第126話:鈴番の儀、白霧に沈む祈り
第126話をお読みいただきありがとうございます!
今回は、白蔦の門で行われる鈴番の儀に踏み込む回です。
ノエルが背負わされてきた祈りの歪みと、アレンの言葉で彼女が少しだけ自分の足で立つ場面に注目していただけると嬉しいです。
夜の白蔦の門は、昼間よりも白かった。
月明かりではない。巡礼宿の外へ滲み出した白霧が、石壁も、祈り石も、道端の草も、すべてを薄い布で覆うように包んでいる。
廊下の銀鈴が、風もないのに震えていた。
ちりん。
ちりん。
清らかな音の奥に、針で耳の奥を撫でるような黒い響きが混じる。
アレンは部屋の窓際に立ち、霧の流れを見ていた。足元では黒犬姿のアルクが、低く喉を鳴らしている。
「アレン」
背後から、ルシアンが静かに声をかけた。
部屋には二人と一匹だけだ。アレンは執事の仮面を少し外す。
「起きてたのか、ルシアン」
「君が寝る気のない顔をしていたからね。……鈴番の儀、見に行くんだろう?」
「ああ。あの霧、巡礼者の部屋から流れを集めてる。疲労や不安を鎮める術式に見せかけて、どこかへ吸わせてやがる」
ルシアンは窓の外へ目を細めた。
「ノエルさんに?」
「たぶんな。だが、聖教国の連中が全員腐ってるとは限らねえ。本来の儀式を、誰かが横から曲げている可能性もある」
「なら、僕は表を押さえる。教師たちや生徒が不安で動かないようにしておくよ」
「助かる」
短いやり取りで、役割は決まった。
アレンは黒誠を腰に差し、窓から外へ滑り出る。白霧の中へ足を置いた瞬間、アルクが影のように続いた。
「あるじ。下。白い音、下へ落ちてる」
「案内しろ」
「クゥ」
アルクは鼻先を低くし、巡礼宿の裏手へ進む。
そこには、小さな礼拝堂があった。昼間は見えなかった建物だ。白蔦に覆われ、扉の上には銀の鐘を囲む紋章が刻まれている。
扉の隙間から、祈りの声が漏れていた。
「白き霧よ、旅人の痛みを運びたまえ。銀の鈴よ、迷える音を鎮めたまえ」
中へ入ると、円形の礼拝室だった。
中央に大きな銀鈴が吊られ、その真下にノエルが跪いている。淡い月白銀の髪はほどけかけ、片耳の小さな銀鈴が震え続けていた。
周囲には数人の修道女が立ち、祈祷文を唱えている。その中には、昼間ノエルを責めた年配の修道女もいた。
「ノエル・アルヴィーネ。鈴番として、巡礼者の乱れを受けなさい」
「……はい」
ノエルは両手を胸の前で重ねる。
その瞬間、礼拝室の壁から無数の白い霧糸が伸びた。巡礼者たちの不安、耳鳴り、疲労、悪夢。その気配を帯びた霧が銀鈴へ集まり、清音へ変わる。
本来なら、そこで終わるはずだった。
だが、銀鈴の舌に絡む黒い筋が、清音を奪い、ノエルへ流し込んでいた。
「っ……」
ノエルの肩が震える。
白い頬から血の気が引いていく。それでも彼女は、祈りを止めない。
「皆様が、眠れるなら……私は」
「違うだろ」
アレンの声が、礼拝室に落ちた。
祈祷文が途切れる。修道女たちが一斉に振り返った。
「な、何者です。ここは聖なる儀の場ですよ」
「聖なる、ねえ」
アレンは黒誠を抜いた。刃ではない。神木烏木の黒い木刀が、霧の中で鈍く沈む。
「人一人を受け皿にして、綺麗な音だけ外に出す。それを祈りと呼ぶなら、随分と都合のいい神様だな」
「口を慎みなさい、平民の従者風情が」
年配の修道女が杖を掲げる。
その先端に白い光が集まりかけた瞬間、アレンの姿が消えた。
瞬歩。
草も霧も揺らさない一歩で懐へ入り、アレンは杖の根元へ黒誠の柄を当てた。
ごきん、と杖の魔力殻だけが砕ける。
「祈る手で人を縛るな」
修道女は声も出せず、尻餅をついた。
「アレン様……」
ノエルが震える声で呼ぶ。
その瞳には怯えがあった。けれど、昼間とは違う。何かを決めようとする光が、かすかに宿っている。
「私は……逃げても、いいのでしょうか」
「逃げたいなら逃げろ。残りたいなら、残れ」
アレンはノエルを見た。
「ただし、誰かに決められて受けるな。お前が選べ」
ノエルの片耳で、銀鈴が澄んだ音を立てた。
彼女は震える手を、自分の胸元へ置く。
「私は、逃げません。けれど……もう、ただ受けるだけにはなりません」
小さな声だった。
だが、礼拝室の清音よりもはっきり響いた。
ノエルは祈りの形を変える。霧を自分へ吸い込むのではなく、両手の間で柔らかく丸めるように受け止めた。
白い霧糸の流れが揺らぐ。
黒い筋が、それを許さぬように蠢いた。
(来たな)
アレンは黒誠を低く構える。
黒い筋は銀鈴の舌から離れ、蛇のようにノエルの喉元へ伸びた。彼女を再び器に戻そうとしている。
アレンは一歩で割り込み、黒誠の先端を黒い筋の継ぎ目へ押し込んだ。
斬れば、礼拝堂全体へ反動が散る。
砕けば、巡礼者たちへ耳鳴りが戻る。
だから、押さえる。
「アルク」
「噛む?」
「まだだ。匂いの根を追え」
アルクの額の布の奥で、小さな角が赤黒く熱を帯びる。黒犬は床へ鼻を寄せ、銀鈴から床下へ伸びる黒い匂いを嗅ぎ取った。
「下。鐘、もう一つ。古い。泣いてる」
その言葉に、礼拝堂の隅で息を呑む気配があった。
シスター・エステルだった。
彼女は白い修道服の裾を握りしめ、苦しげに告げる。
「……やはり、地下の鈴室へ繋がっているのですね」
「知っていたのか」
「疑っていました。けれど、証拠がなかった。鈴番の儀は本来、巡礼者の乱れを大地へ返すためのものです。ノエル一人に背負わせる儀式ではありません」
アレンは鼻で笑った。
「証拠なら、今から掘り出せる」
黒い筋が軋む。
銀鈴が悲鳴のように震え、礼拝堂の床に白蔦の紋様が浮かび上がった。その中央に、地下へ続く石の継ぎ目が現れる。
ノエルは息を荒くしながらも、霧の流れを必死に支えていた。
「アレン様……私は、まだ、立てます」
「上等だ」
アレンは黒誠を握り直す。
「その祈り、今度はお前の足で立たせてみろ」
白い霧の奥で、地下の銀鈴が低く鳴った。
清らかな白蔦の門。
その足元に、巡礼者の傷を喰らう古い鈴室が、静かに口を開けていた。
第126話をお読みいただきありがとうございました!
今回はノエルの「逃げないけれど、ただ受けるだけにもならない」という一歩を書く回でした。
清らかな儀式の裏にある歪みと、アレンらしい厳しい励ましのバランスを意識しています。アルクが地下の鈴を「泣いてる」と嗅ぎ分けるところも、地味に好きな場面です。
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