第4話:理(ことわり)を穿つ木刀
「ホブゴブリンを、子供が一人で、しかも包丁一本で仕留めた……?」
その噂は、瞬く間に村を越え、領主館の重い扉を叩いた。
数日後、静かな村の入り口に、一般の平民が見ることすら稀な豪奢な馬車が止まった。
降り立ったのは、透き通るような銀髪を持つ、端正な顔立ちの少年――領主の跡取り、ルシアン・ド・グランヴェル。
代々、王国の政務や魔法学園を牛耳る名門貴族の嫡男であり、十歳にして大人顔負けの多属性魔法を操る「神童」と名高い天才だった。
土方は、物珍しそうに集まる村人たちの後ろで、その少年を冷徹に観察していた。
(……こいつ、弱いな)
挨拶代わりに握手を交わした際、その直感は確信に変わる。
ルシアンの手には、剣を握り込んだタコ一つない。筋力も、常に死線を意識している者の張りがない。ただ強大な魔力に甘やかされているだけの「お座敷の天才」だ。
「君がアレンか。私はルシアン。……単刀直入に言おう、私と手合わせをしてほしい」
土方は内心であきれ果てた。
「何を言っているんだ」と喉まで出かかったが、この世界において貴族の命令は絶対だ。断れば、泥臭くも温かい今の両親に迷惑がかかる。
村の外れ、土方が連日修行に使っている広場で、二人は木刀を手に相対した。
「君は、強化魔術を使わないのか?」
「……そんなもんは知らねぇ」
土方の答えに、ルシアンは呆れたように肩をすくめた。
「なるほど。ホブゴブリンの件も、やはり尾ひれがついた噂だったようだな。では、始めようか」
ルシアンが優雅に木刀を構え、その身に魔力を練り始める。
――その瞬間、土方の姿が視界から消えた。
(――遅い)
土方はルシアンの魔法の「溜め(詠唱)」を見逃さなかった。
泥に塗れた実戦において、技の美しさなど糞食らえだ。最短距離を突き進み、容赦なく木刀をルシアンの喉笛へ突き出す。
「っ!? 【ウィンド・ヴェール】!」
ルシアンが反射的に放った風魔法が、木刀の軌道を辛うじて逸らす。
だが、鋭い風を強引に切り裂いた木刀の先端が、ルシアンの白い頬に一筋の赤い傷を刻んだ。
「お、お坊ちゃま!」
護衛が血相を変えて剣を抜こうとするが、ルシアンが手でそれを制した。
彼の瞳からはエリートの余裕が完全に消え、冷や汗が頬を伝う。
「……認めよう、君は普通じゃない。だが、これならどうかな! 【詠唱:フレイム・バレット】!」
ルシアンの指先から、数個の猛烈な火の玉が放出される。
観戦していた村人から悲鳴が上がるが、土方の歩みは微塵も止まらない。
(火が出るだと? ……ふん、銃弾に比べれば、止まって見えるぜ)
戊辰の戦場で、死線と言えるほどの弾雨を潜り抜けてきた土方にとって、目視できる火球など脅威ですらない。
最小限の身のこなしで火の玉をかわし、再び絶望的な間合いへと詰め寄る。
焦ったルシアンが再び風魔法を放つが、土方はその風の精霊の動きすら読み、あえて逆方向から回り込んで上段から木刀を叩きつけた。
「【アブソリュート・バリア】!」
透明な魔力障壁が展開される。
だが、土方の全霊を込めた一撃が当たった瞬間、障壁に無数のヒビが入った――。
パリィン!!!
「……障壁が、割れた……!? 魔力もない少年の腕力で!?」
後ずさりするルシアン。だが、鬼の副長の追撃は容赦がない。
「【ストーン・ガトリング】!」
ルシアンが地面から数十の尖った岩を一斉に放つ。
対する土方は木刀を円を描くように操り、自分に当たる岩だけを「なで払い」ながら、さらに距離を詰めた。
「【ダブル・シールド】!」
二重の障壁。一枚目を木刀で粉砕したところで、土方は深追いせず、すっと一度間合いを引く。
この世界の魔術戦は、互いに距離を取って美しい呪文を交わすものだ。泥を這い、弾丸を躱すように肉薄してくる戦闘狂など、ルシアンの知識には存在しなかった。
ルシアンは好機とばかりに火の玉を連発し、逃げ場を奪いに来る。だが、土方はその軌道さえも完全に読み取り、紙一重ですべてを回避した。
「なぜ……なぜ当たらない!」
ルシアンは悔しげに叫び、今度は水を操作して地面を泥状に変えた。足場を奪い、動きを鈍らせる算段だ。
しかし、土方は止まらない。
ぬかるむ泥を、足の指先で地面を掴むような新選組独自の歩法で駆け抜け、一気に突進する。
ルシアンはギリギリまで引きつけ、自身の最大出力を一点に集中させた。
「【詠唱:大業火球】!」
巨大な火の玉が、目の前の少年の視界を完全に埋め尽くす。
普通の人間なら絶望する光景。だが、土方の唇は、わずかに吊り上がっていた。
(間合いが近ければ近いほど、刀を持つ者が優位に立つ……。戦の理だ)
土方は木刀を正面に立て、火の玉の芯を真っ向から受け止めた。
次の瞬間、木刀を斜めに振り抜く。 技を受け流し、面を返す要領だ。
弾かれた火の玉は、あろうことかルシアン自身に向かって反射した。
「なっ……! 【アクア・ウォール】!」
慌てて水の壁を作るルシアン。激しい蒸気が立ち込め、周囲の視界が真っ白に染まった。
「……どこだ!?」
ルシアンは反射的に自身の周りに障壁を張る。
だが、その行動すらも、百戦錬磨の土方には読めていた。
白煙の彼方、背後から無音で迫る影。
「そこだ」
ドォォォォン!!
障壁が粉々に砕け散り、ルシアンの体が派手に吹き飛ばされる。
ルシアンは咄嗟に背後に水のクッションを形成し、辛うじて受け身を取った。
一瞬の静寂。
護衛も、村人も、唖然として言葉を失っている。
ルシアンは肩で息をしながら、アレンに狙いを定めようとして……その手を止めた。
目の前の少年は、息一つ乱さず、再び静かに木刀を構え直している。
(……魔法という強力な武器。だが、撃つたびに疲弊し、溜めが必要になる。弱点のない武器など、この世にはねぇんだよ)
土方がさらに一段階、殺気を上げた。
ルシアンの背中に、かつて感じたことのない悪寒が走る。
(……死ぬ。これ以上やれば、僕は本当に殺される)
魔法の神童と呼ばれた少年は、震える手を挙げた。
「……降参だ。私の負けだよ、アレン」
土方は即座に殺気を消し、木刀を下ろした。
「どうして、魔法を知らない君が、これほどまでに強いんだ?」
ルシアンの切実な問いに、土方は当たり前のように答えた。
「生きてぇなら、必死に剣を振る。それだけだ」
納得がいかないような、だが、強烈にその魂を打たれたような顔で土方を見つめるルシアン。
――底知れない畏怖。そしてそれ以上に、この少年の圧倒的な「強さ」への、言葉にできない魅了。
(この男を敵に回してはならない。いつかグランヴェル家すら喰い殺される……。だが、もし味方に引き入れることができたなら――)
そこへ、彼の付き人の女性が慌てて駆け寄り、急いで戻るように告げた。領主である父の許可なく勝手な行動をしたことがバレたらしい。
「アレン。君は面白い。……また会おう、必ずだ」
ルシアンは、畏怖と奇妙な高揚感を宿した瞳で、嬉しそうに右手を差し出した。
土方は少し戸惑ったが、江戸の流儀ではなく、この世界の礼儀に合わせてその手をしっかりと握り返した。
馬車が走り去るのを見送りながら、土方は思う。
(魔法、か。確かに厄介だが……付け入る隙はいくらでもあるな)
鬼の副長の瞳に、異世界の強者たちを「狩る」ための、鋭く冷徹な光が宿っていた。




