第121話:角隠しの黒い歩
第121話をお読みいただきありがとうございます!
今回は、人型になったアルクの設定をさらに掘り下げる回です。
小さな黒い角、角隠しの外套、そしてオルフェリアから届いた銀の鈴の不穏な反応に注目していただけると嬉しいです。
翌朝。
特級魔導書庫の管理室に、アレンは一匹の黒犬を抱えて現れた。
部屋の主であるエレノア・フォン・ローゼンバーグは、淹れたての茶を前に優雅に微笑んでいたが、アレンの顔を見た瞬間、その笑みを引っ込めた。
「……何か面倒なものを持ち込んだ顔ね」
「話が早くて助かります」
アレンは扉を閉め、内側から鍵をかけた。
部屋の隅では、フェリスが無言で壁際に立っている。ルシアンの護衛引き継ぎを終えたばかりなのだろう。相変わらず涼しい顔だが、アレンの腕の中の黒犬を見て、琥珀色の瞳をわずかに細めた。
「その従魔が、何か?」
「アルク。出ろ」
「クゥ」
黒犬の輪郭が、墨を水に落としたように揺らいだ。
次の瞬間、アレンの足元に立っていたのは、小柄な子供だった。
柔らかく跳ねる黒髪。暗がりで金に近く光る琥珀色の瞳。少女のように整った顔立ちだが、首筋や肩の線には少年の気配がある。
何より目を引くのは、前髪の間から覗く二本の小さな黒い角だった。
濡れた黒曜石のような艶を帯び、先端にはまだ幼い丸みが残っている。角の根元には、アルクが緊張したせいか、赤黒い筋がほんの薄く浮かんでいた。
「……あら」
エレノアの瞳が、危険なほど輝いた。
「飼い犬が、角付きの美少年になったわ」
「飼い犬じゃありません。従魔です」
「似たようなものよ。触っていい?」
「駄目です」
アレンが即答すると、エレノアは不満そうに唇を尖らせた。
その間にも、アルクはアレンの背中に半分隠れている。黒い外套のように見える衣は布ではない。毛並みと影が人の服を真似ているだけだ。嬉しいのか不安なのか、その裾が尻尾のように左右へ揺れていた。
「あるじ。あの女、目、こわい」
「正しい判断だ。近寄るな」
「聞こえているわよ、二人とも」
エレノアは笑いながらも、机の上に銀の測定環を置いた。
「冗談はさておき、これは大事よ。黒角狼の幼体が人型を取るなんて、普通の成長ではまず起こらない。名付けの影響、戦場経験、そしてあなたの空白。全部が絡んでいる可能性があるわ」
「やはり、そこですか」
「ええ。普通の従魔契約なら、主の魔力が従魔へ流れて形を整える。でもあなたには魔力がない。なのにこの子は成長している。つまり、流れたものは魔力ではないか、あるいは魔力以外の何かをこの子が食べている」
アレンは無言でアルクを見下ろした。
アルクは自分が話題になっていることだけは理解したのか、黒い爪の生えた小さな指で自分の角を触った。
「あるく、食べた。まもの。鐘。こわい音。あるじの、黒いの」
エレノアの笑みが、一瞬で研究者のものへ変わる。
「やっぱりね。あなたの虚孔に触れた残響を、従魔側が経験として取り込んでいる可能性がある。危険だけれど、面白いわ」
「面白がるな」
アレンは低く釘を刺した。
「こいつは研究材料じゃねえ。俺の従魔です」
「分かっているわ。だから解剖はしない」
「解剖という単語が出た時点で信用が下がりました」
フェリスが横から静かに口を挟んだ。
「アレン。問題は、ルシアン様の近くにその姿で置けるかどうかです。角が出ている以上、ただの子供として誤魔化すには無理があります」
「ああ。だから相談に来た」
アレンはアルクの頭に手を置いた。
「人前では黒犬のまま。人型になるのは、俺の合図がある時だけ。だが旅先で緊急時に動かすなら、最低限、角を隠す手段がいる」
エレノアは立ち上がり、書庫の棚から黒い子供用の外套を取り出した。
「幻視布よ。見た目を変える魔法じゃないわ。視線を滑らせて、細部を見落とさせる布。角を完全に消すほどではないけれど、フードを被せれば普通の子供に見えやすくなる」
アレンは外套を受け取り、アルクへ被せた。
小さな角はフードの下で辛うじて隠れた。だが、アルクが不機嫌そうに耳を動かすと、布の端がぴくりと跳ねる。
「あるじ。きゅうくつ」
「我慢しろ。街で角を出して歩くよりはマシだ」
「あるく、つよい。かくさない」
「強い奴ほど、隠す時は隠す」
その一言に、アルクは少しだけ考え込んだ。
「あるじも?」
「ああ」
「じゃあ、あるくも、隠す」
素直すぎる返事に、フェリスの表情が一瞬だけ揺れた。
「……妙に聞き分けがいいですね」
「俺の言うことは聞く」
「そこが危険なのです。忠誠が強すぎる従魔は、主の危機に命令を破ります」
フェリスの指摘は正しかった。
アルクの角の根元に、また赤黒い筋が浮かぶ。
「あるじ、守る」
「守るなら、命令を聞け」
アレンはしゃがみ、アルクの琥珀色の瞳を正面から見た。
「俺が待てと言ったら待て。伏せろと言ったら伏せろ。噛めと言った時だけ噛め。勝手に飛び出して死ぬ奴は、俺の歩じゃねえ」
アルクは息を止めたように固まり、それから小さく頷いた。
「あるく、歩。止まらない。でも、待つ」
「よし」
アレンが頭を撫でると、外套の裾がまた尻尾のように揺れた。
その時、机の上に置かれていた小さな銀の鈴が、触れてもいないのにちりん、と鳴った。
エレノアの顔から笑みが消える。
「……それ、オルフェリアの使節団から届いた巡礼印よ。普通は清めの音しかしない」
アルクはフードの奥で牙を剥いた。
「いやな、鐘。白いのに、くろい」
アレンの目が細くなる。
白い祈りの国。
清めの鈴。
その奥に、黒いものが混じっている。
「行く前から歓迎とは、随分と気が利いてやがる」
エレノアは鈴を封印箱へ戻し、重い声で言った。
「アレン。オルフェリアでは、この子の鼻が頼りになるかもしれないわ」
「最初からそのつもりです」
アレンはフードを被ったアルクを見下ろした。
「いいか、アルク。鳴るものに近づきすぎるな。匂いを拾ったら、まず俺に知らせろ」
「はい」
「よし。戻れ」
アルクは黒い霧となり、次の瞬間、小さな黒犬の姿でアレンの足元に座った。
ただ、その額には、黒い毛に紛れて小さな角の影がほんのわずかに残っていた。
フェリスがぽつりと呟く。
「……これ、本当に黒犬登録で通りますか」
「通す」
「力技ですね」
「書類は俺が書く」
アレンは涼しい顔で答え、黒犬の頭を軽く叩いた。
アルクは嬉しそうに「クゥ」と鳴いた。
角隠しの黒い歩。
その小さな額は、まだ誰にも聞こえない西の鈴音へ、静かに反応していた。
第121話をお読みいただきありがとうございました!
今回は、アルクの人型をどう見せるかが楽しい回でした。
小さな黒角と、アレンの命令だけは素直に聞くところが可愛かったですね。
一方で、オルフェリアの鈴に黒い気配が混じる場面は、次章への不穏さを意識して書いています。
続きが気になる!と思ってくださった方は、ぜひブックマークや広告下の【☆☆☆☆☆】での評価で応援をよろしくお願いします!
皆さんの熱い一票をお待ちしております!




