↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
108/133

第109話:香薬院の白い手袋

第109話をお読みいただきありがとうございます!


今回は、王宮香薬院への調査回です。

白い手袋のカシウスを追うアレンたちが、甘い薬の匂いの奥にある鐘紋へ近づいていきます。

フェリスの鑑識や、リディアの耳飾りにも注目です。

 王宮香薬院は、王城の北回廊の奥にあった。


 高貴な者の病を癒やし、式典で使う香を調え、時には毒と薬の境目を見極める場所。外から見れば、白い石壁と薬草の鉢が並ぶ清らかな一角だ。


 だが、アレンはその扉の前に立った瞬間、眉をわずかに動かした。


「綺麗すぎるな」


 隣に立つフェリスが、琥珀色の瞳を細める。


「床、棚、窓枠、すべて磨かれています。ですが、今朝急いで拭いた跡があります」


「証拠を消した奴は、だいたい掃除が上手くなりすぎる」


 王家から下された名目は、老朽魔導設備点検に伴う薬草保管状況の確認。親鐘の名は出していない。だが、香薬院が精神誘導香を扱っている以上、避けては通れなかった。


 ルシアンは表で正式手続きの確認に回っている。ここに入るのは、アレン、フェリス、エレノアの三人だけだ。


「では、行きましょうか。王城の毒味係さんたちの巣へ」


 エレノアが楽しそうに言う。


「教授。遊びではありません」


「分かっているわ。だから私が来たのよ」


 扉が開く。


 中にいた薬師たちが、一斉に振り返った。白衣、白手袋、柔らかな香。全員が丁寧に頭を下げる。


 その中心に、カシウス・ベルナールがいた。


「これは、皆様。陛下の点検とのこと、承っております」


 昨日と同じ穏やかな微笑。


 同じ白い手袋。


 同じ甘い香。


 アレンは表情を変えずに一礼した。


「ご協力、感謝いたします。確認は手短に済ませます」


「もちろんでございます。香薬院にやましいものなどございませんので」


 やましいものがない。


 その言い方が、少し早かった。


 アレンは棚へ視線を流す。薬瓶は名札順に並び、帳簿は紐でまとめられ、床には塵一つない。


 完璧すぎる。


 人の手が毎日動く場所は、どれほど几帳面でも必ず小さな乱れが残る。筆の置き癖、瓶の重さで擦れた跡、よく使う棚のわずかな粉。そういう生活の滲みが、ここにはない。


 あるのは、見せるための清潔さだけだった。


「フェリス」


「はい」


 フェリスは棚の前に立ち、香りを一つずつ嗅ぎ分けた。ロベルト家の暗殺技術は、毒を見抜く嗅覚も鍛える。彼女の顔が、ほんのわずかに険しくなる。


「精神誘導香の材料が、帳簿上より少ないです」


 薬師の一人が慌てて顔を上げる。


「そ、それは式典用の香に転用したためでして」


「どの式典です」


「え、ええと……」


 カシウスが静かに割って入る。


「王太子殿下の来賓対応で使った香でございます。記録は別帳簿に」


「では、その別帳簿を」


「すぐに」


 カシウスは棚の奥から一冊の帳簿を取り出した。動きに淀みはない。用意していたような自然さだった。


 エレノアが帳簿を受け取り、ぱらぱらとめくる。


「綺麗ね。日付も筆跡も揃いすぎていて、まるで今日まとめて書いたみたい」


 薬師たちの空気が凍った。


 カシウスだけが微笑んでいる。


「教授は冗談がお上手で」


「冗談なら、もっと面白く言うわ」


 アレンは部屋の奥を見た。


 そこだけ、香りの流れが不自然に切れている。薬草、蜜、鎮静香。その全ての匂いの中に、一箇所だけ匂いが落ちる空白があった。


「あの壁の向こうは」


「古い保管庫です。今は使っておりません」


「開けてください」


 カシウスの白手袋の指が、ほんの少しだけ止まった。


「鍵が別室に」


「なら、待ちます」


「いえ、古い扉ですので危険が」


「危険なら、なおさら確認が必要です」


 アレンの声は静かだった。


 だが、逆らう余地を少しずつ削っていく声だった。


 カシウスはしばし沈黙し、やがて微笑んだ。


「承知いたしました」


 古い保管庫の扉が開く。


 中は、空だった。


 棚も、箱も、薬瓶もない。石壁だけの小部屋。あまりにも何もない。


 フェリスが一歩踏み込み、すぐに足を止めた。


「待ってください。床に香が染みています」


 エレノアが指を鳴らす。薄い魔法陣が床へ広がり、見えなかった染みを浮かび上がらせた。


 黒銀色の円。


 鐘の輪郭。


 床に染み込んだ香が、鐘紋の形を作っていた。


「なるほど。瓶も箱もないわけだ。ここは保管庫じゃない。香を焚いて、鐘紋を眠らせておく部屋ね」


 その瞬間、香薬院のどこかで、チリン、と小さな音がした。


 音はないはずだった。


 だが、アレンの虚孔の奥に、泥のような気配が一滴落ちる。


「来るぞ」


 床の鐘紋が黒く滲んだ。甘い香が一気に濃くなり、薬師たちの目から焦点が消える。


 彼らの白手袋が、一斉にアレンたちへ向いた。


「眠れ」


 声ではない。


 香そのものが、意味を持って肺へ入り込んでくる。


 フェリスが短刀を抜き、紫煙を展開した。


「吸わないでください! 精神誘導香です!」


「遅いわよ」


 エレノアが防壁を張る。だが、香は魔法陣の隙間を舐めるように通ってくる。煙でも霧でもない。意味を混ぜられた香だ。


 アレンは一歩前へ出た。


 和泉守兼定は抜かない。


 ここで斬れば、操られている薬師たちを巻き込む。


「フェリス、薬師を殺すな。手首と膝だけ落とせ」


「言い方が物騒です」


「動きを止めろって意味だ」


「最初からそう言ってください」


 フェリスが影のように滑る。紫煙の針が薬師たちの首筋と膝裏を正確に打ち、魔力循環を眠らせる。


 アレンは迫る白手袋の腕を掴み、骨を折らずに関節だけを外した。次の相手には鳩尾へ掌底。三人目は襟を取り、床へ静かに落とす。


 香がさらに濃くなる。


 眠れ。


 忘れろ。


 疑うな。


 意味が、襟首から忍び込む小刀のように意識へ触れる。


 だが、虚孔へ落ちた意味は、底の見えない空白に沈んで形を失った。


「悪いな。俺は寝つきが悪い」


 アレンは床の鐘紋へ黒誠の鞘を突き立てた。


 戦闘ではなく、封じるための一撃。


 神木烏木の黒い木肌が、床に染みた鐘紋を叩く。魔力の殻が砕け、甘い香がふっと薄れた。


 その一瞬、奥の壁に文字が浮かぶ。


『鍵は既に王城へ戻った。香は道を開く。親鐘は、匂いを覚えた』


 エレノアの顔が険しくなる。


「最悪ね。リディアだけじゃない。香で親鐘の導線を開こうとしている」


 アレンは周囲を見た。


 カシウスの姿がない。


 扉は開いていない。窓もない。だが、さっきまでそこにいた白手袋の男だけが、煙のように消えていた。


 床には、一枚の白い手袋だけが落ちている。


 その内側に、黒銀色の粉で小さな鐘紋が描かれていた。


「逃げ足だけは一人前だな」


 アレンは手袋を黒い布で包む。


 同時に、懐の通信機が震えた。


『アレンさん……』


 リディアの細い声だった。結界室から、フェリスの予備通信機を使っているらしい。


『耳飾りが、鳴ってます。王城の下じゃなくて……王城の中を、匂いが歩いてる』


 アレンの目が細くなる。


「方角は」


『上……明るい場所。たくさん人がいるところ。王様の近くに、近づいてる』


 エレノアが息を呑む。


 フェリスの表情が凍った。


 アレンは黒誠を腰へ戻し、扉へ向かった。


「ルシアンに伝えろ。香薬院は囮だ」


 甘い薬の匂いは、もうこの部屋に閉じていない。


 王城の中心へ向かっている。


「本命は、謁見の間だ」

第109話をお読みいただきありがとうございました!


今回は、戦闘というより「匂い」と「綺麗すぎる違和感」で不気味さを出す回でした。

アレンが和泉守兼定ではなく黒誠を使うところも、相手を斬るのではなく封じる場面として書いています。

リディアが離れた場所から耳飾りで異常を聞き取るところも、鐘守らしさが出ていて良い感じでした。


続きが気になる!と思ってくださった方は、ぜひブックマークや広告下の【☆☆☆☆☆】での評価で応援をよろしくお願いします!

皆さんの熱い一票をお待ちしております!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。