと言えるほどのものはありません。ただ、俺の体が少々おかしいのは、今さらでしょう」

「少々で済ませるな」

 ルシアンが珍しく即答した。

「君はすぐ、自分の異常を便利な道具みたいに扱う。けれど、僕にとっては君自身が大事なんだ。虚孔だろうが金剛丹だろうが、君を壊すなら全部敵だよ」

 その真っ直ぐな言葉に、アレンは一瞬だけ返事を失った。

 エレノアが、少しだけ柔らかい目をした。

「いい主君ね、アレン」

「ええ。少々、心配性ですが」

「心配されるだけのことをしている自覚を持ちなさい」

 ルシアンの声に、エレノアが小さく吹き出した。

 張り詰めていた空気が、わずかに緩む。

 だが、黒銀の輪に刻まれた文字は、まだ消えていなかった。

 反響不成立。

 吸収先深度、測定不能。

 容量推定、上限外。

 エレノアは、その記録を封印水晶へ移しながら、低く呟いた。

「人工虚孔を作ろうとした黒の円卓が、あなたを原型と呼んだ理由が少し見えたわ。彼らが欲しいのは、ただ魔力を無効化する人間じゃない。底の見えない器そのものよ」

「なら、連中が次に狙うのは俺ですか」

「ええ。間違いなく」

 アレンは笑った。

 暗く、静かに、獰猛に。

「なら、話が早い。向こうから来るなら、迎え撃つだけです」

「アレン」

「分かっています。勝手には動きません。……少なくとも、ルシアン様に黙っては」

「その言い方が一番信用できないんだけどね」

 ルシアンは深くため息をついた。

 実験は終わった。

 だが、謎は解けるどころか、さらに深くなった。

 虚孔とは何か。

 なぜ、アレンの内側だけがこれほど大きく開いているのか。

 そして、死んだはずの男の魂が、この世界の少年の中に宿ったことは、その空白と無関係なのか。

 封鎖実験室の灯りが一つずつ落ちていく。

 その暗がりの中で、アレンは胸の奥にある見えない穴を、初めて少しだけ意識した。

 そこには痛みも、熱も、音もない。

 ただ、底のない静けさだけがあった。

 まるで、まだ鳴っていない鐘が、暗闇の底で息を潜めているかのように。

第86話をお読みいただきありがとうございました!


今回は、派手な戦闘ではなく「測定不能」という怖さを書くのが難しい回でした。

エレノアが研究者として震え、ルシアンがアレン自身を心配する場面は、それぞれのらしさが出たかなと思います。

アレンが自分の転生と虚孔の関係を疑うところも、今後へ繋がる不穏なポイントです。


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