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第135話:旧声蔵、声なき巡礼兵

第135話をお読みいただきありがとうございます!


今回は、旧声蔵から現れる封口巡礼兵との戦闘回です。

アレンがただ敵を斬るのではなく、閉じ込められた声を解放するために刃を振るいます。

ルシアンの支援や、ノエルの銀鈴感応にも注目していただけると嬉しいです。

 白い灰が、第二記録室に静かに降っていた。


 床には砕けた羽根筆刃。壁際には膝を折った証言保全守衛。旧声蔵から浮かび上がった白い人型は、胸の黒鐘紋だけを焼き切られ、薄い霧のように崩れかけている。


 その中心で、ガルディオ司祭は笑っていなかった。


「……外部立会人が、聖務監査院の保全術式を破壊した。これは重大な越権です」


 声だけは丁寧だった。


 だが、薄い琥珀色の瞳の奥に、初めて露骨な焦りが滲んでいる。


「マルティナ審理官。記録なさい。彼らは監査院の正規機構を攻撃し、証言保全を妨害した」


 マルティナ・セレーネの銀筆が、止まった。


 丸眼鏡の奥の灰色の瞳が、床に落ちた羽根筆刃と、震えるノエルの唇と、アレンの抜き身の兼定を順に見た。


「記録済みです」


 彼女は静かに答えた。


「証言保全守衛は証言者ノエル・アルヴィーネの口部を狙いました。旧声蔵由来の人型術式は、証言者の発声を妨害しました。外部立会人アレンは、証言者保護のため黒鐘紋のみを破壊。以上が、現時点の記録です」


「審理官」


 ガルディオの声が低くなる。


「あなたは、自分が何を記録しているか理解しているのですか」


「はい」


 マルティナは唇を引き結んだ。


「理解したので、記録しています」


 その瞬間、ガルディオの袖口から、黒い紙片が一枚滑り落ちた。


 紙片には、白蔦紋と小さな鐘の印。


 アレンの目が細まる。


(印章か。剣も杖も持たずに、人を閉じるための刃ってわけだ)


「院長不在時、外部監査役には緊急封口権限が認められています」


 ガルディオは黒い紙片を二本指で掲げた。


「混乱した証言、汚染された記録、外部干渉を受けた審理。そのすべてを、一時凍結する」


 黒い紙片が、ぱきりと割れた。


 音はしない。


 代わりに、床下から無数の喉が息を吸う気配がした。


「アルク」


「下、来る。いっぱい」


 黒犬姿のアルクが、背を低くして唸る。


 閲覧室の床の白線がひび割れ、その隙間から、白い手が何本も這い出してきた。


 手。腕。肩。


 やがて床から立ち上がったのは、巡礼者の衣をまとった白い影だった。顔はない。喉元だけに、縫い閉じられたような黒い線がある。


「封口巡礼兵……」


 マルティナの声が掠れた。


「旧声蔵に保管された証言残響を、保全用の仮体に移したものです。本来、外へ出るはずがありません」


「本来、が多い院だな」


 アレンは兼定を低く構えた。


 封口巡礼兵の数は七。


 刃は持っていない。だが、開かない口から漏れる白い息が、言葉の形を奪ってくる。


 ノエルが息を詰めた。


「あの方たち……泣いています」


「見えるのか」


「はい。声は出ていません。でも、言いたかった言葉だけが、まだ残っています」


 アレンは短く息を吐いた。


 斬れば終わる相手ではない。中身は兵ではなく、閉じ込められた証言の残骸だ。力任せに潰せば、床下に残る声ごと砕ける。


「ルシアン様」


「分かっている」


 ルシアンは杖を掲げた。


「風二式【エアロ・スリップ】、水一式【アクア・ミラージュ】。音を散らし、輪郭だけを浮かせる」


 薄い風が床を撫で、水の膜が巡礼兵の周囲へ淡く広がる。白い影の喉元に絡んでいる黒線だけが、墨を垂らしたように浮き上がった。


「アレン、喉の黒線だ」


「助かる」


 アレンが消えた。


 瞬歩。


 床の白線を踏まない。旧声蔵へ繋がるひびの縁に力を吸わせ、巡礼兵の懐へ滑り込む。


 一体目の喉元。


 兼定の刃が、黒線の上だけを撫でた。


 肉を断つ手応えはない。糸を焼き切るような、ぬめった抵抗だけが指先へ伝わる。


「……寒かった」


 白い影の口が、初めて開いた。


 小さな声が漏れ、巡礼兵の体が霧へ戻る。


 アレンは止まらない。


 二体目、三体目。


 黒線だけを断つ。喉を裂かず、声の蓋だけを外す。


 だが四体目に踏み込んだ瞬間、床下から白い鎖が跳ね上がった。鎖の先には小さな鈴がついている。鳴れば、また証言を丸める。


「鳴らせません!」


 ノエルが銀鈴の耳飾りを両手で包み込んだ。


 彼女の鈴が、ちり、と澄んだ音を返す。


 黒い小鈴の動きが、ほんの一瞬だけ鈍った。


 その隙で十分だった。


 アレンは身を沈め、鎖の軌道を方円の檻で捉える。殺気を張った間合いに踏み込んだものは、鈴だろうが鎖だろうが逃がさない。


「そこだ」


 兼定の峰が、鎖の根元を叩いた。


 斬らない。


 叩いて、術式の芯だけをずらす。


 白い鎖が崩れ、床へ溶けた。


「記録、します」


 マルティナの筆が走る。


「封口巡礼兵、喉元の黒線切除により消滅ではなく解放。証言者ノエル・アルヴィーネの銀鈴感応により、黒小鈴の鳴動を一時停止」


「余計な記録を」


 ガルディオが後退する。


 その足元に、旧声蔵へ続く床の亀裂が開いた。逃げ道ではない。下から彼を迎え入れるような、白い階段だ。


 アレンが最後の巡礼兵の黒線を断った時、七つの白影はすべて霧へ戻っていた。


 残ったのは、短い声だけ。


「聞いてほしかった」


「消さないで」


「鐘の下に、まだいる」


 ノエルは顔を真っ青にしながらも、その声を聞き届けていた。


 ガルディオは階段へ足をかける。


「これ以上は、院長権限の領域です。外部者は立ち入れません」


「その台詞、何度目だ」


 アレンの声が低く落ちた。


「鍵だの権限だの印章だの、よくもまあ飽きずに並べやがる」


 彼は兼定を鞘へ収めない。


 赤黒い炎も、今はない。


 ただ、刃先だけが床下の闇を向いている。


「ルシアン様、表の理屈は?」


 ルシアンは微笑んだ。


「証言者への攻撃、改訂印のない規定、鎮静飲料の異常、旧声蔵由来術式の発現、封口巡礼兵の解放。外部立会人として、地下確認を求める理由は十分すぎるね」


「だそうだ」


 アレンはガルディオを見据えた。


「逃げるなら勝手にしろ。ただし、俺より先に地下へ降りられると思うな」


 ガルディオの顔から、血の気が引いた。


 白い階段の奥で、布を巻かれた鐘が、音もなく震えている。


 ノエルの銀鈴が、それに応えるように細く鳴った。


「……下に、まだ誰かいます」


 アレンは一歩、階段へ踏み出した。


「なら、今度こそ聞きに行くぞ」


第135話をお読みいただきありがとうございました!


今回は、白い巡礼兵との戦闘を書くのがなかなか大変でした。

敵として倒すだけではなく、中に残っている「聞いてほしかった声」をどう扱うかが大事な回だったと思います。

アレンの精密な剣技と、ノエルが小さく踏み出す場面が個人的には好きです。


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