第112話:境界の円卓
第112話をお読みいただきありがとうございます!
今回は、黒の円卓側の視点回です。
親鐘前でアレンが黒銀の棘へ触れた裏で、敵組織が何を見て、何を狙っているのか。
鐘だけではない「境界」を司る席にも注目していただけると嬉しいです。
黒誠が黒銀の杭へ触れた、その瞬間。
王城地下に眠る親鐘は、まだ鳴らなかった。
だが、その「鳴らなかった」という事実は、王都のどこにも届かぬはずの場所へ、確かな報告として流れ込んでいた。
そこは、黒い鐘の内側に似た空間だった。
天井も床もない。闇の中央に、円卓だけが浮いている。円卓の縁には、鐘、鏡、縄、灯、関、橋、坂、峠、辻を象った黒銀の紋章が刻まれていた。
その一席、鐘の紋章の前に、黒鐘卿が座っている。
顔の上半分を覆う黒銀の仮面は、以前よりも少し欠けていた。だが、その欠け目から覗くものは、肉でも骨でもない。小さな鐘の舌のようなものが、喉の奥で静かに揺れていた。
「親鐘前封印、第一棘への接触を確認」
黒鐘卿の声は、喉からではなく、どこか遠い鐘楼から響くように鳴った。
「原型は、斬断を選びませんでした。黒誠と呼ばれる神木を用い、鳴動前に棘だけを抜こうとしています」
円卓の向かい側で、薄い鏡を抱えた女が、ふっと笑った。
銀の仮面は顔ではなく、鏡面そのものだった。映るはずの目鼻はなく、見る者自身の歪んだ表情だけがそこに返る。
「まあ。乱暴な刃しか持たないと思っていたけれど、ずいぶん器用なのね。映してみたくなるわ。あの少年の中に、本当に何が入っているのか」
鏡の席。
反射と真実を司る、鏡面卿。
その隣では、白とも黒ともつかない長い縄を指先で弄ぶ老人が、ゆっくり首を振った。
「見すぎれば、向こうもこちらを見る。鏡は便利じゃが、覗き穴にもなる。原型の空白は、下手をすればこちらの結び目まで吸うぞ」
縄の席。
束縛と禁止を司る、縄司卿。
さらに奥で、古びた灯籠を膝に置いた少年が、楽しそうに炎を揺らした。灯は青く、見る者の影を幾重にも分ける。
「なら、迷わせればいい。道を増やせば、真っ直ぐな刃も少しは鈍るよ。王城地下なんて、灯を一つ置くだけで百の廊下に見せられる」
「無駄だ」
低い声が、それを遮った。
関の紋章の席に座る巨漢だった。背には門扉のような大盾。膝元には、閂を思わせる巨大な棍が置かれている。
「奴は迷路を歩く手合いではない。道が百あれば、百のうち殺気の薄い一筋を踏む。止めるなら、道そのものを閉じるべきだ」
関門卿。
外から来るものを拒む鉄壁の門番。
その言葉に、橋の席の男が肩をすくめた。細身の仕込み杖を持ち、足元には存在しない水面が揺れている。
「閉じるだけでは面白くないな。橋は渡らせてこそ橋だ。原型をこちら側へ落とすより、いっそ向こう側へ渡してみたい。あちらとこちらの境で、あの虚孔がどう振る舞うか」
「落とすなら、私の領分だ」
坂の席で、幼い少女のような声がした。
小柄な姿に似合わぬ巨大な分銅が、空中でゆっくり回っている。円卓の上の杯が、彼女の方へ傾き、酒が逆さまに流れた。
「上りと下りを変えれば、人は勝手に転ぶ。王も、騎士も、執事も同じ。足場が死へ傾けば、強さなど重しになる」
坂卿。
勾配と重みを操る、黄泉の坂の住人。
その斜め向かいで、布を纏った人物が静かに針を動かしていた。性別も年齢も分からない。手元の糸は、見えない国境を縫うように円卓の空間へ張られている。
「進ませる、止める、落とす。どれも荒い。境界とは、本来、越える前に覚悟を問うものです。一歩を選ばせ、その一歩を罪に変える。そうすれば刃は鈍る」
峠の席、手向卿。
最後に、十字の槍を肩に担いだ若い男が、退屈そうに椅子の背へ体を預けた。
「面倒くせえなあ。要は、曲がり角で斬ればいいんだろ。あいつだって、全部の道を同時には見られねえ」
辻の席。
八衢卿。
道が交わる場所に立ち、選択肢そのものを刃へ変える暗殺者。
円卓の空気が、ゆっくりと沈んだ。
彼らは、同じ組織に属している。
だが、仲間ではない。
同じ目的のために、互いの領域を一時的に重ねているだけだった。
鐘は呼び込む。
鏡は映す。
縄は禁じる。
灯は迷わせる。
関は閉ざす。
橋は渡す。
坂は落とす。
峠は選ばせる。
辻は斬る。
黒の円卓とは、単なる魔導犯罪組織ではない。
現世と異界、王と民、生と死、記憶と忘却。その境目を、己の道具として作り替える者たちの集まりだった。
「各席へ通達」
黒鐘卿が、円卓を指揮杖で軽く叩いた。
音はしなかった。
代わりに、全員の影が一瞬だけ震える。
「親鐘計画は、第二段階へ移行。王城地下に集まる王家、鐘守、原型、暗部、教授を観測対象とする。鏡は真実の反射を準備。縄は王城外縁の禁止線を補強。灯は避難路の分岐へ迷宮灯を置く。関は上層封鎖に備えよ。橋、坂、峠、辻は、原型が親鐘室へ到達した後の退路に干渉」
鏡面卿が笑った。
「殺さないの?」
「まだです」
黒鐘卿は即答した。
「原型は、破壊してはならない。虚孔の容量、吸収限界、そして魂と肉体の接合部を測る必要がある」
「ずいぶんお気に入りだね」
灯籠の少年がからかう。
「お気に入りではありません。未分類です」
黒鐘卿の仮面の奥で、小さな鐘の舌が揺れた。
「この世界の器ではない空白。だが、神の器でもない。人の死と記憶を抱えたまま、少年の肉体に嵌まり込んだ何か。あれを解けば、第零鐘は完成へ近づく」
その言葉に、円卓の全員が一瞬だけ黙った。
第零鐘。
あらゆる境界を鳴らし、王都そのものを巨大な結界へ変える鐘。
守るための都市機構を、逃げられぬ檻へ反転させる計画。
そのために彼らは、白鐘療養院で空白を育て、競技場で感情を集め、旧外郭水門で守護鐘を黒く染め、今、王城地下の親鐘へ手を伸ばしている。
「カシウスの殻は?」
縄司卿が問う。
「香に溶かしてあります。必要な時だけ、形を借りる」
「本人は生きておるのか」
「定義によります」
黒鐘卿は、淡々と答えた。
鏡面卿の鏡が、わずかに曇る。
その曇りの中に、地下扉の前で黒誠を構えるアレンの姿が映った。
黒い木刀が、杭の鳴動を押さえ込んでいる。
ただ力任せに抜くのではない。
棘の周囲に絡む黒銀の意味だけを削り、親鐘へ続く響きを沈めようとしている。
八衢卿が口笛を吹いた。
「へえ。悪くねえ手つきだ」
「辻」
関門卿が低く睨む。
「油断か」
「評価だよ。油断とは違う」
黒鐘卿は、映像の中のアレンから目を離さなかった。
「原型は、また学習している。鐘を斬るたび、こちらの理を理解していく」
「では、急ぐべきでは?」
手向卿が針を止めた。
「いいえ」
黒鐘卿は静かに告げた。
「学習させるのです。境界を越え、守るべきものが増え、選ぶべき道が狭まるほど、原型は深く沈む」
円卓の中央に、王城地下の親鐘が浮かび上がった。
まだ鳴っていない。
だが、表面に刻まれた黒銀の紋が、ゆっくりと目を開くように光を宿していく。
「さあ、アレン」
黒鐘卿の声が、黒い空間の奥へ沈んだ。
「その棘を抜きなさい。あなたが鳴らさずに開いた扉の先で、我々は次の境界を用意しましょう」
円卓の九つの紋章が、順に灯る。
鐘が、呼ぶ。
鏡が、映す。
縄が、縛る。
灯が、迷わせる。
関が、閉ざす。
橋が、渡す。
坂が、落とす。
峠が、選ばせる。
辻が、待つ。
そして黒の円卓は、まだ誰も知らぬ親鐘室の奥で、次の罠を静かに組み上げていた。
第112話をお読みいただきありがとうございました!
今回は黒の円卓の全体像を少しだけ見せる回でした。
鐘、鏡、縄、灯、関、橋、坂、峠、辻と、敵側の役割が一気に増えたので、情報量を出しすぎず、それぞれの不気味さが伝わるよう意識しました。
黒鐘卿の「研究者としての冷たさ」も、なかなか怖く書けたかなと思います。
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