第107話:白手袋の影と、黒鐘卿の生存
第107話をお読みいただきありがとうございます!
今回は、リディア救出後の極秘報告回です。
王城地下の親鐘、白い手袋の内通者、そして黒鐘卿の生存。
戦いが終わったように見えて、むしろ次の大きな闇が見え始める回になっています。
王城外郭の一室。
そこは本来、王族が極秘の来客を迎えるために使う小さな応接室だった。今は厚い遮音結界と精神防壁が幾重にも張られ、窓には黒い布が下ろされている。
長椅子の上では、リディア・ベルフォードが眠っていた。
白銀の髪は汗で頬に張りつき、胸元の鐘と鍵の紋章は、フェリスの紫煙で薄く覆われている。呼吸は浅いが、地下で吊られていた時よりはずっと人間らしい。
「命に別状はありません。ですが、紋章の反応は完全には消えていません」
フェリスが静かに告げる。
部屋にいるのは、国王レオンハルト、第一王子ラインハルト、ガラルド、ルシアン、エレノア、そしてアレンだけだった。外にはシオンたち特務隊が控えているが、この部屋の中身は聞かせていない。
聞かせるべきではない。
情報そのものが、鐘の餌になる。
アレンは、地下から持ち帰った黒い導管片を机の上へ置いた。指先にまだ、泥を飲んだような鈍い重さが残っている。
「旧外郭水門の鐘は子鐘でした。本命は王城地下の親鐘。黒の円卓は、王都を守るために作られた仕組みを、逆向きに使っている」
ラインハルトの表情が、硬く沈んだ。
「王城の地下に、そのようなものがあると」
「少なくとも、リディアはそう感じ取った。子鐘から返ってきた残響も、王城の方角でした」
エレノアが導管片を覗き込み、目を細める。
「術式の流れが古いわ。今の王国式じゃない。けれど、最近の改竄が混ざっている。つまり、誰かが古い設備の存在を知ったうえで、黒の円卓に触らせた」
「内通者か」
国王の声は静かだった。
だが、その静けさの奥にある怒気を、アレンは聞き逃さなかった。王座に座る者の怒りは、怒鳴り声よりもずっと重い。
ルシアンが、机の端に指を置く。
「リディアさんの証言では、白い手袋と甘い薬の匂い。王城周辺に出入りできる人物で、薬草か鎮静薬に触れる立場。医療、香薬、儀礼、あるいは貴族付きの侍従……候補は広いね」
「広いが、絞れる」
アレンは淡々と言った。
「王城地下の古い設備に近づける権限を持ち、かつ精神干渉の痕跡を隠せる者。さらに、親鐘の噂が広がる前にこちらの動きを読める者。身分が低すぎても駄目だ。高すぎても自分では動きにくい」
ガラルドが腕を組み、低く唸った。
「中位以上の宮廷官、医術師、王宮魔導技師、その周辺か」
「ええ。ですが、今すぐ大々的に洗えば相手は逃げます。何より、親鐘の存在を知る者が増える」
アレンは一度、眠るリディアへ視線を向けた。
小さな体だ。
だが、その体を鍵として使えば、王都そのものが鳴る。胸糞の悪い話だった。
「この子は、しばらく死んだことにしてください」
ルシアンがわずかに眉を動かす。
「表向きには、旧水門で発見された身元不明の被害者は、搬送中に死亡した。実際には、ここで保護する。そういうことだね」
「ああ。敵がこの子を再利用するつもりなら、生存を隠した方がいい」
ラインハルトが頷いた。
「その案を採る。リディア・ベルフォードの身柄は、王家直轄の保護対象とする。記録上は、封印処理中の遺体として扱う」
国王が続けた。
「親鐘の調査は、余が許可する。ただし、表の大義は別に立てる。王城地下の老朽魔導設備の点検。それ以上の言葉は使うな」
「御意」
ガラルドが深く頭を下げた。
アレンは、そのやり取りを見ながら、ほんの少しだけ息を吐いた。
表では王家が大義を作る。裏では特務隊が泥を踏む。ルシアンは、その二つを繋ぐ。
悪くない布陣だ。
「アレン」
二人きりではないため、ルシアンの声も公的な響きを帯びている。
「君はどう見る? 黒鐘卿は、まだ動けると思うかい」
「動けるでしょうね」
アレンは即答した。
「あいつは、負けることを前提に仕掛けを組んでいる。白鐘療養院も、競技場も、旧水門も同じだ。潰された部分すら観測記録に変えている。こちらが勝ったと思った時には、あいつはもう次の譜面を書いている」
「生きている、と」
「少なくとも、死んだとは思わない方がいい」
アレンの脳裏に、黒銀の仮面と、測定、記録、観測という薄気味悪い声が浮かんだ。
人間なら、命を惜しむ。
だが、あの男からは、命を惜しむ匂いが薄かった。壊れた肉体も、割れた仮面も、ただの道具のように扱っている。
「それと、もう一つ」
アレンは声を低くした。
「あいつは俺の虚孔を知りすぎている。しかも、俺より先に名前をつけ、深さを測ろうとした。あいつを斬れば終わる、という相手じゃない。逃げた謎ごと追わなければ、こちらが後手に回る」
エレノアが、珍しく茶化さずに頷いた。
「同感ね。黒鐘卿は敵であると同時に、アレンという異常を知る数少ない手掛かりでもある。殺せば楽になる相手ではないわ」
国王が静かに目を伏せた。
「ならば、捕らえよ。可能ならば生かしたまま」
「難しい命令ですね」
アレンは、口元だけで笑った。
「だが、承りました」
◇
同じ頃。
王都のどこでもない、黒い鐘の内側のような空間で、黒鐘卿は立っていた。
いや、立っているように見えただけかもしれない。
黒い礼装の輪郭は欠け、胸元の鐘の意匠は半分ほど砕けている。仮面の奥にあるはずの目は、人のそれよりもずっと暗く、瞬きという生き物らしい動きをしなかった。
「子鐘、損傷。鍵、奪還。反動導管、遮断」
彼は淡々と記録を読み上げる。
声は喉から出ていなかった。空間のどこかに吊られた黒い小鐘が、代わりに言葉を鳴らしている。
「原型の虚孔、再干渉時に精神反動を半量吸収。容量、なお測定不能。肉体負荷、蓄積確認。保護対象への刃筋、精密化」
欠けた指先が、黒い水面へ触れる。
水面にはアレンの姿が映っていた。和泉守兼定を握り、リディアを庇い、鐘の意味を半分呑み込んだ時の一瞬。
黒鐘卿の仮面の奥で、何かが笑った。
「人の器ではない。だが、神の器でもない。空白に魂が嵌まり、肉体が後から追いついた個体……実に、不自然だ」
その言葉は、誰に向けたものでもない。
あるいは、黒鐘卿自身が人に向けて喋る必要のない存在なのかもしれなかった。
背後に、白い手袋の手が浮かぶ。
手だけだった。
顔も、体もない。ただ甘い薬の匂いだけが、黒い鐘の空間に染み込んでくる。
『鍵は奪われた』
「奪われたのではありません。上へ運ばせたのです」
『王家が動く』
「動かねば親鐘へ届きません。王家、五家、帝国、特務隊、そして原型。すべての足音が王城地下へ向かう」
白い手袋の指が、わずかに震えた。
『黒鐘卿。貴様の仮殻は何度壊されれば済む』
「仮殻は消耗品です」
黒鐘卿は、砕けた胸元へ手を当てた。
そこには心臓の鼓動がない。
代わりに、小さな鐘の舌が、ゆっくりと揺れていた。
「私はまだ死にません。死という手続きが、私に適用されるかも疑わしい」
白い手袋は沈黙した。
「原型は、私を斬ろうとするでしょう。だが、まだ斬られては困る。彼の虚孔が何でできているのか。なぜ、この世界の魔力を持たぬ体に、あれほど深い空白が開いたのか」
黒鐘卿は、黒い水面の中のアレンを見つめた。
「その答えを聞くまでは、私は観測をやめない」
黒い鐘の空間が、ゆっくりと閉じていく。
最後に、遠く王城地下の方角で、まだ鳴っていないはずの親鐘が、眠りの中で小さく身じろぎした。
◇
応接室の結界が、ほんのわずかに震えた。
アレンだけが、それに気づいた。
「……今、鳴ったな」
誰に聞かせるでもなく呟く。
ルシアンが振り返る。
「アレン?」
「いや」
アレンは和泉守兼定の柄に指を置いた。
「敵がまだ生きてるってだけだ」
黒鐘卿。
次に会う時は、斬るだけでは足りない。
その口から、虚孔の謎を引きずり出す。
アレンの三白眼に、静かな火が灯った。
「親鐘が鳴る前に、まずは白い手袋を見つけるぞ」
第107話をお読みいただきありがとうございました!
今回は、派手な戦闘ではなく「情報をどう扱うか」と「黒鐘卿をどう残すか」を意識して書きました。
黒鐘卿は倒して終わりの敵ではなく、アレンの虚孔を知る不気味な観測者として、まだまだ物語に絡んできます。
リディアを表向き死亡扱いにして守る判断も、アレンたちらしい泥臭い守り方でしたね。
続きが気になる!と思ってくださった方は、ぜひブックマークや広告下の【☆☆☆☆☆】での評価で応援をよろしくお願いします!
皆さんの熱い一票をお待ちしております!




