第51.5話「三位」
ランキング集計期間は、一週間だった。
正確には、六日と二十三時間五十九分五十九秒。ゼロ時ちょうどに締め切りが来る。締め切りから発表までに三日。発表は、全国放送の音楽情報番組で行われる。今回集計されているのは、SAKURA CRESTという、凛が先月、罰ゲームで結成を言ってしまったグループの、初めてのデビューシングルだった。罰ゲームから一ヶ月で配信リリース、そしてランキングに登場。スピード感としては業界の標準、と担当マネージャーは言った。凛にとっては、標準ではなかった。
集計期間中、凛は、毎日、ランキングサイトを確認していた。確認していた、と自分で認めているわけではない。認めていないが、〇・五秒の速度で、朝、昼、夜、少なくとも三回、サイトを開いていた。開いていたのを、先週、千夏に見つかった。
「凛ちゃん、見てるじゃないですか」
「見てない」
「今、見てた」
「……気になるだけ」
「気になるのと、見てるのと、どう違うんですか」
「気になるのは、内面の話。見るのは、行動の話」
「でも、気になるから、見てる」
「……」
凛の反論は、そこで尽きた。反論が尽きると、事実が残る。事実は、凛がランキングを毎日確認しているという、〇・五秒単位で観測可能な行動だった。観測可能な行動は、女優のキャリア六年では、隠せないものの一つだった。
発表当日。
バラエティ情報番組『RANKING NOW!』。夕方七時台の生放送。番組は名前の通り、各種ランキングをひたすら発表していくだけの情報番組で、スタジオにステージはない。今週の映画興行ランキング、話題のグルメランキング、注目のドラマランキング、そしてSAKURA CRESTが乗っている音楽ランキング——色々なランキングを、一番組で、まとめて発表していく。アーティストはソファに座って、順位が出たら一言コメントを返す。コメントの後に、次の順位。これを一位まで、三十分で流す。パフォーマンスはない。歌う必要がない、という意味では、凛にとっては、今日は、最大限、優しい番組だった。優しい番組のなかで、最も厳しいことが、起きようとしていた。
SAKURA CRESTの四人は、スタジオのソファに、横並びで座っていた。先月の罰ゲーム時の番組と、ほぼ同じ座り方だった。同じ座り方なのに、今日は、罰ゲームではなかった。罰ゲームのはずが、デビューになってしまった、という状況を、凛は、まだ、完全には、消化しきれていなかった。
「それでは、今週のランキング、十位から発表していきます!」
司会が言った。司会は、またしても『ほんだかんだ』だった。音楽番組にも司会業を広げている、という情報を、凛は今日、初めて知った。
十位から六位までが、流れていった。凛は、ランキングを見ていたふりをしながら、実は、ほとんど聞いていなかった。頭の中で、圏外か下位なら罰ゲームの範囲内で収まる、三位以内に入ったら歌番組や追加プロモーションで引き下がれなくなる、と繰り返していた。繰り返すたびに、どちらの結論に転んでも、凛の人生には何かが発生する、ということが、確定していった。
「五位!」
五位は、別のグループだった。
「四位!」
四位も、別のグループだった。
凛は、〇・三秒、息を吸うのを、止めた。
止めたのは、反射的な動作だった。反射は、制御できない。制御できない反射を、カメラが、〇・八秒、ズームで捉えた。凛は、ズームに気づいた。気づいたが、顔は変えなかった。顔を変えない技術は、女優のキャリア六年で、最も磨かれた技術だった。
「そして、今週の三位は——」
司会が、フリップを、ゆっくり、広げた。
三秒。
四秒。
五秒。
「——SAKURA CREST!」
凛の顔が、止まった。
千夏の顔も、止まった。
沙衣が、小声で「あ」と言った。
芽衣だけが、「やった!!」と声を上げて、手を叩いた。芽衣の手の叩き方は、純粋だった。罰ゲームだったことを、たぶん、もう、忘れている。いや、忘れているわけではなくて、芽衣の頭の中では、罰ゲームも、デビューも、「頑張ったから結果が出た」の一カテゴリにまとめられている。これが、演技派女優として舞台に立つ人間の、感情整理の、デフォルト機能だった。
「柊さん、どうですか、三位!」
司会——本田が、マイクを向けた。
凛は、顔を、作った。顔を作るのに、〇・四秒、要した。普段は〇・二秒で作れる。今日は、〇・二秒、遅かった。遅れた〇・二秒を、カメラは、全国放送で、捉えた。捉えたが、視聴者の大半は、気づかない範囲だった。気づくのは、業界関係者と、柊家の母親だけだった。
「……あの、これ、罰ゲームなんですけど」
「ええ、そうですね」
「なんで、三位なんですか」
「たくさんの方が、投票してくださったので」
「……」
「柊さん、感想を」
「……嬉しい、です」
「もう少し、具体的に」
「……嬉しい、ような、分からない、ような」
「新鮮な感想!」と神田が横から言った。
「新鮮ですか」
「新鮮です。三位になった感想で『分からない』って言った人、僕、キャリア十五年で初めて見ました」
「……それは、光栄、なのか、なんなのか」
「凛さん、反応、全部、予定外で、最高です」
スタジオが、笑った。凛は、笑えなかった。笑えなかったが、プロなので、口角は、上げた。上げながら、頭の中で、「これは、今、生放送で、全国に、流れている」という事実を、〇・五秒ごとに、確認していた。
収録後の楽屋。
四人は、ソファに、並んで、座っていた。先月の罰ゲーム時と、同じ並びだった。でも、今日は、罰ゲームではなかった。罰ゲームではない、ということを、四人が、全員、まだ、受け入れていなかった。
最初に口を開いたのは、沙衣だった。
「凛」
「はい」
「今日、歌わなくて、良かったね」
「良かった」
「二週間後は、歌うよ」
「……」
「ワンコーラスじゃなくて、フル尺」
「……」
「アイドルの歌い方、できる?」
「……どういう歌い方ですか」
「かわいく」
「………………」
「凛?」
「……検討します」
「先月と、同じ返事!」と千夏が言った。
「先月と、同じ立場!」と芽衣が言った。
「先月より、悪化してる!」と凛が言った。
楽屋のドアがノックされた。
入ってきたのは、事務所のプロデューサーだった。担当マネージャーの上司にあたる人物で、凛が会うのは二回目だった。一回目は、入社時の挨拶。二回目が、今日。二回会う人間と、業界では、大きな案件が動く。これは凛がキャリア六年で、経験的に、学んだ法則だった。
「凛さん」
「はい」
「おめでとうございます」
「おめでとう、ではない気がするんですが」
「歌番組の出演が決定しました」
「……」
「全国放送です」
「……」
「ゴールデンタイムです」
「……」
「凛さん?」
「……聞いてます」
凛は、ソファの、端を、握っていた。握っていたことに、自分でも、気づいていなかった。気づいたのは、プロデューサーが帰った後、千夏に「凛ちゃん、ソファの端、握りすぎ」と言われた時だった。
プロデューサーが去った楽屋。
四人は、また、並んで座っていた。
沈黙が、三十秒、続いた。
「……やばい」と凛が言った。
「やばい」と千夏が言った。
「やばい」と沙衣が言った。
「やばい、って何が?」と芽衣が言った。
三人が、芽衣を見た。
「芽衣、本当に、分かってないの?」
「やばいのは、やばいことがあったからですか?」
「やばいのは、やばいことが、起きたからです」
「……何が、やばいんですか?」
「芽衣、歌番組、出るんだよ」
「はい」
「全国放送で」
「はい」
「ゴールデンタイムで」
「はい」
「歌うんだよ」
「はい、歌います」
「歌えるの?」
「……頑張ります」
「やばい!!」
凛と千夏と沙衣が、同時に、言った。
芽衣が、「なんで!」と言った。
なんで、の意味が、四人のうち、芽衣だけ、違っていた。これが、芽衣の、演技派女優としての、謎の強さだった。
千夏は、帰り道、一人で、タクシーに乗っていた。
窓の外を、東京の夜景が、流れていた。タクシーの運転手は、無口だった。無口な運転手は、千夏にとって、ありがたかった。今日は、喋る気分ではなかった。
スマホを取り出した。
ランキングサイトを開いた。「SAKURA CREST、三位」の文字が、まだ、そこに、あった。あった、ということは、事実として、確定した、ということだった。
千夏は、少し、笑った。
「私、アイドル三位になった女優か」
口に出して、言ってみた。口に出すと、不思議なことに、少し、軽くなった。重いものは、言葉にすると軽くなる。これを千夏は、キャリアの中で、何度か、経験していた。
タクシーが、信号で止まった。信号の赤が、車内を、少し、赤く染めた。赤の中で、千夏は、もう一度、小さく笑った。笑いは、誰にも見られなかった。見られなくても、笑ったことは、千夏の中に、残った。
沙衣は、帰り道、マネージャーに電話していた。
「今日の件」
「はい」
「出演料、本業のギャラと同じで、お願いします」
「……本業、というのは、モデルですか、女優ですか」
「高い方で」
「……分かりました、交渉します」
「それから」
「はい」
「衣装は、自前にはしないでください。先方の用意で」
「……なんでですか」
「アイドル衣装、私のクローゼットに、入らないので」
「……承知しました」
沙衣は、電話を切った。切ってから、夜の銀座の通りを、歩いた。歩きながら、自分が、十年後に、今日の夜のことを、どう思い出すのか、少し、考えた。たぶん、「三位になった夜」と、「ギャラの交渉を電話でした夜」として、覚えているだろう、と思った。思ったが、覚えているかどうかは、十年後の自分が決めることだった。
芽衣は、家に帰って、すぐ、SNSを開いた。
投稿した。
《三位!!ありがとうございます!!》
絵文字を、十二個、つけた。絵文字の数に、意味はなかった。気分だった。気分で絵文字を十二個つけると、芽衣の心境が、フォロワーに、だいたい伝わる。伝わることが、SNSの、芽衣の使い方だった。
投稿して、五秒で、五百件のいいねが、ついた。
芽衣は、台所で、冷蔵庫を開けた。
ビールが、一本、残っていた。
冷蔵庫の光の中で、芽衣は、先月、凛が言った、「七パーセントの興味」のたとえを、思い出した。あの時は、全員に、ツッコまれた。ツッコまれたが、芽衣は、今、ビールを見て、やっぱり、七パーセントくらい、だな、と思った。思った理由は、自分でも分からなかった。分からないが、一貫していた。一貫性というのは、演技派女優にとって、最も大事な、感情の軸だった。
芽衣は、ビールを、冷蔵庫に、戻した。
凛は、部屋で、一人だった。
帰宅してから、化粧を落として、パジャマに着替えて、ベッドに座って、天井を、見ていた。天井には、特に、何も、なかった。
「……なんで」
〇・五秒、沈黙。
「……なんで」
これで二回目。
「……なんで」
三回目。
「……なんで」
四回目。
「……なんで」
五回目。
凛は、五回目で、「なんで」と言うのを、やめた。やめたのは、五回目で、自分が、これ以上「なんで」と言っても、答えが出ないことに、気づいたからだった。気づくのに、五回かかった。五回は、多いのか少ないのか、凛には、分からなかった。
翌日、TechVision東京オフィス。
柊遼は、モニターの前で、防衛省案件の、コードを、書いていた。集中していた。集中が途切れたのは、ロバートが、ノックもなしに、部屋に入ってきた時だった。
*"Hiiragi-san."*
(柊さん)
*"What."*
(なんですか)
*"Your sister, Rin, got third place."*
(お姉さんの凛さんが、三位だったそうですね)
遼は、キーボードから、手を離した。
*"……Third place in what."*
(……三位、何の)
*"SAKURA CREST. In the weekly ranking."*
(SAKURA CRESTの週間ランキングです)
*"……How do you know."*
(……なんで知ってるんですか)
*"Aria told me."*
(アリアが教えてくれました)
*"……I see."*
(……そうですか)
ロバートは、デスクに、近づいた。腕を組んだ。腕を組むのは、ロバートの、考えながら喋る時の、癖だった。
*"Your sister is going to perform on a national music show."*
(お姉さんは、全国放送の音楽番組に出演するそうです)
*"……When."*
(……いつ)
*"Two weeks from now."*
(二週間後)
*"……Two weeks."*
(……二週間)
*"Yes."*
(はい)
遼は、少し、黙った。
黙ってから、言った。
*"……Third place."*
(……三位か)
*"Yes."*
(はい)
*"……"*
ロバートは、それ以上、何も言わなかった。言わなかったのは、遼の「三位か」の後の沈黙が、いつもの遼の沈黙と、少し、違っていたからだった。いつもの沈黙は、情報を処理している沈黙だった。今日の沈黙は、情報を処理してから、その情報に対する、自分の中の何かを、探している沈黙だった。ロバートは、そこまで観察した。観察してから、観察したことを、遼に伝えるのは、今ではない、と判断した。判断は、三十年のキャリアの、経験値だった。
ロバートは、部屋を出た。
遼は、もう一度、キーボードに、手を伸ばした。
手は、動いた。動いたが、いつもより、〇・二秒、遅かった。〇・二秒の遅れを、遼は、自分で、気づいた。気づいたが、言語化は、しなかった。
その夜、柊家。
リビングで、由紀が、凛に、お茶を、渡していた。
「凛、三位、おめでとう」
「おめでとう、って立場かな」
「母としては、立場に関係なく、祝う」
「……ありがとう」
「泣く?」
「泣かない」
「泣いていいよ」
「泣かないって」
「母さんの前なら、泣いていい」
「……」
凛は、お茶を、両手で、握った。握ってから、しばらく、飲まなかった。飲まないまま、由紀を、見た。由紀は、凛を、見ていた。見ていたが、追及しなかった。追及しないのは、由紀の、今日の選択だった。
追及されないと、凛は、少しだけ、安心した。安心すると、目の奥が、少しだけ、熱くなった。でも、泣かなかった。泣かないのは、凛の、女優のキャリア六年で、磨いた、習慣だった。
由紀は、何も、言わなかった。
由紀が、何も言わないのは、凛にとっては、十分な返答だった。
深夜、遼の部屋。
ドアが、ノックされた。
華だった。
「遼」
「ん」
「起きてる?」
「起きてる」
「入っていい?」
「いい」
華が、入ってきた。パジャマで、髪を、まとめていた。今日の撮影は、夜まで、長かったらしい。華の目の下に、疲れの、うっすらとした影があった。
「ねえ」
「なに」
「お姉ちゃんに、何かしてあげられないかな」
遼は、モニターから、手を離した。
「……何か、というのは」
「アイドル、やるの、大変そうだから」
「大変だな」
「うん。だから、何か」
「俺が?」
「うち全員で」
遼は、少し、考えた。
考えたが、すぐ、答えが出た。出た答えは、遼にとっては、珍しい種類の答えだった。
「作戦会議でも、するか」
「……え」
「作戦会議」
「……遼、そういうこと言うの、珍しくない?」
「そうか」
「珍しい」
「そうか」
華は、ドアの近くに、立ったまま、遼を、見ていた。見ていた時間は、三秒くらいだった。三秒、見てから、華は、言った。
「……遼」
「なに」
「なんか、変わった?」
「変わってない」
「変わってる」
「変わってない」
「変わってるよ」
「……そうか」
遼は、ソファに、もう一度、座った。座ってから、モニターを、見た。モニターの画面には、防衛省案件のコードが、映っていた。映っていたが、遼は、コードを、見ていなかった。見ていないのは、今日、二回目だった。一回目は、ロバートに凛の話を聞いた時。二回目は、今、華に「変わったね」と言われた時。
遼の中で、何かが、動いていた。動いていることに、遼は、気づいていた。気づいていたが、何が動いているかは、分からなかった。分からないものは、分からないまま、置いておくのが、遼の、いつもの処理方法だった。でも、今日は、置いておきたくなかった。置いておきたくない、ということ自体が、遼にとって、新しかった。
「華」
「なに」
「凛、いつから、歌番組の本番?」
「二週間後って聞いた」
「二週間で、アイドルになるのか」
「たぶん、ならない」
「そうか」
「ならないまま、出る、と思う」
「……それは、まずいな」
「まずいから、作戦会議」
「歌番組は、困ったままじゃ、終わらないから」
「……ほんとに、変わったね、遼」
華が、笑った。小さく、笑った。笑ってから、「おやすみ」と言って、部屋を、出ていった。
遼は、部屋に、一人で、残った。
モニターを、見た。
コードを、見た。
手を、動かした。
動いた。
動いたが、先月の遼の手より、〇・三秒、早かった。早くなった〇・三秒の意味を、遼は、まだ、知らなかった。知らないまま、手は、動いた。
窓の外で、東京の夏の夜が、いつも通り、広がっていた。
凛の部屋でも、華の部屋でも、由紀のリビングでも、遼の部屋でも、それぞれ、違う時間が、流れていた。流れる速度が、違っていた。流れる方向も、違っていた。
四人は、同じ家に、いた。
同じ家にいて、全員が、違う方向に、動いていた。
これが、柊家の、夏の、普通の夜だった。
普通の夜が、少しずつ、変わっていく予感を、四人は、それぞれの仕方で、受け取っていた。受け取り方は、違った。でも、受け取っている、という事実だけは、共通していた。




