第42話:嵐の前の書類仕事
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帝国の密偵『黒鉄衆』を退けた特務隊を待っていたのは、王宮の保守派貴族たちからの理不尽な「活動停止命令」と、アレンへの「審問会への出頭命令」でした。
罠だと激昂するボルドたちをよそに、局長アレンは至って冷静。
なぜなら彼は、前世の幕末で、都合の良い時だけ新選組を弾除けにし、形勢が悪くなればトカゲの尻尾切りにしようとする醜悪な政戦を、嫌というほど見てきた男だからです。
嵐の審問会を前に、まずは溜まりに溜まった「本業(秘書業務)」を圧倒的な速度で片付け始めるアレン。
政治の犬どもを逆にはめるため、鬼の副長が静かに爪を研ぎます――!
「ふざけるなッ! なんだこの不条理な紙切れは!」
特務隊の仮屯所として使われているスラムの元大聖堂。その一室に、ボルドの地鳴りのような怒号が響き渡った。 巨漢の二番隊隊長は、一枚の公文書を握りつぶさんばかりの勢いで拳を震わせ、顔を真っ赤にさせている。
「俺たちが命がけでスラムのゴロツキや帝国の密偵(黒鉄衆)を片付けたってのによォ! 『帝国への不必要な挑発行為』だの『一時活動停止命令』だの……挙句の果てには、アレン局長への『王宮審問会への出頭命令』だと!? どこのどいつだ、こんな糞舐めた命令を出しやがったのは!」
「ボルド、声が大きい。局長の部屋まで響いているぞ」
隣で腕を組む監察方副隊長のニナが、冷徹ながらも、その琥珀色の瞳に隠しきれない怒りの炎を灯してボルドを宥める。 部屋の隅では、監察方筆頭のミアが猫耳をピタリと伏せ、悔しそうに小さな奥歯を噛み締めていた。
「……王宮の保守派貴族たちだよ。黒鉄衆のボスが、王国の貴族へ向けて『特務隊が我が国の商人を虐殺した。アレンの首を差し出さねば国境の緊張は解かない』って密書を流したんだ。平民の私たちが手柄を立てるのを嫌っていたバカな貴族どもが、これ幸いにと乗っかったんだよ」
「上の連中なんて、どいつもこいつも保身ばかり。大嫌い」
ミアが吐き捨てるように言う。 せっかくスラムに真の秩序が築かれ始め、民衆が特務隊の「浅葱色の羽織」に希望を見出し始めていた矢先の、あまりにも理不尽な政治の泥水。一番隊隊長のシオンも、普段のぽわぽわとした雰囲気を消し、冷たい野生の眼光で木刀の柄を握り直していた。
特務隊の面々が激昂し、屯所全体に一触即発の不穏な空気が流れる中。
当の局長――アレンは、部屋の中央の机で、静かに和泉守兼定の下げ緒を整えていた。リナの手作りの不器用なお守りが、かすかに揺れる。
「……相変わらず、大事に下げ緒に結んでいるんだね。そのお守り」
ニナが少しからかうように目を細め、ミアがフンと猫耳をそっぽ向ける。 アレンはそれを意に介さず、ただ「ふっ」と、鼻を鳴らして不敵に笑った。
「ボルド、ニナ。ガキじゃねえんだ、そう大声を出すな」
「で、ですが局長! これは明らかな罠です! 審問会なんて名ばかりで、貴族どもは局長に全責任を押し付けて、帝国の犬に差し出す気なんですよ!」
悲痛に叫ぶボルドに対し、アレンの黒い瞳は、恐ろしいほどに冷徹で、そして深く澄んでいた。 その脳裏を過っていたのは、前世の記憶。 京都の街で、朝廷の公家や幕閣の腰抜けどもが、都合の良い時だけ新選組を「弾除け」として使い、形勢が悪くなれば「人殺しの集団」とトカゲの尻尾切りにしようとした、あの飽きるほど見てきた醜悪な政争の光景。
(国が変わろうが、世界が変わろうが……お上の考えることなんざ、向こうでもこっちでも大差ねえな)
新政府軍の近代兵器には苦しめられたが、こういう「身内の足の引っ張り合い」に関して言えば、土方歳三は彼らの大先輩であり、百戦錬磨の怪物だった。
「罠? 結構じゃねえか。向こうからわざわざ、泥水を引いて待っててくれてんだ。乗ってやらねえ手はねえ」
アレンはゆっくりと立ち上がると、懐からルシアン名義の高級な文官用手帳を取り出した。
「お上ってのはな、自分たちの綺麗な机が汚されるのを一番嫌う。だがな、一度戦場に引きずり出されちまえば、綺麗も汚いもねえんだよ。シオン、お前は隊士たちを宥めていつも通り検問を続けろ。命令違反で突っつかれたら『現場への伝達が遅れた』とでも言っておけ」
「はーい、アレン。ボク、アレンの言う通りにするよ」
シオンが嬉しそうに微笑む。アレンの絶対的な迷いのなさが、隊士たちの動揺を一瞬で凪へと変えていく。
「局長……まさか、本当に一人で審問会に行くおつもりですか?」
心配そうに耳をピコピコと揺らすレイヴンが、アレンの左肩の死角にぴったりと寄り添いながら尋ねる。アレンはその綺麗な黒髪の頭を軽く叩いた。
「一人なわけねえだろ。俺はあくまでド・グランヴェル家の『秘書』だ。まずは、俺の本当の雇い主に、この美味いクソ泥試合の報告と……溜まりに溜まった『本業』を片付けに行かなきゃならねえ」
貴族たちの仕掛けた政治的な嵐を前にして、アレンが向かったのは王宮ではなく、グランヴェル公爵領の政務室だった。
数時間後。ド・グランヴェル家の執室。
「――というわけでね、アレン。君への出頭命令を撤回させようと、第一王子のラインハルト殿下や、僕の父上が王宮の裏でかなり鋭く動いてくれているんだが……五家連合の老害どもの執念も侮れなくてね。君を引っ張り出すために必死さ」
デスクの向こうで、多属性の天才魔導士にしてアレンの主君、ルシアン・ド・グランヴェルが、苦笑混じりに書類をめくっていた。
「彼らにとって、魔力を持たない平民が国の危機を救うなど、自分たちの『魔法至上主義』という特権を根底から揺るがす恐怖でしかないんだろうね」
だが、その正面に座るアレンは、高級な羽ペンを凄まじい速度で走らせ、信じられない効率で領内の物流データや魔鉱石の支出報告書を処理していた。
「ルシアン、話はそんだけで終わりか。右側の『バルトス子爵領の戦後処理の免税申請』、これに承認のハンコを押しとけ。あと、左の『スラムの物資配給の予算書』、数字が2割水増しされてる。財務官の横領か計算ミスだ、突き返せ」
「……アレン? 君、自分の首がかかっているかもしれない審問会の前だってのに、なんでそんなに平然と僕の秘書業務を完璧にこなしているんだい?」
ルシアンは呆れたようにツッコミを入れる。 実際、特務隊の局長として動いていたせいで、ルシアンの秘書としてのアレンのデスクには、山のような行政文書が積まれていた。
だが、アレンにとってこの程度の書類山、屁でもなかった。 前世の新選組時代、数百人の隊士の給与管理、規律違反の精査、会津藩への膨大な報告書を実質一人で捌き切り、果ては箱館政権で陸軍奉行並として組織の立ち上げと全軍の統率を同時にこなした男である。お役所仕事の裏をかくなど、呼吸をするより容易かった。
「ルシアン。お上が仕掛けてくる小細工なんてのは、締切の間際に出される追加の要望書みたいなもんだ。焦った方が負けだ。それに……」
アレンはペンを止め、ルシアンを見て不敵に口角を上げた。
「溜まった仕事を放り出して死にに行ったら、それこそルシアンに怒られる。俺をただの実戦の天才だと思ってナメてる貴族どもに、グランヴェル家の『秘書』がどれだけ食えねえ組織を統べてるか、審問会でたっぷり教えてやる」
「はは、言うね。やっぱり君は食えない男だ」
ルシアンは全幅の信頼を込めて笑い、アレンの差し出した書類に次々とサインをしていく。
しばらくの間、秘書としての職務を恐ろしい精度で全うしたアレンは、山積みの書類を完全にゼロにすると、静かに立ち上がった。
「よし、本業は片付いた。……ルシアン、王宮の連中がどんなツラして待ってるか、拝みに行ってくる」
「ああ、行ってらっしゃい。派手にやっておいで」
アレンが執務室を去り、静寂が戻った部屋で、ルシアンは手元に残された完璧な書類の束を見つめ、ふっと笑みをこぼした。
特務隊を、そしてアレンを潰そうと画策する、王国の保守派貴族たち。 しかし彼らはまだ知らない。 自分たちが呼び出そうとしている「平民の少年」が、かつて一国の夜明けの時代を裏から支配し、あらゆる権力者と渡り合ってきた『鬼の副長』の魂を持っているということを。
「まったく、審問会で彼をハメたつもりの連中が、逆にどんな目に遭うか見ものだね」
ルシアンは窓の外、王宮のある方向を見つめる。
「……それに、ラインハルト殿下だけでなく、あのクリスティア様まで『あの浅葱色の羽織の男に会いたい』とお忍びの準備を始めているなんて、あいつらが知ったらどんなツラをするか」
仕掛けられた罠は、すでに王宮全体を巻き込む大戦への導火線へと変わっていた。 嵐の王宮へ向けて、鬼の副長が静かに爪を研ぐ。
第42話をご覧いただき、ありがとうございました!
ついに保守派貴族どもの「身内の足の引っ張り合い」が始まりましたが、相手が格悪すぎましたね。
前世で数百人の隊士の給与管理から規律違反の精査、箱館政権での全軍統率までを実質一人で捌き切った土方歳三にとって、お役所仕事の裏をかくなど朝飯前。ルシアンの部屋で高級羽ペンを爆速で走らせ、財務官の水増し横領を一瞬で見抜くシーンは、書いていて別の意味で爽快でした(笑)。
特務隊をただの「泥臭い平民の集まり」だとナメて、審問会という机の上の戦場に呼び出した貴族たちですが……自分たちが引きずり出そうとしているのが、国家の夜明けを裏から支配した『組織作りの化け物』だとは夢にも思っていないでしょう。
さらにラストでは、ルシアンの口からラインハルト殿下だけでなく、あのクリスティア様までお忍びで動き出していることが明かされました!
罠に飛び込むフリをして、王宮のチェス盤ごとひっくり返しに向かうアレンの次なる大暴れ、どうぞご期待ください!
【作者からのお願い】
「アレンの実務能力の高さが格好良すぎる!」「貴族どもの罠を鼻で笑うアレンにゾクゾクした!」「王宮審問会でどんなカウンターを喰らわせるのか早く見たい!」と思ってくださった方は、ぜひ作品への応援をお願いします!
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