第136話:手遅れの聖骸、白き魔物
第136話をお読みいただきありがとうございます!
今回は、旧声蔵の地下で明らかになる「手遅れの存在」の回です。
救える誰かだと思って降りた先で、アレンたちは聖教国の歪んだ所業に直面します。
ノエルを庇うアレンの場面にも注目していただけると嬉しいです。
白い階段は、ひどく静かだった。
第二記録室の床下へ続くその階段には、埃がない。人の足跡もない。だが、踏み下ろすたびに、薄い紙を水へ沈めるような感触が足裏へ返ってくる。
アレンは和泉守兼定を抜いたまま、先頭を歩いていた。
背後にはルシアン、ノエル、マルティナ。さらに数名の聖務官と、逃げ場を失ったガルディオ司祭が続く。
「……本来、この区画へは院長権限なしに」
「まだ言うか」
アレンは振り返らない。
「上で証言者を襲わせた時点で、その綺麗な建前は折れてんだよ」
ガルディオは口を閉じた。
代わりに、下から冷たい気配が上がってくる。
ノエルが胸元の銀鈴に指を添えた。淡い月白銀の髪が、地下の白い灯りに透ける。
「……泣いている声が、近いです」
「怖いなら下がってもいい」
アレンが言うと、ノエルは小さく首を振った。
「怖いです。でも、ここで下がったら……あの声を、また誰も聞かないままにしてしまいます」
細い声だった。
だが、逃げる声ではなかった。
アレンは短く息を吐く。
「なら俺の後ろにいろ。前には出るな」
「はい」
階段が終わった先は、巨大な円形の地下室だった。
旧声蔵。
壁一面に、白い小箱が積み上げられている。箱の一つ一つに名前らしき文字が刻まれていた。けれど、その多くは削られ、白く擦れて読めない。
中央には、布を巻かれた古い鐘。
その鐘の真下に、ひとりの人影が吊られていた。
白い修道服。細い手足。長く垂れた髪。
一見すれば、眠っているだけの少女に見えた。
だが、背中から伸びる無数の白い管が鐘へ突き刺さり、喉元には黒い鐘紋が根のように広がっている。
マルティナが息を呑んだ。
「……聖骸保存槽。いえ、こんな運用は規定にない」
「名前は」
ルシアンの声は硬かった。
マルティナは震える指で近くの白箱を確認する。
「記録上は、巡礼補助者セリア・リュミエール。十七年前、証言混濁により療養扱い。その後、転院記録なし」
「十七年……」
ノエルの顔から血の気が引いた。
「ずっと、ここに……?」
その問いに、誰も答えられなかった。
アレンは吊られた少女を見つめる。
呼吸はない。脈もない。だが、死体ではない。
人の形をしたまま、証言を溜める器にされている。
(救えるか)
一瞬だけ、そう考えた。
だが、次の瞬間には答えが出ていた。
黒い鐘紋は肉に食い込んでいるのではない。骨の内側まで、声の通り道まで、人格の芯まで絡みついている。
剥がせば、残るものがない。
アレンの眼が、静かに冷えた。
「……手遅れだ」
ノエルが小さく震えた。
「そんな……」
「あれは、もう人の体に人の声を閉じ込めたものじゃねえ。人だったものを、鐘の一部に作り替えた残骸だ」
ガルディオが低く呟く。
「必要な犠牲でした」
旧声蔵の空気が、凍った。
「混乱した証言を守るため、聖教国の秩序を守るため、彼女は清い器として選ばれた。人々の痛みを受け止め、祈りを保管する。尊い役目です」
アレンはゆっくり振り返った。
その顔に、表情はなかった。
だからこそ、恐ろしかった。
「今、何つった」
「尊い役目、と申しました」
「人を吊るして、声を奪って、十七年も鐘の下に縫いつけて。それを尊いだと?」
ガルディオの唇が震える。
だが、彼が答えるより早く、中央の鐘が大きく脈打った。
吊られた少女の体が、びくりと跳ねる。
黒い鐘紋が、喉から胸へ、胸から顔へ広がった。
ノエルの銀鈴が悲鳴のように鳴る。
「駄目です……! あの方、もう、自分の声と他人の声の区別が……!」
少女の口が開いた。
出てきたのは声ではない。
祈り、悲鳴、弁明、懺悔、恨み。
十七年分の証言が、ひとつの白い咆哮になって地下室を揺らした。
「ぐっ……!」
同行していた聖務官たちが、次々と膝を折った。耳を押さえ、白目を剥き、その場に崩れ落ちる。
マルティナも記録板を抱えたまま、壁に背を打ちつけた。
「記録……しなければ……」
銀筆が床へ落ちる。
ルシアンが風の防壁を張ろうとする。しかし咆哮は音ではなく、意味そのものだった。風をすり抜け、精神の内側へ直接爪を立ててくる。
「アレン……!」
ルシアンが歯を食いしばる。
アレンの虚孔が、咆哮の一部を泥のように沈めた。
胸の奥が重い。
だが、膝は折れない。
そしてもう一人、立っている者がいた。
ノエルだった。
彼女は両手で銀鈴を包み、涙をこぼしながら、それでも立っていた。膝は震えている。顔は蒼白だ。それでも、彼女の銀鈴だけが白い咆哮の中で細く鳴り続けている。
「アレン様……あの方、苦しんでいます。怒っているのではありません。もう、痛みを止める方法が分からないだけなんです」
吊られた少女の体が、ぶちり、と管を引き千切った。
白い修道服が裂け、背中から鐘の舌のような骨が何本も伸びる。顔は黒い鐘紋に覆われ、口元だけが裂けるように広がった。
白鐘魔骸。
人の祈りを喰わされ続けた、聖なる名を被った魔物。
その腕が、ノエルへ伸びた。
同じ銀鈴を持つ器を、次の核にしようとしている。
「ノエル!」
ルシアンの声が飛ぶ。
アレンはすでに動いていた。
瞬歩。
ノエルの前へ滑り込み、白鐘魔骸の爪を兼定で受ける。
衝撃で床が砕けた。
白い破片が散り、ノエルの頬をかすめる寸前、アレンの左腕が彼女の肩を抱き寄せた。
「下がれ」
「でも、アレン様……!」
「下がれと言った」
その声に、ノエルは息を呑んだ。
怒鳴ってはいない。
けれど、今のアレンには触れてはいけない熱があった。
白鐘魔骸の爪が、兼定の刃を軋ませる。
アレンはその奥に、吊られた少女の残った瞳を見た。
助けを求める色ではない。
終わらせてくれと、叫ぶ色だった。
人を人として扱わず、祈りの名で器にし、十七年も苦しみを積み上げた。
その所業に、アレンの中で何かが静かに切れた。
前世で何度も見た。
理屈を並べる者ほど、人の命を数字や役目に変える。
誤った判断で人が死ぬことを、何度も見た。
だが、ここまで人の尊厳を踏みにじるものを、見過ごす理由はない。
アレンの三白眼が、鬼のように鋭く燃えた。
兼定の刃に、赤黒い炎が薄く這う。
ただの怒りではない。
弔いの火だった。
「……もういい」
低い声が、旧声蔵に落ちる。
「これ以上、そいつに誰の声も背負わせねえ」
白鐘魔骸が、白い咆哮をもう一度吐こうとした。
アレンはノエルを背に庇ったまま、兼定を平正眼に据える。
その刃筋は、これまでの業火流とも、ただの平突きとも違っていた。
鐘を斬るためではない。
声を弔うための、鬼の刃。
「ルシアン様。三十数える間、ノエルを頼みます」
ルシアンは苦しげに膝をつきながらも、杖を握り直した。
「任せて」
アレンは一歩、白鐘魔骸へ踏み込んだ。
「俺が、終わらせる」
第136話をお読みいただきありがとうございました!
今回はかなり重い回になりました。
「祈り」や「証言」を守るという綺麗な言葉の裏で、人が道具にされていたという構図をしっかり出したかったです。
ノエルが倒れずに立っているところ、そしてアレンが前に出て庇うところは、二人の関係性としても大事な場面でした。
続きが気になる!と思ってくださった方は、ぜひブックマークや広告下の【☆☆☆☆☆】での評価で応援をよろしくお願いします!
皆さんの熱い一票をお待ちしております!




