第113話:鳴らぬ棘と、眠れる親鐘
第113話をお読みいただきありがとうございます!
今回は、アレンたちが親鐘前の黒銀の棘を処理し、ついに親鐘室へ踏み込む回です。
黒誠、フェリスの紫煙、エレノアの解析、リディアの案内が噛み合う場面に注目していただけると嬉しいです。
黒誠の先端が、黒銀の杭へ触れた。
次の瞬間、扉全体が脈打った。
石でできているはずの扉が、まるで生き物の喉のように震える。黒銀の杭の根元から細い亀裂が走り、そこから甘い薬の匂いが滲み出した。
「アレン、鳴動反応が上がってるわ」
エレノアが背後で低く告げる。
「杭の周囲に、三重の意味殻。外側は鍵、中央は棘、内側は鐘舌。力任せに抜けば、内側の鐘舌が親鐘を叩く」
「なるほどな」
アレンは黒誠を押し当てたまま、目を細めた。
面倒な仕掛けだった。
杭を抜かせたい。だが、抜けば鳴る。壊せば鳴る。怖がって放置すれば、上で待つ王や兵が少しずつ眠らされる。
選択肢そのものを罠にする、実に性根の悪い術式だ。
『アレンさん……杭の奥、息を吸ってます』
通信機からリディアの声が聞こえた。
結界室にいるはずの少女は、遠く離れたこの地下の震えを、耳飾り越しに拾っている。
『抜かれるのを、待ってる。でも、違う……杭じゃなくて、杭の影が鳴ろうとしてる』
「杭の影か」
フェリスが短刀を構えたまま、扉の左右を睨む。
「実体ではなく、意味の方に鐘舌が隠れているということですね」
「そういうことだろうな」
アレンは黒誠をわずかに傾けた。
木刀で金属の杭を抜く。
普通に考えれば馬鹿げた行為だ。だが、神木烏木は魔力を叩き斬る性質を持つ。和泉守兼定のように命を断つ刃ではなく、術式の輪郭を押さえ込み、余計な響きを殺すにはこちらの方が向いている。
「フェリス。紫煙を薄く杭の根元へ回せ。切るんじゃねえ。眠らせるだけだ」
「承知しました」
フェリスの影から、紫色の煙が糸のように伸びる。煙は杭の根元へ絡みつき、甘い薬の匂いと混ざり合った。
「教授。外側の鍵殻だけ、ほんの少し緩められるか」
「できるわ。でも内側に触れたら鳴る」
「触らなきゃいい」
「簡単に言うわね、本当に」
エレノアは苦笑しながらも、指先に極細の魔法陣を編んだ。術式の線は髪の毛より細く、黒銀の杭の表面をなぞる。
外側の鍵殻が、ほんのわずかに緩む。
同時に、杭の奥で鐘が息を吸った。
アレンの右手に、どろりとした重さが流れ込む。
虚孔が反応していた。
眠れ。
開け。
従え。
意味になりきる前の命令が、泥のように内側へ落ちてくる。だが、アレンはそれを受け止めきらない。飲み込めば楽だが、飲み込みすぎれば、今度はこちらの足が止まる。
(全部食うな。縁だけ沈めろ)
アレンは呼吸を落とした。
黒誠の先端で、杭ではなく杭に絡む黒銀の意味を撫でる。
叩き割らない。
斬り落とさない。
絡んだ糸を、一本ずつほどくように。
『右……少し右です。そこ、鳴るところじゃない。塞いでるところ』
「助かる」
『はい……っ』
リディアの息が少し乱れた。
無理をしている。だが、今は止められない。ここで手を止めれば、彼女の勇気ごと無駄になる。
「あと十数える間だけ耐えろ。終わったら蜂蜜湯でも毛布でも、好きなだけ要求しろ」
『……じゃあ、蜂蜜湯、濃いめで』
「上等だ」
アレンの口元が、わずかに緩んだ。
次の瞬間、黒誠が杭の根元へ深く沈んだ。
音はない。
ただ、黒銀の杭の影だけが、ぬるりと扉から剥がれた。
「今」
エレノアの魔法陣が外側の鍵殻を開く。
フェリスの紫煙が内側の鐘舌を眠らせる。
リディアの声が、逃げ道を示す。
そしてアレンが、黒誠を引いた。
ゴトリ、と。
黒銀の杭が床へ落ちた。
親鐘は、鳴らなかった。
地下に、あまりにも深い静寂が降りる。
フェリスが息を吐いた。
「……成功、ですか」
「まだだ」
アレンは床に落ちた杭を見下ろした。
杭はすでに金属ではなくなっていた。黒い灰のように崩れ、甘い薬の匂いだけを残して消えていく。
「証拠を残す気はねえらしい」
「本当に嫌な相手ね」
エレノアが顔をしかめる。
その時、白銀の扉に刻まれた鐘と鍵の紋章が、ゆっくりと光を取り戻した。
黒銀に塞がれていた鍵穴が開き、扉の奥から古い風が流れ出す。
冷たい。
だが、先ほどまでの毒のような冷たさではない。
長い眠りから起こされた、石と水と金属の匂いだった。
『開きます』
リディアが小さく言った。
『でも、気をつけてください。親鐘は……鐘だけじゃありません』
扉が、左右へ開いた。
その先にあったのは、巨大な鐘ではなかった。
もちろん、鐘はある。
地下空間の中央に、城の塔ほどもある白銀の大鐘が吊られていた。だが、その周囲には無数の水路、石橋、歯車、避難導線、古い魔力管が枝のように広がっている。
王城の地下に、もう一つの王都が眠っていた。
民を逃がすための道。
王族を隠すための道。
火災を知らせる導線。
洪水を逃がす排水路。
それらすべてが、親鐘を中心に繋がっている。
「都市防衛機構……」
エレノアが呆然と呟いた。
「鐘一つじゃない。王都そのものの神経よ。黒の円卓は、これを反転させようとしているのね」
「鳴れば、どうなる」
フェリスが問う。
エレノアは唇を噛んだ。
「本来なら、民に逃げ道を知らせる。けれど黒銀に染められたまま鳴れば、逃げ道が檻になる。避難導線は閉鎖線に、誘導鐘は服従鐘に変わる」
「王都丸ごと、寝かされるか閉じ込められるってわけか」
アレンは低く言った。
その時だった。
親鐘室の奥で、青い灯が一つ揺れた。
誰も置いた覚えのない、古びた灯籠。
青い火が揺らめいた瞬間、床の水路が歪み、目の前の通路が二つに、四つに、八つに増えた。
「迷宮灯……!」
エレノアが叫ぶ。
同時に、扉の背後で何かが重く閉じる音がした。
フェリスが振り返る。
「退路が」
「閉じられたか」
アレンは黒誠を腰へ戻し、今度こそ和泉守兼定の柄へ手をかけた。
親鐘を封じる作業は終わった。
ここから先は、敵が用意した境界を斬り抜ける時間だ。
『アレンさん……灯の向こうに、鏡があります』
リディアの声が震えた。
『見ちゃだめです。あれ、こっちを見る目じゃない。こっちを、映して持っていく目……』
親鐘室の奥。
青い灯の向こうに、銀色の鏡面がゆっくりと浮かび上がった。
そこに映っていたのは、アレンたちではない。
謁見の間で待つ国王。
上層で指揮を執るラインハルト。
そして、遠くでこの地下を案じるルシアンの姿だった。
「なるほど」
アレンの三白眼が、冷たく細まる。
「俺たちを閉じ込めるだけじゃ飽き足らず、上の連中まで人質に取る気か」
和泉守兼定が、鯉口を切った。
親鐘は、まだ鳴っていない。
だが、黒の円卓が仕掛けた次の境界は、すでに彼らの退路と守るべき者たちへ牙を伸ばしていた。
第113話をお読みいただきありがとうございました!
今回は「鳴らさずに棘を抜く」という、派手な斬撃ではない緊張感を書くのが楽しかったです。
リディアが怖がりながらも案内役を果たすところ、そしてアレンが蜂蜜湯で少しだけ励ますところは、個人的に可愛く書けたかなと思います。
最後は一気に不穏な罠へ繋げました。
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