第122話:栗色の髪、旅立ちの朝
第122話をお読みいただきありがとうございます!
今回は、オルフェリア聖教国へ向かう旅立ちの朝です。
リナの栗色ポニーテールや、セレナとの張り合い、そしてアルクの黒犬偽装にも注目していただけると嬉しいです。
オルフェリア聖教国へ向かう出発の朝。
聖アイビス国立魔法学園の正門前には、いつもの講義前とは違う緊張と浮つきが混じっていた。
巡礼路を越えるための馬車。医療魔法交流のための木箱。護衛騎士たちの硬い鎧の音。教師たちの点呼。生徒たちの小さなざわめき。
そのすべてを、アレンはルシアンの斜め後ろで静かに見渡していた。
「荷の数、護衛の配置、通信魔導具の予備。問題ありません、ルシアン様」
「ありがとう、アレン。君がそう言うなら、出発前に荷馬車が爆発する心配はなさそうだね」
「その場合は、爆発する前に蹴り飛ばします」
「冗談で言ったんだけどな」
ルシアンが苦笑する。その横で、フェリスは何事もない顔で馬車の影を確認していた。黒犬姿のアルクはアレンの足元に座り、額の毛に紛れた小さな角の影をフード付きの従魔用布で隠している。
ぱっと見れば、少し毛並みの癖が強い黒犬だ。
ただ、知っている者が見れば、その琥珀色の瞳が普通の犬ではないとすぐに分かる。
「アルク。余計な匂いを拾っても飛び出すな」
「クゥ」
「返事だけはいいな」
アレンが小さく息を吐いた時、背後から明るい声が飛んできた。
「アレン! こっちの荷物、私たちの馬車に積めばいいんだよね?」
振り返ると、リナが大きな布袋を肩に担いで立っていた。
赤みを帯びた栗色の髪は、高めの位置で一つに結ばれている。村で使っていたような赤茶の革紐でぎゅっとまとめたポニーテールは、朝日に照らされるたび、蜂蜜色や銅色の筋をちらりと覗かせた。
貴族令嬢の髪のように完璧には整っていない。毛先は少し跳ね、前髪も額にかかっている。だが、その少し乱れた髪が、今にも走り出しそうなリナの気質によく似合っていた。
学園制服もきちんと着ているが、袖は動きやすいように工夫され、腰には杖と短い木刀が並んでいる。手のひらには、鍛錬でできた硬い豆が見えた。
アレンはその姿を見て、わずかに目を細める。
「……ずいぶん旅慣れた格好になったな」
「へへ。綺麗に座って馬車に揺られるだけなら、アレンの隣に立てないでしょ」
リナは得意げに胸を張った。
「ミレイの荷物も私が見る。体力戻りきってないんだから、無理させられないし」
その後ろでは、ミレイが小さな鞄を両手で抱え、申し訳なさそうに立っていた。
「ご、ごめんね。リナさん。私、荷物くらい自分で」
「駄目。病み上がりが張り切ると、途中でへばるの。まずはちゃんと歩く。次にちゃんと食べる。戦うのはその後」
リナの言葉に、アレンは少しだけ口元を緩めた。
「いい判断だ。ミレイを頼む」
「任せて」
その一言だけで、リナの琥珀色の瞳がぱっと明るくなる。
彼女は慌てて視線を逸らし、指で横髪を払った。ポニーテールの先が照れ隠しのように揺れる。
「べ、別に褒められたから嬉しいとかじゃないからね。普通に当然のことだから」
「誰もそこまで聞いてねえ」
「うるさい!」
リナが頬を赤くした、その瞬間。
「ずいぶん朝から仲がよろしいですわね」
冷ややかな声が割り込んだ。
セレナ・ド・グランヴェルが、旅装束に身を包んで立っていた。背に流れる長い金髪は、今日は邪魔にならないよう簡素に束ねられている。貴族令嬢らしい品位を残しながらも、足元はきちんと歩ける靴に替えられていた。
「リナ。荷物運びなら私にもできますわ」
「そう? じゃあこの木箱お願い。中身、魔導野営具だからちょっと重いけど」
「望むところですわ」
セレナは迷いなく木箱に手をかけ、次の瞬間、少しだけ顔を引きつらせた。
「……なかなか、根性のある重さですわね」
「無理なら代わるよ?」
「誰が無理と言いましたの!」
二人の間に、いつもの火花が散る。
だが、以前のような棘だけではない。リナはミレイの荷を支え、セレナは悔しがりながらも木箱を持ち上げようとしている。互いに張り合いながら、自然と同じ方向を向いていた。
ルシアンが小さく笑った。
「頼もしいね。あの二人が一緒なら、馬車の中も退屈しなさそうだ」
「騒がしくはなるでしょうね」
フェリスが淡々と答える。
アレンは二人の様子を見ながら、足元のアルクへ視線を落とした。
アルクはリナの栗色のポニーテールをじっと見ている。
「どうした」
「クゥ」
「噛むなよ」
「クゥ……」
少し残念そうな声だった。
どうやら揺れる髪を獲物か玩具のように見ているらしい。
アレンはアルクの頭を軽く押さえた。
「あれは噛むものじゃない。リナに噛みついたら、俺が叱る前に本人の雷を喰らうぞ」
その言葉が聞こえたのか、リナが振り返る。
「ちょっと、誰が従魔相手に雷落とすって?」
「落とさないのか」
「……噛まれた場所による」
「落とす気じゃねえか」
朝の空気に、小さな笑いが広がった。
だが、その穏やかさは長く続かなかった。
学園長ヴァルターが正門前へ現れると、教師たちの声が引き締まる。彼の手には、白い蔦と銀の鐘を描いた通行証が握られていた。
「これより、オルフェリア聖教国への学園外実地研修を開始する」
生徒たちのざわめきが止む。
「目的は医療魔法交流、巡礼路の安全確認、負傷者慰問。そして、各自が学園の外にある現実を学ぶことだ。浮かれるな。だが、怯えすぎるな。君たちは学ぶために行く」
その言葉に、リナのポニーテールが風で揺れた。
朝日に照らされた栗色の髪の表面を、一瞬だけ細い紫電が走る。
緊張ではない。
気合いだった。
アレンはそれを見て、ふっと笑う。
(いい顔になったじゃねえか)
守られるだけだった村の少女は、もういない。
泥にまみれても、手に豆を作っても、悔しさで泣いても、それでも追いかけてくる。
その背中を、アレンはもう弱いとは思わなかった。
「アレン」
リナが振り返る。
「行ってくる。今度は、ちゃんと隣まで走るから」
アレンは執事の顔を崩さず、しかし声だけを少し柔らかくした。
「転ぶなよ」
「転んでも起きるわよ」
「ならいい」
リナは満足そうに笑い、ミレイの手を引いて馬車へ向かった。
セレナがそれを追い、クリスティアやクロード、アルベルト、エレナたちもそれぞれの馬車へ乗り込んでいく。
やがて、最初の馬車の車輪が動き出した。
白蔦の門へ。
癒やしと祈りの国へ。
そして、その奥で黒く鳴るかもしれない鐘の方へ。
アレンはルシアンの馬車の扉を開け、最後に西の空を見た。
足元のアルクが、小さく喉を鳴らす。
その額の奥で、隠したはずの小さな角が、ほんのわずかに熱を帯びていた。
旅は始まった。
だが、巡礼路の風には、すでに微かな鉄と鈴の匂いが混じっていた。
第122話をお読みいただきありがとうございました!
今回は、リナの外見と旅立ちの空気を描くのが楽しい回でした。
栗色のポニーテールに紫電が走る場面は、リナらしい泥臭い可愛さとかっこよさを意識しています。
セレナと張り合いながら同じ方向を向き始めているところも良いですね。
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