第116話:白銀路の帰還、外へ残る匂い
第116話をお読みいただきありがとうございます!
今回は、親鐘室鎮圧後の余韻と、次に残った火種を描く回です。
リディアの蜂蜜湯の場面で少し息をつきつつ、黒の円卓が王都の外側へ残した不穏な痕跡にも注目していただけると嬉しいです。
親鐘室に、白銀の光が戻っていく。
黒銀に濁っていた床の導線が、細い水路を流れる月光のように一本ずつ澄みはじめた。石橋の下で止まっていた歯車がゆっくりと回り、遠くの排水路から、長く詰まっていた水が動き出す音が聞こえる。
王都を閉じ込めるための檻になりかけていた場所が、ようやく本来の姿を思い出そうとしていた。
「……完全に綺麗になったわけじゃないわ」
エレノアが膝をついたまま、床の紋様を指でなぞった。
「灯と鏡の外部干渉は切った。親鐘も鳴らなかった。でも、黒銀の染みはまだ深いところに残ってる。ここはしばらく封鎖して、王家と学園の解析班で監視する必要がある」
「証拠は」
アレンが問うと、エレノアは砕けた銀の核の跡を見た。
そこに残っていたはずの破片は、もう灰になっていた。青い灯の焦げ跡も、触れる前から砂のように崩れていく。どちらも、術式としての形を失うと同時に、自壊するよう仕込まれていたらしい。
「座標も術者の魔力紋も、全部焼かれてるわ。相手は本当に逃げ足が速い」
「逃げ足が速いんじゃねえ」
アレンは灰を踏まないように一歩退いた。
「逃げる前提で戦ってるだけだ」
勝った。
だが、首は取れていない。灯籠卿も鏡面卿も、ここに差し込んでいた指を失っただけだ。本体は遠くでまだ息をしている。
そういう相手は、倒したつもりになった瞬間が一番危ない。
「戻るぞ。上で待ってる奴らに、余計な心配をかける」
「貴方がそれを言いますか」
フェリスが冷ややかに言った。
「ルシアン様が一番心配される原因は、ほぼ貴方です」
「耳が痛いな」
「痛めてください。できれば深く」
いつもの硬い声だったが、フェリスの肩からもわずかに力が抜けていた。親鐘が鳴らなかった。その事実は、彼女にとっても十分に重かったのだろう。
◇
王城外郭の結界室に戻ると、リディアは毛布にくるまって待っていた。
白銀に近い淡い髪が頬にかかり、左耳の鐘と鍵の耳飾りが、小さく光を返している。顔色はまだ悪い。だが、淡い鐘青色の瞳には、先ほどより少しだけ温度が戻っていた。
「……アレンさん」
「生きてるな」
「はい。たぶん……」
「たぶんじゃ困る」
アレンは卓の上に置かれていた蜂蜜湯を取り、香りを確かめた。少し薄い。無言で蜂蜜を足し、温度を見てから、リディアの手元へ差し出す。
「濃いめだ。約束通りだろ」
リディアは両手で杯を受け取り、こくりと小さく飲んだ。
その瞬間、張り詰めていた細い肩が、ほんの少しだけ落ちる。
「……甘いです」
「文句か」
「いいえ。うれしいです」
リディアは杯を胸元に寄せた。
「わたし、ちゃんと役に立てましたか」
「礼も詫びも、無事に生き残ってからだ」
アレンは短く言った。
「今は飲め。眠れるなら眠れ。鐘の声を聞くのは、その後でいい」
「……はい」
素直に頷いたリディアの耳飾りが、かすかに揺れた。
音はほとんどない。
だが、彼女の表情だけが、ふっと曇った。
「どうした」
「親鐘は、静かになりました。でも……外で、変な匂いがします」
フェリスが即座に反応した。
「匂い、ですか」
「甘い薬の匂いじゃありません。もっと薄い……灯が消えた後の油みたいな匂い。鏡を拭いた布みたいな、冷たい匂い」
エレノアの目が細くなる。
「灯と鏡の残滓が、外へ逃げた?」
「逃げたというより……」
リディアは不安そうに耳飾りへ触れた。
「外のどこかに、先に置いてあったものが、今の震えで起きたみたいです」
親鐘室は鎮圧した。
だが、敵は親鐘室だけで戦っていたわけではない。
外へ出た後。
黒鐘卿が最後に残した言葉が、アレンの耳の奥で冷たく反響した。
◇
上層の作戦室では、ラインハルトが王家の封蝋を押した指令書を閉じたところだった。ルシアンは地図の前に立ち、国王レオンハルトは腕を組んだまま、地下から戻ったアレンたちを見据えている。
「報告を聞こう」
国王の声は低い。
アレンは執事として一礼し、要点だけを述べた。
「親鐘室は一時鎮圧。親鐘の鳴動は阻止しました。灯籠卿、鏡面卿は遠隔媒介のみを破棄して撤退。本体の捕捉には至っておりません」
「充分だ」
ラインハルトが静かに言った。
「王都が檻に変わらなかった。それだけで、今夜の勝ちは大きい」
ルシアンだけは、アレンの顔色を見ていた。
「アレン、君の負荷は」
「問題ございません、ルシアン様」
「嘘が下手になったね」
小さな声だった。
公の場でなければ、もっと踏み込んでいただろう。だが、今は互いに役目がある。ルシアンはそれ以上追及せず、地図へ視線を戻した。
エレノアが王都地下導線図の一部を指した。
「白銀路はおおむね復帰しているわ。ただし、三か所だけ戻りきっていない場所がある。親鐘室内ではない。外側よ」
地図の端に、三つの鈍い点が浮かぶ。
一つは王都東外縁の旧外郭水門。
一つは王城の薬品搬入路。
そして最後の一つは、学園へ向かう古い地下連絡路の途中だった。
アレンの三白眼が、静かに細まる。
「なるほどな。親鐘室を取られた時の逃げ道まで、最初から仕込んでやがったか」
国王が低く笑った。
「どこまでも腹立たしい連中だ」
「腹を立てるだけなら簡単です」
アレンは地図の三点を見た。
「次は、どれを先に潰すかです」
親鐘は鳴らなかった。
だが、王都の外側にはまだ、灯の残り香と、鏡の冷たい残響が漂っている。
夜は明けようとしていた。
しかし、黒の円卓が仕込んだ影は、朝の光の中へ逃げ込もうとしていた。
第116話をお読みいただきありがとうございました!
今回は大きな戦闘の直後なので、親鐘室が静かになっていく余韻と、リディアが少しだけ安心する場面を大切にしました。
濃い蜂蜜湯をちゃんと用意するアレン、こういうところが不器用に優しくて良いですね。
一方で、勝ったはずなのに外側にまだ影が残っているという、黒の円卓らしい嫌な後味も入れています。
続きが気になる!と思ってくださった方は、ぜひブックマークや広告下の【☆☆☆☆☆】での評価で応援をよろしくお願いします!
皆さんの熱い一票をお待ちしております!




