第79話:黒衣の教師と、白鐘の名
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今回は、旧礼拝堂へ現れた黒衣の教師モルガンとの対峙回です。ミレイの証言、クロードの覚悟、そしてアレンの強引な尋問が、次なる目的地を引きずり出します。
ミレイ・アルノーの意識を収めた透明な棺は、クロードの精神感応糸によって薄い光の膜に包まれていた。
肉体ではない。
だが、十年前の真実を知る証人だ。
アレンは黒誠を腰へ戻し、上層へ続く黒い穴を見上げた。
「行くぞ。客が来てる」
「モルガン先生……」
クロードの声には、まだ硬さが残っている。
教師。
師。
その言葉に甘さを残せるほど、彼はもう何も知らない子供ではなかった。
「迷うなら残れ」
アレンが言うと、クロードは首を横に振った。
「いいえ。ここで引けば、私は一生、自分の魔法を信用できなくなる」
「なら前に立て。証拠を持ってるのはお前だ」
「……はい」
フェリスがミレイの棺へ黒縄を巻き、精神の膜が崩れないよう固定する。
「ミレイ様の意識体は、私が保持します」
『さま、なんて……』
棺の中で、ミレイが戸惑う。
フェリスは表情を変えなかった。
「証人は丁重に扱うものです。ルシアン様の名に泥を塗るわけにはいきません」
アレンは短く笑った。
それから三人は、黒縄を伝って上層へ戻った。
砕けた残響炉の広間を抜け、祭壇下の階段を上がる。地上へ近づくにつれて、空気の中に別の匂いが混じり始めた。
香水。
古い紙。
そして、浅い恐怖の匂い。
旧礼拝堂の床下扉を押し上げると、祭壇の前にエレノアが立っていた。深紅のドレスの裾を揺らし、片手で封印陣を展開したまま、扉の方を見ずに言う。
「遅かったわね」
「収穫が多くてな」
「でしょうね。こっちにも、収穫候補が来ているわ」
礼拝堂の入口。
そこに、黒いマントの男が立っていた。
痩せた頬。口元の、手入れされた小さな髭。薄い笑みを作ろうとしているが、その額には脂汗が浮かんでいる。
精神魔法学担当教官、モルガン・ヴァン・ネーベル。
「ローゼンバーグ教授。これは一体どういうことですかな。閉鎖区域の封印が勝手に解除されていると聞き、私は学園教官として確認に来ただけです」
「ずいぶん耳が早いのね」
エレノアは艶やかに笑った。
「封鎖区域の異常を知るには、管理結界の深部に触れる必要がある。あなた、その権限を持っていたかしら」
「精神魔法事故の再発防止を担当する者として、最低限の監視は」
「言い訳が長い」
アレンが祭壇の影から出た。
その瞬間、モルガンの目が大きく揺れた。
「アレン……君が、なぜここに」
「それはこっちの台詞だ、黒い先生」
モルガンの顔から、薄い笑みが消えた。
「何のことですかな」
「十年前。地下礼拝堂。平民特待生。残響炉。怖がるほど炉がよく動く。……聞き覚えは?」
「ありませんな」
即答だった。
早すぎる否定。
アレンは冷めた目でモルガンを見る。
「下手だな。知らねえ奴は、まず何の話か聞く」
「平民の補助員風情が、教師に向かって」
「その平民の補助員風情に、今から首根っこ掴まれるんだ。口の利き方を考えろ」
モルガンが杖へ手を伸ばしかけた。
その前に、クロードが一歩前に出た。
「先生」
静かな声だった。
だが、礼拝堂の空気がわずかに変わった。
「私は、貴方に精神魔法を教わりました。心へ触れる魔法は、相手の尊厳を奪うためのものではないと、そう教わったはずです」
「クロード君。君は誤解している。精神魔法とは、常に高貴な研究のために」
「高貴?」
クロードの指先から、銀色の糸が伸びる。
その先には、黒い小片が結ばれていた。
「ミレイ・アルノーの記憶です。十年前の旧礼拝堂地下実験。あなたはそこにいた」
黒片が光る。
礼拝堂の空中に、薄い映像が浮かんだ。
黒いマントの若いモルガン。
記録紙を手に、震える学生たちを見下ろしている。
『恐怖反応、増幅良好。炉の奥まで、より深く見える』
モルガンの喉が、ひゅっと鳴った。
「捏造だ」
「精神記録の筆跡は偽造できません」
クロードの声が冷える。
「少なくとも、私の前でそれを言うのは無理があります」
フェリスがミレイの棺を前へ出した。
光の膜の中で、ミレイの意識が震える。
『黒い先生』
その声を聞いた瞬間、モルガンの膝が微かに揺れた。
『私、まだ覚えてる。先生が言ったの。怖いほど、奥が見えるって』
「黙れ」
モルガンの声が潰れた。
「黙れ、黙れ黙れ! 十年前の残響など、証拠になるものか! 私は命じられただけだ! 円卓の方が、あの実験は王国のためになると」
言った。
自分で、言ってしまった。
エレノアの封印陣が赤く輝く。
「言質、取ったわ」
モルガンの顔が真っ白になる。
「ち、違う。今のは」
「違わねえよ」
アレンが一歩踏み出す。
「お前は十年前、ガキどもの心を炉にくべた。今更、命じられただけで済むと思うな」
モルガンは後退した。
そして、逃げるのではなく、自分のこめかみに杖を向けた。
「ならば、証拠ごと消すまでだ!」
精神魔法の術式が、モルガンの周囲に展開する。
忘却術。
自分の記憶を含め、この場の認識へ干渉しようとしている。教師として積み上げた技量だけは本物らしく、術式の速度は速い。
だが、遅い。
アレンの瞬歩が、礼拝堂の床を消した。
「がっ……!?」
次の瞬間、モルガンの杖を握る手首は、アレンの五指に完全に捕らえられていた。
ぐしゃり、と骨が悲鳴を上げる。
「自分の記憶まで都合よく消して逃げる気か」
「ひ、ぎ……っ」
「証人の前で二度目をやるとは、いい度胸だ」
アレンがさらに力を込めようとした、その瞬間。
モルガンの首筋に、黒い紋様が浮かんだ。
フェリスが叫ぶ。
「呪印です!」
黒の円卓の口封じ。
以前、黒いローブの男を口封じした時と同じ、失敗者を遠隔で殺す冷酷な印。
モルガンの目が裏返りかける。
「い、嫌だ……! 私は、まだ……!」
「勝手に死なせるかよ」
アレンはモルガンの手首を放し、即座に黒誠を抜いた。
斬れば、死ぬ。
なら、噛ませる。
黒誠の先端を、モルガンの首筋に浮かんだ呪印の縁へ押し当てた。黒い紋様が、獲物を見つけた蛇のように黒誠へ絡みつく。
アレンの腕に、ぞわりと冷たい痺れが走った。
死の命令が、黒誠を通じて彼の内側へ流れ込もうとする。
「アレン!」
エレノアの声が飛ぶ。
「長く受けるな、持っていかれるわ!」
「うるせえ」
アレンは歯を食いしばった。
魔法ではない。
命令だ。
死ね、黙れ、消えろ。
そんな腐った命令を、何度も聞いてきた気がした。
だが、従う理由はない。
「クロード! こいつから、ミレイの体がある場所を探れ!」
「はい!」
クロードが精神感応糸をモルガンの額へ突き刺す。
モルガンは泡を吹きながら、必死に首を振った。
「や、やめろ……白鐘……白鐘療養院だ……地下の、鐘のない病棟……! 私は、搬送書類を書いただけで……!」
「十分だ」
アレンは黒誠を捻った。
呪印の縁が、ばきりと折れるように歪む。
モルガンの身体が崩れ落ちた。
死んではいない。
だが、完全に気を失い、首筋には焼けたような黒い痕が残っている。
フェリスが即座に拘束具を取り出し、モルガンの両手と口を封じた。
「生存確認。意識なし。精神魔法の行使は不能です」
エレノアが、低く息を吐いた。
「あなた、またとんでもないものを受け止めたわね」
「死なれると面倒だっただけです」
アレンは黒誠を見下ろした。
神木烏木の表面に、黒い焼け跡が一本残っている。だが、折れてはいない。
クロードは膝をつき、モルガンの額から糸を引き抜いた。
「白鐘療養院。地下の、鐘のない病棟……。ミレイの肉体は、おそらくそこです」
『白鐘……』
ミレイの声が小さく震えた。
アレンは棺へ視線を向ける。
「聞いたな」
『うん』
「次は、体を取り返しに行く」
ミレイは泣きそうに頷いた。
その背後で、エレノアが封印陣を畳みながら言う。
「モルガンは学園長へ突き出す。けれど、白鐘療養院が絡むなら、学園内だけでは済まないわ。王都の医療貴族、教会派閥、場合によっては王宮内部まで触れる」
「上等だ」
アレンは黒誠を鞘へ収めた。
その目には、静かな怒りが灯っている。
「鐘が鳴らねえ病棟だろうが、蓋をした棺桶だろうが関係ねえ。身内の庭に根を張った連中を、まとめて引きずり出す」
旧礼拝堂の外では、夜霧が深くなっていた。
だが、十年前から隠されていた声は、もう闇の底だけに留まらない。
黒衣の教師は落ちた。
次に向かうべき名は、白鐘療養院。
黒の円卓が隠した、もう一つの棺の場所だった。
第79話をお読みいただきありがとうございました!
今回はモルガンをただ倒すのではなく、証人と証拠で逃げ道を塞いでいく流れを意識しました。クロードが師に向き合う場面、そしてアレンが黒の円卓の口封じを黒誠で受け止める場面が見どころです。白鐘療養院、かなり不穏な名前になりました。
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