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第106話:親鐘の報せと、鐘守の少女

第106話をお読みいただきありがとうございます!


今回は、リディア救出後の情報整理と、ルシアンへの通信の回です。

王城地下の親鐘が明確な脅威となり、さらに王城周辺に内通者の影も見えてきます。

アレンらしい現実的な判断にも注目していただけると嬉しいです。

 リディア・ベルフォードは、羽よりも軽かった。


 いや、実際に羽を抱えたことなどないが、少なくとも人一人を抱えている感覚ではない。アレンの片腕に収まった少女は、呼吸だけがかろうじて生きている証だった。


「フェリス。脈は」


「弱いですが、保っています。精神導管の主接続は外れました。ただ、鐘守の紋章がまだ反応しています」


「つまり、まだ鍵として使えるってことか」


「最悪の場合は」


 フェリスの声は冷静だった。だが、その指先は紫煙の針をリディアの胸元へ添えたまま、わずかに強張っている。


 ミアが床に耳を押し当てたまま、低く唸った。


「下の導線、まだ鳴ってる。リディアを外したのに止まってない」


「そりゃそうだろうな」


 アレンは黒く染まった守護鐘を見上げた。


「こいつは本命じゃない。こいつが止まっても、王城地下の親鐘へ残響を送る道は残ってる」


 ニナが、壁際の溝へ差し込んだ細い杭を押さえながら顔をしかめる。


「嫌な仕組みだぞ。子鐘を助けたら、その揺れが親鐘へ届く。助けないと、この子が死ぬ。どっちに転んでも鐘が喜ぶってわけさ」


「趣味が悪い」


 シオンが剣先で倒れた守門騎士甲冑をつつく。日常のぽわぽわした顔ではなく、刃としての目をしていた。


「局長、この子、上に連れていく?」


「連れていく。ここに置いたら、また繋がれる」


 クラウスが魔導小銃を下ろさずに言った。


「だが地上へ戻れば、情報は王国上層へ伝わる。王城地下に親鐘があると知れば、兵が動き、噂が走る。恐怖の総量は増える」


「分かってる。だから、伝える相手を絞る」


「王子、グランヴェル家、学園の解析役か」


「あと国王だ。王城の下を掘られてる可能性があるなら、隠して済む話じゃねえ」


 アレンは、ふっと息を吐いた。


 まったく、厄介な話だった。


 王城地下に敵の鐘がある。そんなものを正面から叫べば、王都中が泡を吹いて倒れる。だが黙っていれば、いつか本当に鳴る。


 書状一枚、伝令一人、言葉の順番一つで人が死ぬ。そういう場面を、アレンは何度も見てきた。


 だからこそ、慌ててはいけない。


 速さと焦りは違う。


「ミア、ニナ。上へ戻る道に罠は」


「今のところなし。でも鐘紋の欠片が少し残ってる」


「その欠片、触ると気分悪くなるやつだぞ。私が印をつけておく」


「よし。フェリス、リディアを頼む。お前の紫煙で眠らせたまま運べ」


「分かりました」


 フェリスがリディアを受け取ろうとした瞬間、少女の細い指がアレンの袖を掴んだ。


「……だめ」


 かすれた声だった。


 アレンは目を細める。


「何がだ」


「上に……怖い人がいる……鐘の音を、聞いてる人……」


 その場の空気が、冷えた。


 クラウスの灰色の瞳が鋭くなる。


「内通者か」


「分からない。けど……王城の近く。白い手袋。甘い薬の匂い……」


 リディアの呼吸が乱れる。


 フェリスが即座に紫煙の針を増やし、彼女の胸元へ走る黒い紋を押さえた。


「それ以上は危険です」


「十分だ」


 アレンはリディアの手を、そっと袖から外した。


「よく喋った。あとは寝てろ」


「……あなた、怖くないの?」


 少女が、半分閉じた目でアレンを見る。


「怖い?」


「鐘が……あなたの中を見ようとしてるのに」


 アレンは少しだけ考えた。


 ここで格好のいいことを言うのは簡単だ。怖くない、などと吐けば、それらしく聞こえるかもしれない。


 だが、そんな安い嘘は、この子には効かない気がした。


「怖いものがない奴は、ただの間抜けだ」


 アレンは静かに言った。


「俺は間抜けじゃねえ。だから怖いもんは怖い。ただ、足を止める理由にはしないだけだ」


 リディアの目が、ほんの少しだけ揺れた。


「……変な人」


「よく言われる」


 実際、最近は本当によく言われる。魔力ゼロだの、原型だの、禁忌だの、便利な呼び名が増えすぎている。たまにはただの執事として茶でも淹れていたいものだが、どうにも世の中がそれを許してくれない。


 やれやれだ。


「フェリス」


「はい」


「今度こそ運べ。リディアは上へ。ミアとニナは先導。シオンは殿の手前。俺とクラウスが最後尾だ」


「局長が最後尾?」


 シオンが不満そうに頬を膨らませた。


「殿は俺の仕事だ」


「ボクも強くなったよ」


「知ってる。だから一つ前を任せる」


 シオンは一瞬きょとんとし、それから嬉しそうに笑った。


「うん。任せて」


 その笑顔は、少しだけ昔の無邪気さを残していた。だが背中は、もう任務を預けられる隊長のものだった。


 ◇


 竪穴の下まで戻った時、上方から黒炎の矢が一本、石壁へ突き刺さった。


 レイヴンの合図だ。


 危険なし。


 続いて、ボルドの声が低く落ちてくる。


「局長! 上は押さえてます! 王宮騎士団も動かしてません!」


「上出来だ。声を抑えろ」


「す、すんません!」


 相変わらず器用なのか不器用なのか分からない男である。


 アレンは魔導通信機を取り出した。通信先は一つ。


「ルシアン」


 短く呼ぶ。


 すぐに、わずかに乱れた声が返ってきた。


『アレン。無事かい』


「今のところはな。リディア・ベルフォードという鐘守の少女を保護した。旧水門の鐘は子鐘だ。王城地下に親鐘がある」


 通信の向こうで、沈黙が落ちた。


 ほんの一拍。


 だが、その一拍でルシアンがどれほどの情報を整理したか、アレンには分かった。


『分かった。殿下と父上、それから陛下にだけ伝える。広げない』


「助かる。あと、王城周辺に白い手袋、甘い薬の匂いがする内通者の可能性がある」


『……嫌な情報だね』


「まったくだ。お上品な奴ほど、袖の中に毒を隠す」


『君が言うと説得力がありすぎるよ』


 アレンは口元だけで笑った。


「リディアを上へ運ぶ。受け入れの場所を作れ。人払いできて、精神干渉を遮れる部屋だ」


『任せて。アレン』


「何だ」


『戻ってきてから続きを聞く。だから、戻ってきて』


 アレンは一瞬だけ目を伏せた。


「分かってる」


 通信を切る。


 その直後、地下導管の奥で、黒い守護鐘が最後に一度だけ鳴った。


 王城の方角から、微かな残響が返る。


 親鐘はまだ眠っている。


 だが、寝返りを打った。


 アレンは和泉守兼定の柄へ指を添えた。


「急ぐぞ。王城の下で鐘が目を覚ます前に、全部洗い出す」

第106話をお読みいただきありがとうございました!


今回は戦闘後の整理回ですが、ただの報告ではなく、次の危機へ繋がる情報戦として書きました。

リディアに対するアレンの「怖いものは怖い。ただ、足を止める理由にはしない」という返答は、彼らしい不器用な優しさが出たかなと思います。

シオンへ一つ前を任せるところも、成長を認めている感じが良いですね。


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