第114話:灯の迷宮、鏡の人質
第114話をお読みいただきありがとうございます!
今回は、親鐘室で発動した迷宮灯と鏡面干渉をアレンたちが攻略する回です。
鏡を壊せば上層の大切な人たちへ反動が返るという状況で、アレンがどう刃を入れるのかに注目していただけると嬉しいです。
和泉守兼定の鯉口が、静かに鳴った。
親鐘室の奥で揺れる青い迷宮灯。その向こうに浮かぶ銀の鏡面には、謁見の間の国王レオンハルト、上層で指揮を執るラインハルト、そして遠くから地下を案じるルシアンの姿が映っている。
だが、ただ映っているだけではない。
鏡面の縁から、黒銀の糸が細く伸びていた。その糸は親鐘室の床を這い、白銀の避難導線へ絡み、上層へ向かう古い魔力管へ染み込もうとしている。
「斬れば反動が返るわ」
エレノアが即座に言った。
「鏡の面を割れば、映された相手の精神へ破片が飛ぶ。国王陛下、王太子殿下、ルシアン君の三人が同時に傷つく可能性がある」
「本当に嫌な手を使う」
フェリスが短刀を握り直す。
「ルシアン様を映した時点で、万死に値します」
「同感だ」
アレンの声は低かった。
ただし、怒りで踏み込むほど甘くはない。感情のまま鏡を叩き割れば、敵の思う壺だ。
親鐘室の床では、青い灯に照らされた通路が増え続けていた。
右へ伸びる石橋。
左へ曲がる水路沿いの道。
親鐘の真下へ続く階段。
どれも本物に見える。だが、方円の檻を薄く張ると、アレンの肌に返ってくる気配が少しずつ違った。
踏めば落ちる道。
踏めば上層へ恐怖が返る道。
踏めば、自分の影だけが先へ行く道。
迷わせるためだけの幻ではない。選んだ道そのものを別の意味へ変える境界術だ。
『アレンさん……青い灯、道を増やしてます。でも、全部が嘘じゃないです』
リディアの声が震える。
『本当の逃げ道も、混ざってます。だから余計に、分かりにくい』
「そうか」
アレンは一歩も動かず、親鐘室全体を見た。
道を増やす。
鏡で上層を映す。
親鐘の周囲に、黒銀の糸を絡める。
どれも一見、別々の罠に見える。だが、根は同じだ。
相手に「選ばせる」ための仕掛け。
選んだ道、選んだ刃、選んだ破壊。その責任を、守るべき者へ返すための術。
「なら、選ばなきゃいい」
アレンは呟いた。
エレノアが片眉を上げる。
「どういう意味?」
「敵が用意した道を歩かない。敵が用意した鏡を割らない。敵が用意した答えを選ばない」
和泉守兼定が、ゆっくりと抜かれた。
刃に、親鐘室の白銀と青い灯が映る。
その刹那、青い迷宮灯の炎が揺れた。
『あは』
幼い少年のような笑い声が、灯の奥から漏れる。
『すごいね。そこまで分かるんだ。でも、道を選ばないなら、立ち止まるしかないよ? 立ち止まれば、鐘はゆっくり息を吸う』
灯籠卿。
遠隔の声だ。本人がここにいるわけではない。だが、青い火が揺れるたび、親鐘室の道はまた一つ増えていく。
続いて、鏡面が柔らかく波打った。
『割ってもいいのよ? あなたの刃なら、きっと届くわ』
女の声。
鏡面卿。
『けれど、鏡に映るものまで一緒に斬らずに済むかしら。王、王子、主君。大切なものが多い人ほど、鏡はよく曇るの』
アレンは答えなかった。
代わりに、兼定の切っ先を床へ向ける。
「フェリス。上層へ伸びる黒銀の糸を、紫煙で追えるか」
「追えます。ただし、切断は危険です」
「切るな。絡めて、動きを遅くしろ」
「承知しました」
フェリスの影から紫煙が走る。煙は床を這う黒銀の糸に絡みつき、蛇のように動きを鈍らせた。
「教授。迷宮灯が増やした道のうち、実体があるものだけを浮かせられるか」
「できるけれど、数が多いわよ」
「全部じゃなくていい。俺の足元から鏡までの間だけでいい」
「……相変わらず、注文が細かいわね」
エレノアの魔法陣が親鐘室の床へ広がる。青い灯に増やされた通路のうち、魔力的な質量を持つものだけが、淡い赤で縁取られた。
アレンはそれを見た。
いや、見ただけではない。
赤く縁取られた本物の道。
青く揺れる偽物の道。
その境目にある、まだ意味を持たされていない細い余白。
そこだけは、敵の選択肢ではない。
「リディア」
『はい』
「鐘が嫌がっている場所はどこだ」
少しの沈黙。
『……親鐘の影の下。白い線と、黒い線が重なってないところ。そこ、鐘が見落としてます』
「充分だ」
アレンの足が、音もなく沈んだ。
瞬歩。
地面を蹴らず、石床に力を吸わせる。迷宮灯が用意した道の上ではない。道と道の狭間、意味のまだ貼られていない空白だけを踏み、アレンは鏡へ向かって滑った。
『え』
灯籠卿の笑い声が止まる。
鏡面卿の声が、わずかに硬くなった。
『そこは道ではないわ』
「道じゃねえから通るんだよ」
アレンは低く吐き捨てた。
鏡面が慌てたように揺れ、国王たちの姿を濃くする。
割れ。
斬れ。
守るなら、ここへ刃を入れろ。
鏡がそう誘っている。
だからアレンは、鏡を斬らなかった。
兼定の刃が走ったのは、鏡そのものではない。
鏡の裏から親鐘の魔力管へ伸びる、黒銀の糸の根元。
鏡が「映す」ために必要としている、反射と接続の継ぎ目だった。
キィン、と高い音が鳴る。
だが、鐘の音ではない。
刃と黒銀の糸が擦れた音だ。
アレンは一閃で断たない。刃を寝かせ、糸の根元を薄く削る。斬り落とせば反動が返る。ならば、鏡が掴んでいる「映す権利」だけを剥がす。
『なっ……』
鏡面卿の声に、初めて焦りが混じった。
フェリスの紫煙が、削られた糸へ一気に絡みつく。
「今です、エレノア教授!」
「分かってる!」
エレノアの魔法陣が跳ね上がり、鏡面と上層を繋いでいた反射経路を、親鐘室の空の水路へ逸らした。
鏡面に映っていた国王、ラインハルト、ルシアンの姿が薄れる。
代わりに映ったのは、誰もいない石橋と水面だけだった。
「映す相手を間違えたな」
アレンは兼定を返す。
今度は躊躇しなかった。
映された人質が消えた鏡へ、平突きが叩き込まれる。
バキィンッ!!
銀の鏡面が砕け散った。
だが、砕けたのは鏡の表面だけだった。
破片の奥、親鐘室の青い闇に、まだ小さな銀の核が浮かんでいる。そこから黒銀の糸が、親鐘の鐘舌へ向かって細く伸びていた。
「本体じゃねえ。媒介か」
アレンが舌打ちする。
青い迷宮灯もまた、消えていなかった。灯籠の火は弱まったが、親鐘の下へ落ちるように沈み、そこに黒い影を作っている。
『ひどいなあ。せっかく増やした道を、道じゃないところから抜けるなんて』
灯籠卿の声は、まだ笑っていた。
『でも、まだ遊びは終わってないよ。灯と鏡は、二つで一つ。片方だけ壊しても、もう片方が道を覚えてる』
『ええ。あなた、思ったより丁寧に剥がすのね』
鏡面卿の声も、銀の核から薄く響く。
『ますます映したくなったわ。その刃ではなく、その中身を』
親鐘が、静かに息を吸った。
まだ鳴ってはいない。
だが、青い灯の核と銀の鏡核が残っている限り、黒の円卓の二人はこの場へ干渉し続ける。
アレンは砕けた鏡面の残滓を踏み越え、兼定を握り直した。
「教授。あの二つの核、親鐘に繋がってるか」
「繋がっているわ。しかも、どちらか片方だけ壊すと、もう片方が反動を吸って親鐘へ流す」
「同時に潰せってことか」
「そういうこと」
フェリスが短刀を構え直す。
「ならば、二手に分かれますか」
「いや」
アレンは親鐘の下、青い灯の影と銀の核を見据えた。
「分かれたら、また選ばされる。二つ同時に、一つの線で落とす」
親鐘室の奥で、青と銀の光が絡み合う。
灯籠卿と鏡面卿の遠隔媒介。
その二つが、親鐘を黒の円卓へ繋ぎ止める最後の楔として、静かに脈打っていた。
第114話をお読みいただきありがとうございました!
今回は「斬ればいい」では済まない鏡の罠を書くのが楽しかったです。
アレンが敵の用意した道ではなく、道ですらない余白を踏んで突破する場面は、かなり彼らしい攻略になったと思います。
フェリスの「ルシアン様を映した時点で、万死に値します」も良い忠誠心でした。
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