第73話:ちょび髭教授と、黒い根
第73話をお読みいただきありがとうございます!
今回は、静謐温室で発覚した黒い種子の正体に迫る回です。モルガン教授の尋問、クロードの精神魔法の才能、そして学園内部に入り込んだ不穏な影を描いています。
静謐温室の騒動が収まった直後。
エレノアは温室全体に赤い封印札を張り巡らせ、外部との魔力の流れを完全に遮断した。硝子天井から差し込む光は先ほどと変わらないはずなのに、温室の空気はひどく重い。
「さて」
アレンは黒誠を肩に担ぎ、床に尻餅をついたモルガン・ヴァン・ネーベル教授を見下ろした。
黒いマントは湿った床に広がり、手入れされたちょび髭は汗で少し歪んでいる。先ほどまで貴族的に微笑んでいた男は、今や真っ青な顔で唇を震わせていた。
「説明してもらおうか、先生様」
「わ、私は何も知らない! 本当だ! こんな黒い種など、私は――」
「まだ何も聞いてねえ」
アレンの声が落ちた瞬間、モルガンの喉がひゅっと鳴った。
殺気ではない。まだ、ただの声だ。
だが、前世で数多の不逞浪士を取り調べてきた鬼の副長の声には、言い逃れを削る重みがあった。
フェリスは無言で温室の出口を塞いでいる。リナとセレナは少し離れた場所で息を整えていた。二人とも顔色はまだ悪いが、足は震えていない。
クロードは、壊れた心映花の根を調べていた。
「モルガン教授」
その声は静かだった。
「この心映花の鉢、通常の教材用ではありませんね。根に古い精神感応の補助陣が刻まれている。少なくとも三年前から、個人研究用として改造されていたものです」
「な……っ」
モルガンの顔がさらに白くなる。
クロードは淡々と続けた。
「あなたの筆跡です。魔力の癖も残っている。隠す意味はありません」
エレノアが口笛を吹くように笑った。
「優秀ねえ。教師の隠し細工を、教え子が数秒で暴くなんて」
「……教授。遊んでいる場合ではありません」
クロードは珍しく不快そうに眉を寄せた。
アレンはその横顔を見て、内心で評価を一段上げた。
(なるほど。精神魔法に関しちゃ、この坊ちゃんは本物だな。教師の手癖まで見抜くか)
アレンはモルガンの前にしゃがみ込んだ。
「で、だ。あの黒い種は誰から貰った」
「し、知らない! 私はただ、研究素材として――」
「誰から貰った」
「……っ」
モルガンは黙り込んだ。
その瞬間、アレンは黒誠の先端で、モルガンの黒いマントの裾を床へ縫い止めるように押さえた。
ただの木刀だ。刃はない。
だが、神木烏木の重みとアレンの気魄を受けたモルガンは、まるで喉元へ刀を突きつけられたかのように硬直した。
「俺は短気じゃねえ。だが、身内に手を出した奴への聞き分けは悪い」
アレンの三白眼が冷たく光る。
「次はマントじゃなく、あんたの指を押さえる」
「ひっ……!」
「アレン、ほどほどにね」
エレノアが一応止める声をかける。
だが、その目は止める気がない。
リナは小声でセレナに囁いた。
「……アレンの尋問、初めて見るけど怖いわね」
「ええ。でも、あの教授には少し効いた方がよろしいと思いますわ」
二人の声が聞こえたのか、モルガンは涙目になりながら叫んだ。
「分かった! 言う! 言うから、その木刀をどけてくれ!」
アレンは動かない。
「話せ」
「数日前、教材庫に封書が届いたのだ! 差出人は不明だった。中には、精神魔法の増幅に使える珍しい種子だと書かれた説明書と、あの黒い種が入っていた。私は……私はただ、オルタニア家へ研究成果を示せば、次の予算審査で有利になると思って……!」
「つまり、出所不明の物を学園の温室へ持ち込んだわけか」
「安全確認はした! 少なくとも、私の検査では害はなかった!」
クロードが冷ややかに告げる。
「あなたの検査式は古い。黒の円卓の呪印は、表層ではなく記憶に近い層へ潜る。通常の毒性検査では見えません」
「そ、そんな高度なもの、学生がなぜ――」
「見えたからです」
その一言に、モルガンは完全に沈黙した。
クロードの声は若い。だが、そこには師を超えた者の冷たさがあった。
アレンは、ふっと笑う。
「いい教師を持ったな、クロード。反面教師ってやつだ」
「否定はしません」
クロードは壊れた心映花の根を布に包みながら、モルガンへ視線を向けた。
「教授。あなたは、オルタニア家の名を利用していたつもりでしょう。しかし、今回の件で分かりました。あなたの研究室は、外部からの侵入経路にされている」
「わ、私は被害者だ!」
「こんなことをしておいて、今更被害者面しないでください」
静かな断罪だった。
モルガンの喉が詰まる。
エレノアは腕を組み、深紅のドレスの裾を揺らした。
「モルガン教授。あなたの研究室、教材庫、私的な通信記録、すべて封鎖します。学園長へは私から報告するわ。抵抗したら、私が昔の仕事のやり方で黙らせるけれど、どうする?」
「い、いえ……従います……」
モルガンは力なく項垂れた。
その時、フェリスが静かに口を開いた。
「アレン。気になることがあります」
「何だ」
「教授の反応を見る限り、黒の円卓の名までは知らなかった可能性が高い。ですが、記憶の一部が曖昧です。自分で持ち込んだはずの封書の封蝋や筆跡について、意識的に避けているというより、思い出せないように見えます」
クロードが頷いた。
「精神防壁の薄い者へ、記憶の端だけを削る術式。オルタニア家にも似た古い禁術があります。もっとも、今は禁じられていますが」
「禁じられてる割には、あんたら詳しいわね」
リナがじと目で言う。
クロードは微笑まない。
「禁じるには、まず知っていなければならない」
アレンはモルガンから黒誠を離した。
「フェリス。こいつを見張れ。逃げたら足を折っていい」
「承知しました」
「お、折る!? 教授に向かって何という――」
モルガンが悲鳴を上げかけたが、フェリスの冷たい視線を受けて口を閉じた。
エレノアが壊れた心映花の根と、灰になった黒い種の残滓を小瓶に入れる。
「解析は私がやるわ。アレン、あなたはルシアン君へ報告を。今回の件、もう学園内だけの問題じゃない」
「分かってる」
アレンは温室の外へ視線を向けた。
硝子越しに見える学園は、いつも通り白く美しい。
だが、その根元には黒いものが絡み始めている。
貴族家に媚びる教師。
記憶を曖昧にする禁術。
黒の円卓の種。
そして、敵に観測された自分の虚孔。
(京でもそうだったな。腐る時は、上からじゃねえ。目に見えねえ根から腐っていく)
アレンは黒誠を腰に戻し、低く息を吐いた。
「根があるなら掘り返すだけだ」
その声を聞いたセレナとリナが、静かに顔を上げる。
クロードもまた、深く頷いた。
「私も協力します。オルタニア家の名を利用された以上、放置はできません」
「信用はしねえ」
「結構です。利用してください」
「話が早いじゃねえか」
アレンは不敵に笑った。
こうして、静謐温室の騒動は一応の収束を見せた。
しかしそれは、終わりではない。
黒の円卓が学園のどこかへ伸ばした、細く、黒い根。
その一本を、鬼の副長が掴み取った瞬間だった。
第73話をお読みいただきありがとうございました!
今回は派手な斬り合いではなく、アレンの静かな圧、クロードの分析力、モルガン教授の保身がぶつかる調査回でした。黒いマントにちょび髭の教授、かなり胡散臭く動いてくれましたね。
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