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第77話:地下礼拝堂と、残響炉

第77話をお読みいただきありがとうございます!

今回は、旧礼拝堂の地下へ降りたアレンたちが、十年前の事故の傷跡そのものと向き合う回です。黒の円卓が何を観測しようとしているのか、その一端が見えてきます。

 黒い扉は、音もなく開いた。

 旧礼拝堂の祭壇下に隠されていた階段は、まるで喉の奥へ続く食道のように細く、湿っていた。石壁には古い祈祷文が彫られている。だが、その文字の上から黒い根が這い、ところどころを塗り潰していた。

「外側は私が閉じるわ」

 背後で、エレノアが封印陣を展開する。

「中で異常な魔力膨張が起きたら、強制的に礼拝堂ごと封じる。嫌なら、私がそうする前に戻ってきなさい」

「物騒な激励、痛み入ります」

 アレンは肩越しにそう返し、腰の和泉守兼定へ手をかけた。

 戦場だ。

 精神魔法の穴だろうが、封印の残骸だろうが、敵が殺意を持って待っているなら、抜くべきものは黒誠ではない。

 フェリスが半歩後ろにつく。短刀は袖の内側に隠したまま、いつでも抜ける位置。クロードはさらにその後ろで、銀色の精神感応糸を指先から垂らしていた。

「空気が重いですね」

 クロードの声は落ち着いている。だが、その額には薄く汗が浮かんでいた。

「十年前の残響です。恐怖、後悔、祈り、責任逃れ……。色が混ざりすぎている」

「吐き気のする調合だな」

「ええ。精神魔法師としても、趣味が悪い」

 三人が階段を下りるたび、床下から鐘の音が響いた。

 カァン。

 その音は耳ではなく、胸の内側を叩いてくる。

 フェリスの琥珀色の瞳が、わずかに細まった。

「幻聴誘導です。音を起点に、こちらの記憶へ接続しようとしています」

「分かるのか」

「暗殺者にとって、幻聴は毒と同じです。混ざった瞬間に気づけなければ死にます」

「上等だ」

 アレンは低く笑った。

 次の鐘が鳴った瞬間、石壁の奥から、すすり泣く声が滲み出た。

『助けて』

『先生、どうして』

『祈れば、安定するって言ったのに』

 十年前、この地下へ落とされた誰かの声。

 声は若い。学生だ。恐怖で喉が潰れ、泣くことすら許されなかった者たちの残滓。

 フェリスが唇を噛む。

「不快です」

「同感だ」

 アレンの声は低かった。

 誤った判断で人が死ぬことを、彼は何度も経験した。死ななかったとしても、人の心を壊す判断があることも知っている。

 この地下に残っているのは、その手の腐った傷跡だった。

 階段の底に、広い空間が現れた。

 円形の地下礼拝堂。

 天井は低く、中央には黒い石で作られた巨大な炉のような装置が据えられている。炉の周囲には十七の石座が円を描いて並び、それぞれの前に割れた水晶板が置かれていた。

 水晶板の中には、薄い霧のようなものがまだ揺れている。

「……残響炉」

 クロードが呟いた。

「知ってるのか」

「古い精神魔法の禁忌です。強い感情を水晶板に焼き付け、炉で反響させる。治療にも使えたはずですが、これは違う。恐怖と昏睡直前の意識だけを選別して、何度も燃やしている」

「十年前からか」

「おそらく」

 クロードの顔色が悪くなる。

「オルタニア家の古文書に、似た術式がありました。ですが、実用化は禁止されている。心を薬草のように煎じる行為だからです」

「今更被害者面しないでください、ですね」

 フェリスの声は冷たい。

「禁止されている術式を知っていた誰かが、この学園にいた。そして黒の円卓は、その傷口を利用した」

「耳が痛いですね」

 クロードは自嘲気味に笑った。

「ですが、その通りです。精神魔法師の家系が、知らなかったでは済まされない」

 その瞬間、中央の残響炉が低く唸った。

 割れた水晶板から、黒い霧が立ち上る。

 霧は人型を作った。

 制服姿の学生。教師の長衣。顔だけがない。目も口もないのに、それらは泣き声を上げながら、三人へ向かって歩き出した。

「残響兵です。実体は薄いが、触れられると心の表層を削られる!」

 クロードが精神感応糸を走らせる。

「フェリス!」

「承知」

 フェリスが影のように前へ出た。短刀が閃き、紫煙の傀儡毒が針となって残響兵の関節へ刺さる。生き物ではないはずの霧が、糸の切れた人形のように膝をついた。

「止められますが、殺せません」

「十分だ」

 アレンは一歩で間合いを詰めた。

 兼定が抜かれる。

 白刃が闇を割り、顔のない学生の首筋を通り抜けた。

 霧の身体が裂ける。

 ただ斬っただけではない。アレンは、残響兵を形にしている「殻」を見ていた。魔力殻ではない。恐怖と記憶を薄く焼き固めた、精神の殻。

 なら、やることは同じだ。

「形を作ってるところを断つ」

 アレンの足が沈む。

 瞬歩。

 床石を鳴らさず、次の残響兵の懐へ入る。兼定の峰が水晶板の真上を叩き、黒い霧の根を震わせた。

 ピシリ、と水晶板に亀裂が走る。

『いやだ』

『帰りたい』

『先生、開けて』

 声が溢れる。

 フェリスの動きが一瞬だけ鈍った。

 その耳に、別の声が混じったのだ。

『守れなかったね』

『ルシアン様を、守れなかったね』

「っ……!」

 フェリスの瞳が揺れる。

 次の残響兵の指が、彼女の頬へ触れようとした。

 その寸前、兼定の鞘が横から飛び、霧の腕を叩き潰した。

「フェリス」

 アレンの声が落ちる。

「お前がルシアン様を守るんだろうが。幻の声ごときに、仕事を奪われるな」

「……っ、言われなくとも」

 フェリスは短く息を吐いた。

 琥珀色の瞳に、再び冷たい光が戻る。

「ルシアン様を守るのは、私の役目です」

「なら動け」

「命令しないでください」

 そう言いながら、フェリスの短刀はアレンの死角へ迫る残響兵を正確に縫い止めていた。

 クロードもまた、膝をつきかけていた。

 彼の精神感応糸には、十七の声が絡みついている。

「これは……ひどい。術式の中心に、教師の署名が混ざっている。事故ではない。誰かが、祈念式の名を借りて実験した……!」

「名前は読めるか」

「削られています。ただ、黒いマント、口元の髭、そして……クロード家へ出入りしていた人物の記憶がある」

 アレンの目が細くなる。

「つまり、今の学園にも根が残ってるな」

「ええ」

 クロードの声が震えた。

 怒りだ。

「私の家も、利用されたのか。あるいは、利用した側なのか。まだ分かりません。ですが、ここで逃げたら、私は精神魔法師を名乗れない」

「なら、立って見ろ」

 アレンは残響炉へ視線を向けた。

「自分の家の腐った部分くらい、自分の目で見届けろ」

 クロードは唇を噛み、精神感応糸をさらに細く伸ばした。

 糸が残響炉の底へ入る。

 直後、黒い炉の表面に文字が浮かび上がった。

『虚孔観測者、地下反応確認』

『残響炉、第二用途へ移行』

『第十八槽、開放準備』

「第十八槽?」

 フェリスが周囲を見る。

 十七の石座しかない。

 だが、アレンだけは気づいていた。

 中央の残響炉の奥。

 黒い石の内側に、もう一つ、空洞がある。

 十七人の恐怖を燃やす炉ではない。

 その恐怖を使って、十八番目の空白を作るための槽。

 黒い根が蠢き、炉の内側から、ゆっくりと棺のようなものがせり上がってきた。

 中は空だ。

 だが、その蓋には、焼き付いた文字があった。

『虚孔観測者用』

 フェリスの表情が凍る。

「アレンを、ここへ入れるための装置……?」

「招待状にしちゃ、趣味が悪いな」

 アレンは兼定を構え直した。

 棺の周囲から、黒い仮面がいくつも浮かび上がる。第二接触で見たものと同じ、目のない仮面。

『観測では不足』

『虚孔は、器に沈めて測定する』

『抵抗値を記録』

「勝手に測るな」

 アレンの声が、地下礼拝堂を低く震わせた。

 次の瞬間、残響炉から黒い鎖が噴き上がった。魔力の鎖ではない。恐怖と祈りを織り合わせた精神の鎖。兼定で断てば霧散するが、一本を斬る間に十本が足元を狙う。

 フェリスが紫煙の針で鎖の動きを止め、クロードが精神感応糸で軌道をずらす。

「三秒、作ります!」

「二秒でいい」

 アレンは腰を落とした。

 兼定の切っ先が、残響炉の中心を捉える。

 火は使わない。

 ここで必要なのは、燃やすことではない。

 腐った祈りの根を、一本だけ正確に断つこと。

 天然理心流の呼吸が、暗い地下に沈む。

「そこだ」

 アレンの身体が消えた。

 瞬歩からの一閃。

 兼定の刃が、黒い鎖の密集をすり抜け、残響炉の奥にある赤黒い核へ届く。

 キィィィン、と高い音が鳴った。

 炉が悲鳴を上げる。

 十七の水晶板が一斉に砕け、学生たちの泣き声が風にほどけるように消えていった。

 だが、完全には終わらない。

 砕けた炉の底に、さらに下へ続く穴が開いていた。

 そこから、冷たい風が吹き上がる。

 風の奥で、誰かが眠っているような、静かな呼吸音がした。

 クロードが蒼白になる。

「まだ下があります。これは残響ではない。生きている意識です」

 フェリスが短刀を握り直す。

「十年前の昏睡者が、まだここに繋がれているということですか」

「可能性が高い」

 アレンは砕けた残響炉を見下ろした。

 黒の円卓は、十年前の事故を掘り返しただけではない。

 まだ眠っている誰かの心を、今も利用している。

 奥から、最後の鐘が鳴った。

 カァン。

 今度の音は、泣き声ではなかった。

 招く音だ。

 アレンは兼定の血もつかぬ刃を、静かに払った。

「行くぞ」

「当然です」

 フェリスが即答する。

 クロードも、震える指で精神感応糸を結び直した。

「ええ。ここまで見て、引き返せるほど器用ではありません」

 アレンは口元をわずかに吊り上げる。

 旧礼拝堂の傷口は、まだ底ではなかった。

 黒の円卓が十年かけて隠した本当の棺は、そのさらに下で、静かに彼らを待っていた。

第77話をお読みいただきありがとうございました!

今回は地下礼拝堂の不気味さと、アレン・フェリス・クロードの役割分担を出すのが楽しい回でした。フェリスが揺らぎかけたところをアレンが叱る場面、そしてクロードが精神魔法師として逃げずに見届けようとするところが、それぞれ良い味になったと思います。

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