第17話:日陰の狼、泥に咲く
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前回の華々しい大戦果の裏で、魔力も身分もない特務隊の台頭を面白く思わない貴族や騎士団からの突き上げが始まります。
領主ガラルドがアレンに提示したのは、正規騎士団が敗北して匙を投げた無法地帯「スラム街」の治安維持。かつて京の田舎「壬生」から始まった新選組の記憶を胸に、日陰の狼たちが泥の街へ一歩を踏み出します――!
1. 食えない大物からの試練
高級酒場の一件から数日後。アレンはド・グランヴェル家の広大な執務室に呼び出されていた。
重厚なマホガニーの机を挟んで座るガラルド・ド・グランヴェルは、相変わらずその鋭い眼光の奥に、何を考えているか分からない底知れなさを湛えている。
ガラルドは、机の上に一枚の古びた地図を広げた。
領都の最外周、黒く塗り潰されたような一角――通称『日陰の街』の地図だった。
「見事な立ち回りだった、アレン。ルシアンを囮から救い、誘拐組織を壊滅させた手際、実に見事だ」
ガラルドの言葉に嘘はなかった。彼はアレンの器量を買い、ルシアンの秘書へと推薦した張本人だ。魔力を持たぬ身でありながら、最高難度の魔導士集団を白兵戦で屠ったアレンの能力を、誰よりも正当に評価していた。
「ありがきお言葉です、ガラルド様」
アレンは表情を変えずに頭を下げる。だが、ガラルドは小さく息を吐き、組んだ指に顎を乗せた。
「だがな、アレン。私の評価と、家内の不満は別だ。グランヴェル家の幹部貴族や他の騎士団の連中は、魔力も身分もないゴロツキどもがルシアンの側近として大戦果を挙げたことが、面白くてたまらんらしい。『正規騎士団の面汚しだ』と、突き上げが激しくてな。このままでは、お前たちの特務隊に正当な予算も下りず、あの『浅葱色の衣装』を増員分まで正式に量産する許可も下りん」
「……なるほど。お偉方にとっては、戦果を挙げた俺たちの存在そのものが、目の上のコブってわけですか」
アレンの少し不遜な物言いに、ガラルドは怒る風でもなく、フッと口元を歪めた。
「そこでだ。お前たちに、そのうるさい口を実力で黙らせるための『大義名分』を与えよう」
ガラルドは地図の黒い一角を、太い指でトントンと叩いた。
「領都のゴミ溜め、スラム街だ。現在、我が家の正規騎士団は周辺の魔獣警戒や要所の警備に人員を割かれており、あそこへ回す兵の余裕が全くない。……いや、実を言えば、過去に一度、騎士団を総動員して大規模な摘発と見回りを行ったのだ。だが、騎士団の誇り高き白い甲冑や長い両手剣は、あの迷路のように入り組んだ狭い路地では重荷でしかなく、泥に足を取られ、死角からのゲリラ的な不意打ちに大苦戦してな。住民たちの激しい反発もあって、一向に解決の目処が立たず、撤退せざるを得なかった。つまり、騎士団が失敗して匙を投げた無法地帯だ」
ガラルドは身を乗り出し、アレンを値踏みするように見つめた。
「だが、狭い屋内戦でお前たちが見せたあの泥臭い近接白兵戦、術者の懐へ潜り込む速度、そしてその腰の奇妙な引き切り刀なら、あそこを攻略できるのではないか? お前たちがここを引き受け、治安を回してみせろ。騎士団が敗北した場所をお前たちが治めれば、家内の不満は一瞬で消える。最高の実績となる」
試されるような問い。アレンはその地図を見つめ、腰の和泉守兼定の柄に軽く触れた。
アレンの脳裏には、前世の記憶――身分の低いバラガキが集まり、のし上がっていったあの時代の泥臭い戦略が鮮明に蘇っていた。
(貴族どもの顔色を伺うだけじゃ、いつまで経っても使い捨てだ。だが……もし、領内の大多数を占める『平民』が俺たちを支持し、俺たちなしでは街の治安が回らねえ状態を作れば、上の中の奴らだって俺たちを簡単には潰せなくなる)
貴族の鼻を明かすには、圧倒的な実力を見せつけること。何より「民を味方に付けること」。
ガラルドの提示した過酷な試練は、アレンにとって、外堀を埋めるための最高の舞台にしか見えなかった。
アレンは不敵に笑い、ガラルドの目を真っ直ぐに見据えた。
「――喜んで、その泥仕事を引き受けましょう。騎士様たちが綺麗なお部屋で頭を抱えて諦めた場所だ、俺たちのやり方でひっくり返してみせます」
「いい眼だ。……家内のうるさい連中には、ルシアン直属の『特務隊』という建前で通す。だがアレン、お前がその泥の中で本当に作り上げようとしている組織の『真の名前』は、いずれお前の口から聞かせてもらうぞ」
ガラルドは満足げに頷き、特務隊へスラム街の「全警備権」を委ねる書状に、自らの印章を捺した。
アレンはその書状を受け取りながら、胸の中でだけ、その真の名を強く反芻していた。
2. 泥の街の狼たち
「……おいおい、局長。正気ですか? ここ、本当にグランヴェル領の中かよ」
スラム街の入り口に立ったボルドが、顔を顰めて濁った地面に唾を吐いた。
景観は最悪。領主の威光を示す魔導の灯(街灯)は一つも届かず、立ち並ぶ家々は今にも崩れそうな木切れやボロ布で継ぎ接ぎされている。通りには生ゴミと汚水の悪臭が漂い、路地裏からは、泥にまみれた住民たちが、怯えと敵意の入り混じった目で特務隊を睨みつけていた。
「領主様の正規騎士団でも無理だった場所に、俺たちたったの数十人で乗り込むなんて、自殺行為でしょ。石を投げられなきゃいいですが」
不安げに周囲を警戒する隊士たち。まだ制服が全員分行き渡っていない、バラガキの集団だ。だが、アレンは返り血の染みが残る浅葱色の羽織を肩に引っ掛けたまま、満足げに周囲を見回した。
「弱音を吐くな、ボルド。綺麗な石畳の上でふんぞり返ってるだけが新選組じゃねえんだよ。前世の俺たちだって、最初は京のハズレの、寂れた『壬生村』から始まったんだ。誰もが嫌がる泥の中で、誰もが恐れる悪党を噛み殺す。だからこそ、日陰の狼は恐れられ、認められたんだ」
アレンは一歩、泥の街へと踏み出す。
「いいか、今日からここが俺たちの主戦場だ。行くぞ、野郎ども。見回りだ」
局長の後ろ姿に引っ張られるように、ボルドたちも覚悟を決めて歩き出した。
3. 「局中法度」の執行
スラムの中を進むうち、さっそく一角で騒ぎが起きていた。
平民の老人が営む小汚い露店の前で、身なりの汚い、しかし体格のいい男たちが数人、老人の胸ぐらを乱暴に掴み上げている。
「おい、クソジジイ。今月から『みかじめ』の魔石が一つ足りねえぞ。騎士団の奴らが来なくなったんだ、俺たちが守ってやってる代金をケチるんじゃねえ!」
「そ、そんな……これ以上は、食べるものも……」
騎士団が撤退したことで、スラムの治安は完全に地元のギャングや下層の犯罪魔導士たちの手に落ちていた。通りがかった住民たちは、関わり合うのを恐れて一斉に目を背ける。
「おい、そこらの三下」
冷徹な声が、路地に響いた。
ギャングたちが振り返ると、そこには衣服の汚れた、しかし異様に鋭い眼光を持つ少年と、その後ろに控えるガラの悪い大人の集団が立っていた。
「あんだ? ガキ。迷子なら他所へ行きな、ここはグランヴェル家の騎士様も来ねえゴミ溜めだぞ」
ギャングの一人が、腰の短剣を抜いてアレンを脅そうとする。
その腕が完全に伸びきるよりも、早く。
アレンの身体が静かに沈み、爆発的な踏み込みで間合いを詰めた。
カツン、と硬い音が響く。
「が、はっ……!?」
アレンは刀を抜いてすらいなかった。兼定の「鞘の先端(鐺・こじり)」で、男のみぞおちを正確に、深く貫いたのだ。
男は白目を剥き、肺の空気をすべて吐き出しながら床の泥の中に崩れ落ちた。
「な、貴様っ……!」
仲間が倒されたことで、残りのギャングたちが一斉に色めき立つ。
一人が懐から魔法スクロールを取り出そうとしたが、それよりも早く、ボルドが盾を構えて突進した。
「局長の前で魔法なんか使わせるかよぉ!」
ボルドの盾が男の顔面を強打し、鼻骨が砕ける生々しい音が響く。もう一人の隊士が死角から滑り込み、別の男の膝裏を蹴り抜いて地面に這わせた。
わずか数十秒。
騎士団が手を焼いたはずの悪党どもが、特務隊の泥臭く、しかし一切の無駄がない近接格闘の前に、全滅して泥の中に転がっていた。
アレンは、身を震わせている露店の老人を見つめ、それから周囲で隠れて見ていた住民たちに向かって、朗々と声を響かせた。
「おい、スラムの住人ども。よく聞け」
アレンは和泉守兼定の柄に手をかけ、冷たい、しかし確固たる意志の籠もった声で宣言する。
「今日から、この街の警備は俺たち特務隊が引き受ける。騎士団みたいに、戦いづらいからって途中で逃げ出すような真似はしねえ。その代わり、今日からこの街の掟は俺たちが決める。平民を脅かす悪党、邪魔をする奴は、この『兼定』が容赦なく叩き斬る」
そこでアレンは言葉を切り、後ろのボルドたちを冷酷な眼差しで射抜いた。
「――そして、それは俺の身内も同じだ。もし特務隊の隊士が平民から掠奪したり、勝手な闘争を働いた場合は、身内だろうが容赦なくその場で腹を切らせる。この組織の『法』を破る奴に、生きて隊の敷居を跨がせるつもりはねえ。わかったな、野郎ども」
「は、はいッ……!」
ボルドたちが背筋を凍らせて直立不動になる。
その凄まじい「法」への厳格さに、泥の中に転がる悪党どもだけでなく、隠れて見ていた住民たちまでもが息を呑んだ。
こいつらは、ただの新しい暴力組織ではない。
身内にも容赦なく牙を向ける、厳格な『本物の秩序』なのだと、誰もが本能で理解した。
静まり返るスラムの路地。誰も前に出る者はいない。
しかし、助けられた老人が、泥に膝をついたまま、アレンの背中に向かってポツリと、震える声で「……ありがとう、ございます」と呟いた。
アレンは振り返らず、ただ不敵に口元を歪めた。
領都のゴミ溜め。ここから、特務隊「異世界新選組」の、真の快進撃が始まろうとしていた。
――だが、その様子を、路地のさらに奥、深い闇の中から忌々しげに睨みつける一対の紅い瞳があることに、まだ誰も気づいていなかった。
スラム編、ついに開幕です!
「綺麗な石畳の上でふんぞり返ってるだけが新選組じゃねえ」というアレンのセリフ、まさに壬生浪士組としてのプライドが詰まっていて最高ですね。
身内にも容赦のない鉄の規律『局中法度』を示したことで、スラムの住人たちの心に変化が起き始めました。
しかし、ラストにはスラムを裏で支配する存在の不穏な影が……。
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