第132話:三重封印と、言葉を削る白い部屋
第132話をお読みいただきありがとうございます!
今回は、聖務監査院の内部に入り、証拠を守るための三者共同封印を行う回です。
ルシアンの交渉力、アレンの違和感察知、そしてノエルが自分の言葉を守ろうとする場面に注目していただけると嬉しいです。
聖務監査院の内部は、外観以上に白かった。
壁も、床も、天井も、磨き上げられた白石で作られている。長い廊下の左右には、銀の筆を持つ聖務官たちが静かに立ち、通る者の名前、時刻、荷の種類を一つずつ記録板へ刻んでいた。
足音まで、規則正しく整えられている。
清らかというより、乱れを許さない場所だった。
「まずは封印室へ」
記録審理官マルティナ・セレーネは、感情の薄い声で告げた。
「証拠物を三者共同封印に移します。封印後、証言者ノエル・アルヴィーネは保護室へ。外部立会人の面会は、審理官の許可と同席を条件とします」
「承知しました」
ルシアンは穏やかに頷く。
その背後で、アレンは黙って歩いていた。肩の力は抜けている。だが視線だけは、廊下の角、鐘楼へ続く階段、聖務官たちの筆先を一つずつ拾っている。
白い建物の中に、黒いものは見えない。
だからこそ、余計に気に食わなかった。
「あるじ」
黒犬姿のアルクが、足元で小さく鼻を鳴らす。
「ここ、音、食べる。少しだけ」
「壁か」
「壁。床。あと、紙」
アレンは目だけで周囲を見る。
確かに、聖務官たちが記録板へ筆を走らせるたび、空気の端がほんのわずかに薄くなる。言葉が記録されているのではない。言葉の角が、紙に吸われて丸められている。
(保管、保護、記録。どれも綺麗な言葉だが、使い方を間違えりゃ立派な縄になる)
封印室は、監査院の一階奥にあった。
厚い白石の扉。中央には、銀の鐘を囲む白蔦の紋章。その下に、三つの封蝋台が並んでいる。
マルティナが鈴番記録の原本、ルシアンが写しと黒鈴、エステルが白蔦の門側の確認書を、それぞれ台の上へ置いた。
「記録します」
マルティナの銀筆が走る。
「提出証拠。鈴番記録一冊。巡礼路残響物一個。白蔦の門確認書一枚」
「待ってください」
ルシアンの声が、柔らかく割り込んだ。
「巡礼路残響物、では足りません。黒鈴は証言者の記憶へ干渉した疑いのある術具です。記録名は『証言干渉疑義術具』としてください」
マルティナの筆が止まる。
「監査院の分類では、未鑑定の鈴型術具は残響物です」
「分類は理解しました。ですが、名称が弱い」
ルシアンは微笑みを崩さない。
「弱い名前を付けた証拠は、弱い扱いを受ける。後で誰かが『単なる残響物だった』と言えば、それで終わってしまいます」
室内の空気が静かに張った。
ガルディオ司祭が、封印室の入口で穏やかに笑っている。
「ルシアン様は、随分と記録の言葉にお詳しい」
「大切なものを失わないために、必要な程度には」
ルシアンの返答は丁寧だった。
だが、その中に引く気は一切なかった。
マルティナは数秒沈黙した後、筆先を戻した。
「訂正します。提出証拠、証言干渉疑義術具一個」
銀筆が板を叩く音が、小さく響いた。
アレンは内心で薄く笑う。
(やるじゃねえか、ルシアン。刀を抜かずに、名前で相手の逃げ道を一つ潰した)
三つの封蝋が押される。
聖務監査院の白銀封蝋。
白蔦の門の巡礼封蝋。
グランヴェル公爵家の青銀封蝋。
三つが揃った瞬間、封印箱の蓋に細い光の線が走り、証拠物は白石の箱の中へ沈んだ。
そこでようやく、ノエルが小さく息を吐いた。
「……消えなかった」
「まだ安心するには早い」
アレンは低く言った。
「物を消せねえなら、次は言葉を削りに来る」
マルティナの灰色の瞳が、アレンへ向く。
「そのための保護室です」
「本当に保護ならいいんですがね」
アレンの声に、棘は少ない。
だが、白石の壁が一瞬だけ冷えたように感じられた。
保護室は二階の奥にあった。
小さな部屋だ。寝台と机、祈祷用の椅子、清水の瓶。窓には白い薄布がかかり、外からの視線は届かない。
一見、清潔で静かな休息の部屋だった。
ノエルが入口に立つ。
「ここで、待てばいいのですね」
「審理開始まで、こちらでお過ごしください」
マルティナが淡々と答える。
「食事、医療、祈祷は監査院が手配します。発言記録の混乱を防ぐため、私的な会話は制限されます」
「私的な会話まで、か」
アレンが呟く。
ノエルが不安そうにこちらを見た。
その瞬間、部屋の壁に、かすかな白い波が走った。
ノエルの「不安」が、壁に触れた。
そして、薄く削れた。
顔色が変わったのはアレンだけではない。アルクが歯を剥き、リナが一歩前に出る。
「何、今の」
「部屋が、ノエルの言葉を待ってやがる」
アレンは保護室の敷居の手前で足を止めた。
黒誠を抜きはしない。ただ、腰の位置で親指を鯉口へ添える。
「泣くな、騒ぐな、疑うな。そういう形に、感情の角を削る部屋だ。保護室じゃねえ。証言を丸くする石臼だな」
マルティナの表情が、初めてわずかに動いた。
「保護室には鎮静術式が刻まれています。証言者の精神負荷を下げるための正規設備です」
「規定書を見せてください」
ルシアンが即座に言った。
マルティナが沈黙する。
ガルディオが、柔らかく口を挟んだ。
「外部の方々に、聖務監査院の内部規定をその場で開示する義務はありません」
「義務がないことは、できない理由にはなりません」
ルシアンの声は穏やかだった。
「証言者の記憶へ干渉した疑義術具が見つかった直後です。鎮静術式と称する部屋に入れるなら、外部立会人として確認を求めます」
白い廊下に、沈黙が落ちた。
ノエルは両手を胸元で握りしめていた。
だが、震えたまま、顔を上げる。
「私も、確認していただきたいです」
小さな声。
けれど、逃げない声だった。
「私は落ち着きたいです。でも、私の不安まで、勝手に消されるのは嫌です」
マルティナは、その言葉をじっと聞いていた。
やがて、銀筆を記録板へ当てる。
「記録します。証言者本人より、保護室術式の確認希望」
ガルディオの笑みが、ほんの一瞬だけ硬くなった。
アレンは見逃さなかった。
「いい顔だな、司祭殿」
「何のことでしょう」
「いや。鐘が鳴る前の顔に見えただけです」
その時、保護室の奥に置かれた小さな卓上鈴が、触れてもいないのに震えた。
音は、鳴らない。
だが、ノエルの銀鈴の耳飾りだけが、ちり、と澄んだ音を返した。
ノエルの顔から血の気が引く。
「……下です」
「下?」
「この部屋の、もっと下。鐘が……誰かの声を、集めています」
白い保護室の床下から、冷たい気配が上がってくる。
アレンは静かに目を細めた。
「なるほど」
この監査院は、上だけでは終わらない。
祈りと記録の白い建物の下に、まだ鳴らない鐘が眠っている。
アレンは親指を鯉口から離し、かわりに口元だけで笑った。
「なら、まずは規定書だ。地下を暴くにも、表の鍵は必要だからな」
第132話をお読みいただきありがとうございました!
今回は、剣ではなく「記録名」や「保護室の術式」で戦う回でした。
ルシアンが静かに証拠の扱いを正す場面は、彼らしい表の強さを意識しています。
ノエルが小さな声でも自分の意思を口にできたところも、可愛くて健気な見せ場になったと思います。
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