第124話:銀鈴の少女と、祈りの傷
第124話をお読みいただきありがとうございます!
今回は、白蔦の門の巡礼宿で新たな少女ノエル・アルヴィーネが登場します。清らかな祈りの裏にある歪みと、アレンらしい厳しくも温かい救いの言葉をお楽しみください。
白蔦の門の巡礼宿は、門の内側に寄り添うように建っていた。
白い石壁。薬草を干す細い棚。廊下の角ごとに吊るされた小さな銀鈴。清潔で、静かで、旅人を休ませるための場所としては申し分ない。
だが、アレンは宿へ足を踏み入れた瞬間、わずかに眉を動かした。
(薬草の匂いが強すぎる。疲労回復じゃねえ。何かを覆い隠しているな)
生徒たちは長旅の疲れもあって、教師たちの指示に従いながら部屋割りへ向かっていく。ルシアンはシスター・エステルと穏やかに言葉を交わし、学園代表として宿泊の礼を述べていた。
アレンはその半歩後ろに控えたまま、廊下の奥へ視線を滑らせる。
その時だった。
からん、と乾いた音がした。
木箱が倒れ、薬草束と祈祷記録の紙片が床へ散らばる。慌てて膝をついたのは、小柄な少女だった。
白を基調にした聖女見習いの修道服。淡い月白銀の髪は低い位置で一つに結ばれ、左右の後れ毛が頬に落ちている。薄紫がかった灰色の瞳は、焦りと怯えで沈んでいた。
片耳で、小さな銀鈴の耳飾りがかすかに揺れる。
「申し訳ございません……っ。すぐに片付けます」
「ノエル」
鋭い声が廊下に落ちた。
奥から歩いてきた年配の修道女が、少女を見下ろす。白い修道服は見事に整っていたが、その目には祈りの柔らかさよりも、規律を盾にした冷たさがあった。
「清めの銀鈴に異常が出た直後ですよ。祈祷記録係であるあなたが、また余計な乱れを広げてどうするのです」
「……申し訳ございません」
「あなたには銀鈴感応があるのでしょう。ならば、異常の兆しを先に拾うべきでした。役に立たないなら、せめて邪魔をしないことです」
少女――ノエル・アルヴィーネは、唇を噛んで頭を下げた。
周囲の生徒たちが気まずそうに視線を逸らす。リナが一歩踏み出しかけたが、アレンは小さく首を横に振った。
今、感情で割って入れば、ノエルの立場がさらに悪くなる。
だが、見逃す気もなかった。
「シスター」
ルシアンが柔らかい声で口を挟む。
「長旅の途中で、こちらの方々にもご負担をおかけしているようです。荷の一部は、こちらの従者にも手伝わせましょう」
「まあ、ルシアン様にそのようなお気遣いを」
年配の修道女は、ルシアンには丁寧に頭を下げた。ノエルへ向けていた冷たさが嘘のように消える。
アレンはその変わり身を、冷えた目で見ていた。
「では、私が」
アレンは自然な所作で前に出ると、床に散らばった紙片を拾い集めた。
ノエルが慌てて顔を上げる。
「い、いけません。貴方様に、そのようなことを」
「仕事だ。気にするな」
短く返しながら、アレンは紙片の文字へ目を走らせる。
巡礼者名簿。
薬草使用記録。
そして、端に小さく書き込まれた黒い印。
(白霧発生時、銀鈴感応者一名を鈴番へ配置……か)
嫌な記録だった。
その時、宿の外から子供の泣き声が響いた。
「いやだ、耳が鳴る……! 鐘が、まだ鳴ってる……!」
巡礼者の親子だった。幼い少年が母親に抱かれ、顔を真っ青にして震えている。白蔦の門を通ってから、耳鳴りが止まらなくなったらしい。
修道女たちがざわめく中、ノエルが反射的に立ち上がった。
「私が鎮めます」
「ノエル、失敗は許しませんよ」
「……はい」
ノエルは少年の前に膝をつき、両手を祈るように重ねた。小さな銀鈴の耳飾りが、ちり、とかすかな音を立てる。
淡い光が少年の額を包む。
だが、アレンには見えていた。
少年の耳元から伸びる、髪の毛より細い黒い筋。それがノエルの祈りに絡み、彼女の胸元へ流れ込もうとしている。
(治してるんじゃねえ。傷を自分に移してるだけだ)
ノエルの顔色が、見る間に白くなる。
それでも彼女は、祈りを止めなかった。
「大丈夫です……怖くありません。音は、もう遠くへ……」
「ノエル、もういい」
アレンの低い声が、廊下を切った。
ノエルが驚いて振り返るより早く、アレンは腰の黒誠を鞘ごと抜き、少年とノエルの間にある黒い筋の結び目へ軽く押し当てた。
斬るのではない。
結び目だけを、ほどく。
パキン、と小さな音がした。
少年の震えが止まり、母親が泣きながら彼を抱き締める。同時に、ノエルは力が抜けたように床へ崩れかけた。
アレンが片腕で支える。
「あ……申し訳、ございません。私が、未熟で……」
「謝る相手を間違えるな」
その声は厳しかった。
だが、怒りの矛先はノエルではない。
「人の傷をお前一人に押しつける仕組みが腐ってる。お前が弱いからじゃねえ」
ノエルの薄紫の瞳が、揺れた。
「でも、私が我慢すれば……皆様の不安は、少しでも」
「我慢を美徳にして死ぬな」
アレンは、真っ直ぐに言った。
「祈るなら、まず生きてからにしろ。倒れた奴の祈りなんざ、誰にも届かねえ」
ノエルは言葉を失った。
叱責なら慣れていた。
失望も、冷たい視線も、いくらでも受けてきた。
けれど、目の前の男は、彼女を役立たずとも、清い器とも呼ばなかった。
一人の人間として、倒れるなと言った。
「……私、は」
ノエルの片耳で、銀鈴の耳飾りが微かに鳴った。
先ほどのような痛い音ではない。澄んで、細く、けれど確かに前へ進もうとする音だった。
アレンの足元で、黒犬姿のアルクが鼻を鳴らす。
「クゥ……この子、白い。でも、傷の匂い」
「だろうな」
アレンは小さく息を吐き、ノエルをそっと立たせた。
廊下の向こうで、シスター・エステルが静かにこちらを見ていた。その瞳には驚きと、どこか安堵に近い色が混じっている。
「アレン様」
ノエルは震える声で、初めて彼の名を呼んだ。
「私は……祈ることしか、できないと思っていました」
「なら、次は祈り方を選べ」
アレンは黒誠を腰へ戻した。
「誰かに押しつけられた祈りじゃなく、お前自身の願いでな」
ノエルは胸元で両手を握りしめる。
その時、宿の外に白い霧が降り始めた。
夕刻にはまだ早い。
白い霧は、巡礼宿の窓辺を撫でるように流れ、廊下の銀鈴を一つ、また一つと震わせていく。
ちりん。
ちりん。
音は清らかだった。
だが、その奥に、黒い筋が一本だけ混じっている。
ノエルの顔から血の気が引いた。
「今夜は……鈴番の儀があります。私も、呼ばれるはずです」
「そうか」
アレンの三白眼が、白い霧の向こうを射抜く。
「なら、その儀式とやらを見せてもらおうじゃねえか」
白蔦の門に、夜が降りる。
清らかな鈴の音に紛れて、誰かの傷を喰らう仕組みが、静かに動き始めていた。
第124話をお読みいただきありがとうございました!
今回はノエル初登場回でした。清楚で不遇な聖女見習いとして、ただ守られるだけではなく、アレンの言葉で少しずつ自分の祈りを選んでいく子にしたいと思っています。アレンの「我慢を美徳にして死ぬな」は、かなり彼らしい励ましになりました。
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