第102話:旧外郭水門、黒鉄の影
第102話をお読みいただきありがとうございます!
今回は、旧外郭水門への先行偵察回です。
アレン、フェリス、シオンの少数組が帝国の黒鉄衆と遭遇し、黒の円卓の罠に巻き込まれていきます。
シオンの成長した戦いぶりにも注目していただけると嬉しいです。
王都東外縁へ向かう道は、静かすぎた。
夕暮れの光が石畳を薄赤く染め、遠くでは王宮騎士団の隊列が外周封鎖へ動いている。五家連合の兵も、それぞれの家紋を掲げながら配置につき始めていた。
だが、アレンが歩いているのは、その表の隊列から外れた古い排水路沿いの細道だった。
先発の同行者は二人。
黒い外套の下に短刀を隠したフェリス。
そして、浅葱色の羽織を風に揺らすシオン。
ボルド、ミア、ニナ、レイヴンを含む特務隊本隊は、王宮騎士団と五家連合の外周封鎖が整い次第、後続として合流する手筈になっている。
つまり、アレンたちの役目は勝つことではない。
後続が来るまで、敵の位置、術式、罠の形を暴き、生きて情報を持ち帰ることだ。
「局長、本当に体は大丈夫?」
シオンが、いつものぽわぽわした声で尋ねる。
だが、その足運びは以前よりずっと静かだった。草を踏んでも音が沈む。呼吸の間も乱れない。魔剣を覚えた少女は、もうただの速い刃ではなく、待てる刃になっていた。
「問題ない」
「嘘だね。ちょっとだけ、歩く時の重心が右に逃げてる」
アレンは横目でシオンを見た。
「よく見てやがる」
「局長の真似してるからね」
フェリスが淡々と割り込む。
「アレン、強がりは結構ですが、ルシアン様からも無理をさせるなと命じられています。あなたが倒れた場合、私は首に縄をかけてでも引きずって戻します」
「物騒な護衛だな」
「監視です」
「似たようなもんだ」
短いやり取りの間にも、アレンの目は周囲を捉えていた。
古い排水路の石壁。苔の湿り。風の流れ。水音の間に混じる、わずかな金属の軋み。
王都の外縁に近づくほど、人の気配は薄くなる。
代わりに、異物の気配が濃くなっていた。
「止まれ」
アレンが低く言った瞬間、シオンとフェリスは同時に足を止めた。
数十歩先。
崩れかけた水門管理小屋の影に、黒い軍装の男たちがいた。顔を布で隠し、短い魔導銃を外套の内側に吊っている。
王国の兵ではない。
黒鉄衆。
帝国の、存在しないはずの影だ。
「王国の先行偵察か」
影の奥から、低い声がした。
葉巻の紫煙が、薄闇に線を引く。
クラウス・フォン・バルツァーが、管理小屋の壁にもたれて立っていた。
「早いな、平民の刃」
「そっちこそ、王国の治安維持を尊重するんじゃなかったのか」
「尊重している。だから撃っていない」
クラウスの言葉に、フェリスの琥珀色の瞳が冷たく細まる。
「帝国兵が王都外縁に潜伏している時点で、十分な侵犯です」
「記録が残ればな」
黒鉄衆の銃口が、わずかに動いた。
同時に、シオンの足元から浅葱色の魔力が薄く滲む。
一触即発。
だが、アレンは和泉守兼定へ手をかけたまま、まだ抜かなかった。
「今ここでやり合えば、黒の円卓が喜ぶだけだ」
クラウスは紫煙を吐いた。
「同意する。こちらの目的は交戦ではない。回収対象の確認だ」
「回収対象?」
「お前たちが第零鐘と呼ぶものが、何を持ち出そうとしているか。それを見に来た」
アレンの胸の奥で、泥が鈍く疼いた。
水門の方角。
黒い水の底から、低い鐘の音が一つ、聞こえた気がした。
「……来るぞ」
アレンが呟いた直後だった。
水門の石壁に、細い鐘紋が一斉に浮かび上がる。
黒鉄衆の一人が即座に魔導銃を構えた。
「照準、鐘紋。撃て」
乾いた発射音。
魔導弾が鐘紋へ着弾し、青白い爆光を散らした。だが、破壊されたはずの紋様は、水面へ溶けるように逃げ、次の瞬間、黒い水から無数の腕が伸び上がった。
人の腕ではない。
水でできた、黒い鐘の舌。
それらは銃撃を受けた瞬間、音もなく震え、黒鉄衆の足元へまとわりつく。
「足を取られるな! 鉄殻、前へ」
クラウスの命令で、重装の黒鉄兵が前に出た。
だが、黒い水の舌は鎧の隙間へ入り込み、内側から鐘の音を鳴らした。
兵の一人が、突然膝をつく。
「命令系統に干渉されています!」
フェリスが叫ぶ。
「これは精神鐘です。銃や鎧では防げません」
「なら、鳴る前に断つ」
アレンは鯉口を切った。
だが、その瞬間、胸の奥の泥が強く跳ねた。
視界の端に、知らない誰かの泣き顔がよぎる。
足が半歩、遅れた。
「局長!」
シオンが前へ出る。
浅葱色の残像が、三つに割れた。
魔剣『瞬界・三段霞』。
一突き目で黒い水舌を弾き、二突き目で鐘紋の核を暴き、三突き目でその核だけを貫く。
黒い水が弾けた。
アレンは一瞬だけ、シオンの背中を見た。
小さかったはずの背中が、今は一歩分、戦場を支えている。
「悪くねえ」
「へへ、あとで褒めてね」
フェリスは紫煙の針を展開し、黒鉄兵へ絡みついた精神鐘の導管を縫い止める。
「帝国兵を助ける趣味はありませんが、ここで倒れられると邪魔です」
クラウスが短く笑った。
「合理的だ」
「黙りなさい」
その間に、アレンは呼吸を整えた。
虚孔の泥は消えない。
だが、沈んでいるだけなら、踏み越えられる。
和泉守兼定が、鞘を離れた。
黒い水面の奥で、鐘紋がひときわ大きく開く。
その中心に、黒銀の小箱のようなものが沈んでいた。
クラウスの灰色の瞳が鋭くなる。
「あれが回収対象か」
「触るな」
アレンは低く告げた。
「あれは箱じゃねえ。餌だ」
黒銀の小箱が、ゆっくりと開く。
中から漏れたのは、音ではなかった。
命令だった。
――跪け。
黒鉄衆の数名が、同時に膝を折る。
シオンの足も、わずかに沈んだ。
フェリスが歯を食いしばる。
アレンだけが、一歩前へ出た。
虚孔が、命令の半分を呑む。
残り半分が、胸の泥を引っかき回す。
「……俺に命令すんな」
低い声とともに、赤黒い炎が兼定の刃へ絡みついた。
業火流『硝煙ノ灯』。
黒い水面に走る鐘の光跡を道標に、アレンの身体が沈むように消える。
次の瞬間、刃は小箱の蓋と鐘紋の接合部へ届いていた。
だが、斬る直前。
水門の奥から、黒鐘卿の声が響いた。
「記録開始。原型、泥を抱えた状態での再干渉」
アレンの刃が、赤黒い火花を散らして止まる。
小箱の奥に映っていたのは、ただの鐘ではない。
競技場で吸い上げられた恐怖と、旧水門の底で眠っていた古い感情流を結び直す、黒い心臓だった。
「……チッ」
アレンは舌打ちした。
ただ斬れば、周囲の兵の精神へ反動が飛ぶ。
黒の円卓は、最初からそれを待っていた。
後続の特務隊本隊が到着するまで、無理に壊せない。
だが、放置すれば黒い心臓は鳴り続ける。
旧外郭水門の先行偵察は、始まった瞬間から、処刑台の上に乗せられていた。
第102話をお読みいただきありがとうございました!
今回は、王国側と帝国側がいきなり撃ち合うのではなく、黒の円卓の罠によって一時的に利害が重なる形を意識しました。
シオンがアレンを支える場面は、彼女の成長が出せたと思います。
フェリスが「助ける趣味はないけど邪魔だから助ける」という感じなのも、彼女らしくて良いですね。
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