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第80話:白鐘療養院への切符

第80話をお読みいただきありがとうございます!

今回は、白鐘療養院へ向かうための作戦会議回です。アレンが裏を、ルシアンが表を押さえる形で、次の大きな潜入任務へ進んでいきます。

 モルガン・ヴァン・ネーベルは、夜明けを待たずに学園長室へ運ばれた。

 両手を拘束され、口には詠唱封じの封帯。首筋には黒く焼けた呪印の痕が残っている。フェリスが施した拘束は完璧で、たとえ意識を取り戻したとしても、精神魔法を編む前に喉も指も動かなくなる仕掛けだった。

「生きているのが不思議なくらいね」

 エレノアは、モルガンの首筋を見下ろしながら呟いた。

「黒の円卓の口封じ呪印を受けて、脳が焼き切れていない。あなたが黒誠で縁を受け止めたおかげだけど……普通なら、受け止めた側が先に壊れるわよ」

「壊れなかったんだから問題ないでしょう」

「問題しかないのよ」

 エレノアは呆れたようにため息をつく。

 学園長ヴァルター・フォン・アインハルトは、重厚な机の向こうで指を組み、黙ってモルガンを見ていた。普段の穏やかな笑みはない。

「旧礼拝堂の封鎖。残響炉。十年前の被害者の意識保存。モルガン教官の関与。そして、白鐘療養院か」

 その声は静かだった。

 だが、静かすぎるものは時に怒号より重い。

「学園の恥では済まないな」

「許すつもりなら、俺が許しませんよ」

 アレンは短く言った。

 隣では、クロードが青ざめた顔で立っている。彼はミレイの記憶片を収めた小さな黒い結晶を、両手で握っていた。

「学園長。モルガン先生の記憶から抜き取った情報は、確かに白鐘療養院を示しています。地下の鐘のない病棟。そこに、ミレイ・アルノーの肉体がある可能性が高い」

「クロード君」

 学園長が静かに名を呼んだ。

「君にとって、モルガンは師だったはずだ。それでも証言するかね」

 クロードは一瞬だけ目を伏せた。

 そして、顔を上げる。

「はい。私は精神魔法師です。師の罪を隠すために心の記録を捻じ曲げるなら、私も彼と同じになります」

 その言葉に、アレンは少しだけ目を細めた。

 この優男にも、芯はある。

 フェリスはミレイの意識体を収めた透明な棺のそばに立っていた。棺はエレノアの封印陣で小型化され、薄い水晶箱のような形になっている。

『あの……私の体、本当にあるの?』

 ミレイの声が、弱く室内へ響いた。

 誰も軽々しく答えられない。

 アレンだけが、淡々と口を開いた。

「ある。なけりゃ、探して作戦を変える。それだけだ」

『……作戦?』

「寝坊した奴を叩き起こす作戦だ」

 ミレイは少しだけ笑った。

 その笑いがあまりに幼く、フェリスの琥珀色の瞳が一段冷えた。

「学園長。白鐘療養院について、学園側で分かる情報は」

「表向きは、王都北区にある長期療養施設だ。魔力障害、昏睡、精神疲労を患う者を受け入れている。運営母体は白鐘慈療会。医療貴族と教会派閥が深く関わっている」

 エレノアが続きを引き取る。

「厄介なのは、あそこが半分治外法権みたいな場所だということよ。患者の保護を盾に、外部査察を拒む。王宮から正式な調査令を取るには時間がかかるし、令状が動けば、向こうに証拠を消す時間を与える」

「つまり、正面から行けば逃げられる」

「そういうこと」

 アレンは鼻で笑った。

「なら、裏から入ればいい」

「言うと思ったわ」

 エレノアはこめかみを押さえた。

 その時、学園長室の扉が静かに叩かれた。

「入っていいよ」

 学園長の許可と同時に、ルシアンが入室した。

 眠っていたはずの時間だ。だが、彼はすでに制服を整え、穏やかな顔の奥に鋭い緊張を宿していた。

「アレン」

 その一言だけで、彼がどれほど心配していたか分かった。

 アレンは軽く肩をすくめる。

「無事だ。ちょっと穴倉掃除が長引いただけだ」

「君の『ちょっと』は信用できないんだよ」

 ルシアンは苦笑したが、視線はすぐに水晶箱のミレイへ向いた。

「君が、ミレイさんだね」

『はい……』

「怖かったね。遅くなってすまない。グランヴェル家の名にかけて、君の体を探す手伝いをする」

 ミレイが目を見開く。

 フェリスが静かに頭を下げた。

「ルシアン様。そのお言葉、必ずこのフェリスが実行に移します」

「頼りにしているよ、フェリス」

 ルシアンは頷き、アレンへ向き直った。

「アレン。二人だけで話せるかな」

 学園長が目を伏せ、エレノアは肩をすくめる。

「隣室を使いなさい。どうせ、止めても行くのでしょう?」

「話が早くて助かります」

 アレンとルシアンは、学園長室の隣にある小さな応接室へ移動した。

 扉が閉まる。

 二人きりになった瞬間、アレンは執事の仮面を外した。

「で、ルシアン。説教か?」

「半分はね」

 ルシアンは深く息を吐いた。

「君がまた危ないものを受け止めたと聞いた。黒の円卓の呪印だって? 普通は死ぬよ」

「死んでねえ」

「そういう返事をすると思った」

 ルシアンは困ったように笑ったが、その瞳は揺れていなかった。

「もう半分は、僕も連れて行け、という話だ」

「駄目だ」

 即答だった。

 ルシアンは眉を上げる。

「理由は?」

「白鐘療養院が黒の円卓の巣なら、狙いはミレイの肉体だけじゃねえ。お前を釣る餌にもなる。公爵家の跡取りが潜り込めば、向こうは喜んで扉を閉める」

「君一人なら扉を閉められないと?」

「閉められる前に蝶番を外す」

「本当に君らしい」

 ルシアンは小さく笑った。

 だが、すぐに真剣な顔へ戻る。

「アレン。僕は君を信じている。だからこそ、君が泥をかぶることを当然にはしたくない」

 アレンは少しだけ黙った。

 ルシアンのそういうところが、厄介だった。

 主君らしく命じるだけなら楽だ。守ればいい。だがこの男は、アレンが泥をかぶる理由まで見てしまう。

「なら、表を頼む」

 アレンは低く言った。

「俺が裏から白鐘へ入る。お前は学園長とガラルド様へ話を通して、正式な調査令を取る準備を進めろ。俺たちが証拠とミレイの体を押さえた瞬間、表から叩けるようにしておけ」

 ルシアンの目が鋭くなる。

「裏と表の挟撃か」

「ああ。お前の仕事だ、ルシアン。俺が汚い穴をこじ開ける。その後、綺麗な旗を立てて潰すのはお前だ」

 ルシアンはしばらくアレンを見つめた。

 そして、ゆっくり頷く。

「分かった。僕は表を押さえる。父上にも、すぐ密書を送るよ」

「助かる」

「ただし、条件がある」

「何だ」

「フェリスを連れて行くこと。彼女は白鐘のような場所に向いている。潜入、毒、薬、患者記録の偽装。全部できる」

 アレンは苦い顔をした。

「あのサボりメイド、喜んでついて来るだろうな」

「それと、クロードもだ」

「あいつは足手まといになる」

「精神魔法の病棟へ入るんだ。クロードの解析は必要だよ。それに、今回の件は彼自身の問題でもある」

 正論だった。

 アレンは舌打ちする。

「分かった。フェリスとクロードは連れて行く。ただし、お前は残れ」

「うん。今回はそうする」

 ルシアンは静かに答えた。

 その素直さに、アレンは逆に眉をひそめる。

「妙に聞き分けがいいな」

「君が本気で止める時は、本当に危ない時だからね」

 ルシアンは微笑んだ。

「それに、僕には僕の戦場がある。表を押さえるのは、僕の役目だ」

 アレンは少しだけ口元を吊り上げた。

「いい顔になったじゃねえか」

「君に褒められると、少し照れるね」

「褒めてねえ」

 二人は短く笑った。

 応接室を出ると、フェリスが扉の前に直立していた。聞き耳を立てていた気配はない。だが、目だけがやけに鋭い。

「ルシアン様。ご命令を」

「フェリス。アレンと一緒に白鐘療養院へ行ってくれ。ミレイさんの保護と、アレンの監視を頼む」

「承知しました。命に代えても」

「代えなくていい。必ず戻ること」

 フェリスの表情が、ほんのわずかに揺れた。

「……承知しました」

 クロードもまた、静かに前へ出た。

「私も同行します。精神魔法の病棟なら、私の責任です」

「足を引っ張るなよ」

 アレンが言うと、クロードは薄く笑った。

「努力します。あなたの基準は、かなり理不尽ですから」

 エレノアが封筒を一つ差し出した。

「白鐘療養院の見取り図よ。正確ではないけれど、十年前の増築前のもの。地下区画は空白になっている」

「空白ね」

 アレンは封筒を受け取る。

「最近、空白に縁があるな」

「笑えない冗談ね」

 学園長が静かに立ち上がった。

「アレン君。これは学園の非公式調査だ。君たちが捕まれば、学園は表向き君たちを庇えない」

「でしょうね」

「だが、君たちが証拠を持ち帰れば、私は全力で動く。白鐘療養院も、その背後も、学園の名にかけて追及する」

 アレンは深く一礼した。

「十分です」

 そして顔を上げる。

 白鐘療養院。

 地下の鐘のない病棟。

 十年前から眠る少女の体。

 黒の円卓が隠した、もう一つの棺。

「行くぞ」

 アレンの声に、フェリスとクロードが同時に頷いた。

 夜明け前の王都へ向けて、三つの影が静かに動き出す。

 表ではルシアンが、裏ではアレンが。

 互いを信じ、それぞれの役目を全うする。

 白鐘の鳴らない病棟で、十年前の眠りを叩き起こすために。

第80話をお読みいただきありがとうございました!

今回は戦闘ではなく、次の戦場へ向かうための準備回でした。アレンとルシアンが二人きりで役割を分ける場面は、この二人の相棒感がよく出たと思います。フェリスの「必ず戻ること」に対する反応も、ちょっと可愛かったですね。

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