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姉と妹が国民的女優ですが、俺は機械をいじっていたい  作者: よんまるよん
第三部「守る人になりそうです」

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第47.5話「MINA、クランクイン」

 朝、(ひいらぎ)(はな)は目が覚めた瞬間に、今日が何の日かを思い出した。


 思い出すというより、「思い出してしまった」というのが正確かもしれない。誰かに教えられなくても、身体が勝手に今日を重い方向に整えている、という感覚があった。目覚まし時計はまだ鳴っていない。なのに目が覚めている、というのは、たぶんそういうことなのだろう。


 ベッドの中で、華はしばらく天井を見ていた。


 普段の撮影初日の朝も、こういう静けさは来る。来るが、今日のそれは少し重心が違う。連続ドラマの初日の朝は、台詞を頭の中でもう一度なぞるだけでよかった。今日は、台詞ではなく、動きをなぞっていた。


 右手でナイフを握る。左手で相手の襟を押さえる。踏み込み、引く、振り抜く。


 頭の中で自分の身体が、見たことのない動き方をしている。見たことがないのに、動き方のテンポが自分の身体の奥にもう入っている。アクション監督の三上との打ち合わせで、週に四回、一ヶ月通った。通っているうちに、身体が勝手に覚えた。覚えた、というより、別の自分が身体の中に住み始めた、と言った方が近い。


 華はその、別の自分を、「ミナ」と呼ぶことに、まだ馴染んでいない。


 馴染んでいないが、今日からは、馴染まないといけない。


 「ミナ」は、人を殺す女だ。


 普段、華が読む台本の中で、人を殺す役はなかった。一度も回ってきたことがない。華が演じてきた役は、どちらかというと、殺される側か、誰かに死なれる側か、あるいは、命の問題とは関係ない場所にいる人たちだった。今回は違う。ナイフを握る側。その役が、華に来た理由を、華はたぶん分かっていない。監督がなぜ自分を選んだのか、言葉にするのは難しい。でも選ばれた。選ばれたから、やる。


 カーテンを開けた。


 七月の空はすでに白い。梅雨は明けていないが、今日は晴れそうな空の色だった。


   


 キッチンに降りると、(りん)が珈琲を淹れていた。


「おはよう」


「おはよう」


 凛が華を見て、一瞬だけ目を細めた。


 朝の凛は、だいたい眠そうな顔をしている。でも今朝は眠そうではなかった。妹の顔を見て、何かを確認するような目の動きを一度だけしてから、何事もなかったかのように珈琲のドリッパーに湯を注ぎ始めた。


「早いね」


「うん」


「何時出?」


「七時半」


「じゃあ今ゆっくりしてる場合じゃない」


「してない」


 ゆっくりしているように見えるが、実際はしていない。華は冷蔵庫からヨーグルトを取って、机に置いた。椅子に座る。座ってから、椅子が今日はいつもより硬い気がする、と思った。


 硬いわけがない。椅子はいつもの椅子だ。


 つまり、自分の方が硬くなっている、ということだ。


「華」


「なに」


「今日、刃物持つんだよね」


「うん」


「プロップだよね」


「プロップだよ」


「本物じゃないよね」


「本物だったら映画にならない」


「そう」


 凛がマグカップを置いた。


 凛が聞いているのは、心配ではない。と、華は思う。心配ならもっと違う聞き方をする。凛の今の聞き方は、確認に近い。自分の妹が今日から刃物を持って走ることになる、という事実を、姉として一度、きちんと言葉にして確認しておきたい、そういう種類の確認。


 凛はそういう確認を、昔からする。


 華はヨーグルトを一口食べた。


「お姉ちゃん」


「なに」


「怖い?」


「何が」


「私が刃物持つの」


 凛が少しの間、マグカップを両手で包んでいた。


「怖くない。けど、変な感じはある」


「変な感じ」


「妹が刃物持って走るのを、普通の顔で送り出す朝」


「……」


「たぶん、慣れる」


「慣れるんだ」


「慣れる。職業上の家族は、そういうの早い」


 そういう姉の言い方が、華は少し好きだった。大げさな言葉で心配してくれる姉の方が、たぶん世間的にはドラマ的でいいのかもしれない。けれど、華の姉は、「妹が刃物を持つ」という事態に対して、一日で慣れるスキルを職業上獲得している、という形で処理する。その処理の仕方が、華にとっては安心する種類の乾き方だった。


 (りょう)がキッチンに入ってきた。


「おはよう」


「おはよう」


 華と凛の声が重なった。


 遼は冷蔵庫を開けて、牛乳を取り出して、グラスに注いで、飲んだ。飲み終わったら「いってきます」と言った。言い終わる頃にはもう玄関の方を向いていて、数秒後にはドアが閉まる音がした。


「……行った」と凛。


「うん」


「今日が華の初日だって、知ってるのかな」


「知ってる、と思う。たぶん」


「でも何も言わない」


「言わないのが遼」


「言わないのが遼」


 凛が繰り返した。それが朝の儀式のようになっていた。


 遼が言わないことに対して、凛が「言わないのが遼」と処理する。その処理の仕方が、華にとっては、いつもどこかで支えになっている。遼が何も言わないのではなく、遼は元々そう設計されている、と姉が公式に認定してくれている感じ。


 華は、ヨーグルトの最後の一口を食べた。


   


 マネージャーの田村(たむら)が七時半きっかりに迎えに来た。


 マンションのエントランスに出た瞬間、七月の湿気が全身に貼りついた。髪を結んできてよかった、と華は思う。結んでこなかった日は、後悔しか残らない季節になった。


「柊さん、おはようございます」


「おはようございます」


「衣装合わせの最終確認、現場で三十分取ってあります」


「はい」


「アクションのリハも一時間。本番は午後から」


「はい」


「……」


「……」


「いつも通りで」と田村は言った。「いつもの撮影と同じテンポで」


「はい」


 田村の「いつも通りで」という言葉が、今日はいつもより五パーセントくらい、柔らかい響きをしている、と華は感じた。感じたが、言わなかった。マネージャーが柔らかい声を出している時は、本人もいつも通りではない、という理由があるからだ。華がいつも通りにしている限り、田村もいつも通りに戻る。そこは田村の技術に任せる。


 ワゴンに乗り込んで、シートベルトを締める。


 車が動き出す。


 スマホを取り出して、SNSを軽くチェックした。事務所のアカウントが「本日クランクインです」と告知を出していた。引用リツイートが三百ほどついている。目を通そうとして、やめた。今日は、読まない方がいい情報が、無料で流れ込んでくる日だ。


 代わりに、LINEを開いた。


 水城(みずき)蒼真(そうま)からメッセージが来ていた。


 今日、よろしくお願いします。


 一行、だった。


 華は少しの間、その文字列を見た。


 見て、「こちらこそ、よろしくお願いします」と返した。スタンプはつけなかった。なぜつけなかったのか、自分でもよく分からない。つけるとしたら、よく使うウサギのスタンプが候補で、他に悩むほどの選択肢もない。でも今日はつけなかった。つけなかった自分を、後からもう一度、確認した。何か理由があるはずだと感じたが、分からないままにした。


 既読がすぐについた。


 メッセージは来なかった。


 華は少し、ほっとした。


 ほっとした自分を見ながら、何に対してほっとしているのだろう、と考えた。蒼真が追加のメッセージを送ってこないということは、今日の現場では共演者として振る舞う、という合図を送ってきている、ということだ。余計な会話を増やさない。撮影の外で感情を動かさない。その距離感を蒼真が保ってくれたことに、華は助けられている。


 今日はミナのことだけ考えたい。


 そのために、蒼真の方から距離を置いてくれているのが、ありがたかった。ありがたい、と思っている時点で、距離を詰められたら困る、と思っていることになる。つまり、華の中に「困る」成分が、少量ではあるが、確かにある、ということになる。


 でも、それは今日考えることではない、と華は決めた。


 今日はミナのことだけ考える。


 「ミナのことだけ」と自分に言い聞かせた時点で、それができていない、と華は分かっていた。でも言い聞かせた。言い聞かせることも含めて、撮影の準備だった。


   


 スタジオに入る。


 衣装部屋で、動きやすい黒い服に着替えた。上下とも黒。靴も黒のスニーカー。パンツの腰の後ろに、ナイフを差すシースが縫い付けられている。シースに、プロップのナイフを差す。差した瞬間に、背中側の重さが増した。重さは軽い。たぶん三百グラムもない。でも、質感としては、重かった。


 鏡を見た。


 鏡の中の女は、華の顔をしていた。当たり前だ。でも、華の顔をしているのに、華ではない。二十歳の女の顔に、華が普段しない種類の静けさが乗っている。目の中が、もう少し奥まって見える。普段の自分の目よりも、一センチくらい深いところに焦点がある感じの目。


 「ミナ」が入ってきている、と華は思った。


 入ってきてほしい、と自分でお願いしたわけではないのに、入ってきている。これは、以前の現場では経験していない感覚だった。葵の時は、もっと時間をかけてゆっくり入ってきた。ミナは、衣装を着た瞬間に、もう来ていた。


 着替えが早く決まりすぎて、少し時間が余った。


 華は控え室で、台本のコピーを一度だけ開いた。


 開いて、すぐに閉じた。


 今日は、台本を読まない方がいい気がした。読むと、頭の中で台詞が整理されてしまう。整理されたものを現場に持ち込むと、整理されすぎた演技になる。監督から「もう一度」と言われる回数が増える、という経験則が、華にはある。


 監督の椎名(しいな)拓郎(たくろう)は、現場で決めるタイプの人だと、事前のインタビューで聞いていた。準備しすぎると、むしろ邪魔になる、と。


 華は台本を膝に置いたまま、目を閉じた。


   


 アクション監督の三上(みかみ)克己(かつみ)が現れたのは九時だった。


「柊さん、よろしくお願いします」


「お願いします」


「今日、最初のカット、倉庫外壁の登攀(とうはん)シーンから行きます」


「はい」


「一人で動く、最初のシーンです」


「はい」


「……緊張してますか」


「少し」


「少し、が正しい量です」三上は笑った。「多すぎても少なすぎても、動きに出ます」


 三上の笑い方は、プロの笑い方に見える。笑うべき場面で、一ミリも遅れずに、一ミリもずれずに笑う。何度も繰り返してきた笑いだ。こういう人は、華を含めて、緊張している俳優を現場で数え切れないくらい見てきているのだと思う。見てきた上で、その人に合った適量の言葉を渡す。今日の華には、この量が適量だと三上は判断した、ということになる。


 撮影セットに移動した。


 東京湾岸のコンテナターミナルを再現した大規模なセットだった。倉庫用のスタジオいっぱいに、積み上げられたドライコンテナ。月光を模した冷たい照明が斜め上から差している。奥に、ガルバリウム鋼板のプレハブ事務所の外壁。高さ八メートル。壁の途中に、目立たない窪みとして仕込まれた監視カメラのダミー。


 設定上、ここは青海埠頭の第三区画。午前二時四十三分。気温十一度、湿度七十四パーセント。ミナはCAGEのチームの一員として、壁を登り、天窓の近くの排気口から屋内へ侵入する。音を立てずに。


 今日撮影するのは、その壁登りのシーン。ミナの能力を「説明せずに見せる」、映画の第一カットの候補でもある。派手な動きはない。派手な動きがないからこそ、ミナが訓練時代からの十数年を通して積み上げてきた身体の精度が、画面に出る必要がある。


 華はワイヤー安全装具の装着を終えていた。壁の下に立つ。


 壁は本物ではないが、本物のように冷たい塗料で仕上げられている。触れた時に温度差を感じられるように、という美術の配慮だった。


 照明が、月光の角度に調整された。


 スタッフが、持ち場につく。


 カメラマンが構える。


「一度、動いてみてもらえますか」と三上が言った。


 本番ではない。リハだ。


 華は、リハだと知っていた。知っていたが、身体の温度は本番のそれだった。


「お願いします」と華が言った。


   


 右手を壁に触れた。


 動き出したのは、そこからだった。


 正確には、動き出した記憶が、ない。


 動き出す、と思う前に、動いていた。頭の中で、三上と一ヶ月間なぞった動きの順序が、一瞬、点滅した。点滅した瞬間には、もう右手が次の持ち手を捉えていた。


 右手、左手、右足、左足。四点の接地点のうち、三点は壁に触れている。外された一点だけが、次の位置へ移る。


 毎秒一・一メートル。これが想定された速度だった。


 毎秒一・一メートルというのは、通常の成人の歩行速度とほぼ同じ。歩く速度で、垂直の壁を昇る。それが「ミナ」という存在の、一つの定義だった。


 壁の三メートル地点で、華は一瞬、動きを止めた。


 止めたのは、台本通り。監視カメラのダミーの位置で、壁面に沿った幅四十センチの「死角」を確認する演技。ミナはこの幅を外さない。外せば、映像に残る。


 華は、死角の帯を昇り切った。八メートル。台本上は七・二秒。


 ワイヤーの負荷は、ほぼ感じなかった。スタント部が丁寧に組んでくれた装具の、重さの配分が正確だった。


 天窓の縁に指が届いた。


 最後の動き。軒の外周を、右へ一メートル十五センチ横移動する。排気口のメッシュカバー。ビスが三本。台本では事前に一本外してある設定で、残り三本を専用工具で抜く演技。


 華は、工具を腰のポーチから取り出した。取り出す動作が、練習より〇・三秒ほど速かった。本人にも分かった。


 身体の中の「ミナ」が、今、動きを先回りしている。


 外したビスを、ポーチに収納する。落とせば音が出る、という設定が、身体の中に入っていた。


 メッシュカバーを外した。


 頭から中へ、滑り込んだ。


   


 華は、最後の動作を終えて、セットの天窓の向こう側、用意された足場の上で静止した。


 息が、予想より乱れていなかった。


 顔を上げた。


 下のモニターの前で、三上がマイクを手に持ったまま、少し止まっていた。


 スタッフの何人かが、顔を上げていた。照明のスタッフも、音声のスタッフも、撮影助手も。誰も喋っていなかった。


 静かだった。


 静かだということが、華には分かった。


   


 この静けさを、華は以前に一度だけ経験したことがある。


 去年の春、「春を告げる鐘」の撮影で、葵のラストシーンを撮った時。監督が「カット」と言った後、スタジオが数秒間、静止した。誰も動かなかった。音声の人が一番先に動いて、次に照明の人が動いて、それから他の人がゆっくり戻ってきた。あの時の静けさと、今日の静けさは、種類が似ていた。


 ただし、今日のそれは、リハで起きた。


 リハでこれが起きることは、たぶん、ない方が普通だ。


 華は、それを冷静に分析しようとしている自分に気づいた。気づいて、止めた。止めなければならなかった。分析する時間は、今日は、ない。


 三上がマイクを下ろした。


「もう一回、いきましょう。同じでいいです」


 「同じでいい」という指示は、「今のを上回れ」という指示ではない。「今のを保持してくれ」という指示である。監督や振付師が、俳優に対して「同じでいい」と言う時、それは最大限の肯定であり、同時に、最大限の要求でもある。同じは、一番難しい。


「はい」


 華は元の位置に戻った。


 二度目の動きは、一度目の動きを思い出しながらやるのではなく、一度目と切り離して、もう一度身体の中から呼び出す作業だった。思い出すと、動きが固くなる。切り離して呼び出す、というのは、不思議な言い方だが、それ以外に華が持っている言い方がなかった。


 二度目も、動けた。


 三度目も。


 四度目に、三上が「カメラ、回します」と言った。


 本番になった。


   


 本番のテイクは、三回で終わった。


 三回目が終わった時、椎名(しいな)拓郎(たくろう)監督がモニターの前で小さく頷いた。


「OK」


 スタジオの中の空気が、わずかに、ほどけた。


 ほどけたことが、また、華には分かった。


 ほどけるまでの間に、何か緊張の張りがあった、ということが、ほどけた後で分かった。自分が緊張していたのではない。スタッフの一人一人が、少し張っていた。その張りが、今、ほどけた。


 華はセットの端に戻って、水を一口飲んだ。


 ペットボトルの水は、冷たかった。冷たすぎて、喉が少し痛くなった。痛くなったことが、逆に、身体を現実に戻してくれた気がした。現実に戻らないと、次のシーンに入れない。次のシーンは、蒼真とのCAGEリビングのシーンだ。


   


 ここで、一時間の休憩が入った。


 華は控え室に戻った。ペットボトルの水を飲みきってから、ソファに座った。座った瞬間に、身体が重くなった。壁のシーンを撮っている間は感じなかった重さが、座った瞬間に全部降りてきた。


 スマホを見た。


 宮本(みやもと)奈々(なな)からLINEが来ていた。


 今日、少し後から行く。リュウのシーン、見たい。


 奈々は、今日の現場には出番がない。別の撮影との兼ね合いもあって、MINAにはスケジュールが合わなかった。それでも、「見たい」と言ってくれている。


 華は「ありがとうございます」と返した。返信として、それで足りていた。


 スマホを置いて、天井を見た。


 天井に、小さなシミがあった。


 茶色っぽいシミ。雨漏りの跡か、あるいは、前にここを使った誰かが残した、何か分からないもの。シミを見ているうちに、シミがだんだんと「ミナ」の目のように見えてきた。ミナの目は、作中で一度だけ、雨漏りの天井を見上げるシーンがある。そのシーンで、ミナは、仲間の一人が死んだことを、まだ知らないでいる。知らないまま、天井の染みを見ている。


 華はそのシーンの撮影日を、まだ確認していない。たぶん、今月の後半だ。


 今、そのシーンの準備が始まった気がした。


 始まった、と思ったと同時に、コーヒーを飲みたくなった。


 華は立ち上がって、控え室を出た。


   


 廊下のコーヒーサーバーの前に、蒼真が立っていた。


 華は、一瞬、止まりかけた。止まりかけて、止まらない方がいいと判断して、普通に歩いた。


「おはようございます」


「おはようございます」


 蒼真が振り向いた。手に紙コップを持っている。コーヒーが、まだ注がれていない状態の、空のコップ。


「壁のシーン、お疲れ様でした」


「……見てたんですか」


「見ていました」


「リュウ、まだ出番ないですよね」


「ないです。でも入り時間、早めたので」


 蒼真の入り時間は、華の聞いている範囲では、午後からだった。でも早めた、と言っている。早めたのは、たぶん、華の最初のシーンを見るためで、それを本人は言わない。言わないけれど、手の中のコップの持ち方と、言葉の選び方で、華には分かる。


「ありがとうございます」


「……いや、僕も、見ておきたくて」


「見て、どうでしたか」


 華は聞いた。


 聞いてから、自分がなぜその質問をしたのか、と考えた。聞く必要はなかった。休憩時間のコーヒーサーバーの前で、同じ現場の共演者と短く挨拶を交わすだけで済む会話に、「見てどうでしたか」という質問は、少し踏み込みすぎている。


 踏み込みすぎているが、聞いてしまった。


 蒼真は、コーヒーサーバーのボタンを押した。


 コーヒーがゆっくりと注がれ始めた。


 ボタンを押す動作と、答える動作が、分割されている。たぶんこの人は、すぐに答えが出ない質問を受けた時、こうやって何かの動作に意識を一度退避させて、その間に答えを整える、というタイプの人なんだろう、と華は思った。観察的に、そう思った。


「止まらない、と思いました」


「止まらない」


「一度、スタッフの誰かが『止めて』と言っても、たぶん止まらない」


「……」


「そういう動き方でした」


 華は何も言わなかった。


 言えなかった、と言う方が正確かもしれない。


 「止まらない」という蒼真の言い方は、褒め言葉ではない。褒め言葉ではないが、批判でもない。観察である。観察として、正確すぎる。一度動き始めた時の華が、自分では止められない方向に入っていたことを、蒼真は指摘していた。指摘されて、そうだ、と華は思った。


「怖かったですか」


 華は聞いた。


「怖い、とは違うかもしれません」


「じゃあ、何ですか」


「……これ、午後のシーンの感触の話になってしまうかもしれないんですが」


「どうぞ」


「午後、リュウとミナが二人で過ごすシーン、あるじゃないですか」


「CAGEのリビング」


「はい。スープのシーン」


「ええ」


「あのシーンで、リュウはミナに『笑ってみろ』と言う」


「はい」


「台本だと、淡々とした指導に見える。でも、リュウが本当にやってるのは、ミナを壊さないようにする作業だと思うんです」


「壊さないように」


「ミナは訓練で感情を消している。でもリュウは、ミナの中にまだ感情が残っていることを、たぶん、一番近くで見てる。残っている感情が消えきらないうちに、残る側に引き戻したい。そのために『笑ってみろ』と言ってる」


 蒼真がコーヒーを受け取った。紙コップを両手で包んだ。


「さっきの柊さんの壁のシーンを見て、それが、なんとなく、分かった気がして」


「……」


「午後、楽しみです」


 楽しみ、という言葉の使い方を、蒼真は、少し慎重に選んだ。そういう慎重さが、華には分かった。現場の共演者同士で「楽しみです」と言うのは、ちょっとした定型句でもある。けれど蒼真のそれは、定型句ではない種類の選ばれ方をしていた。


 華は、自分のコーヒーを注いだ。


 注ぎながら、「ミナ」が入ってきている身体の奥で、もう一人の何かが、さっきから目を覚まし始めている、という感触があった。その「もう一人」が誰なのかを、華は今日、言語化しない方がいい、と決めた。決めてから、決めたこと自体を忘れる努力をした。


「午後、よろしくお願いします」


「お願いします」


 二人とも、一礼して、廊下を別々の方向に歩いた。


   


 午後一時。


 CAGEのリビングのシーン。


 台本上、台詞のあるシーン。リュウとミナが二人でソファに座っている。ミナはスープを飲もうとしている。リュウが「笑ってみろ」と言う。ミナは一度、口の端を上げてみる。その後、短い会話。全体で三分ほど。


 MINA小説を読み込んできた華は、このシーンが作品の核の一つだと理解していた。リュウがミナに「笑い方」を教え続けてきた、その象徴的な場面。暗殺者として育てられた女が、人間らしい表情を、型としてではなく、残りとして、身体に戻していく過程。


 セットはCAGEの内部。リビングは、間接照明のみ。ソファ、低いテーブル、テレビ、四つの寝室へ続く廊下の入口。どこにも窓はない。ブラインドで塞がれた、もう一つの生活空間。


 華と蒼真が、ソファに座った。


 間隔、約四十センチ。台本の指定。


 台本には「近くもなく、遠くもない」と書いてあった。


 監督の椎名が、モニターの前でマイクを持っていた。


「柊さん、水城くん」


「はい」


「はい」


「このシーン、四十センチの距離が全部です」


「はい」


「二人の間にある何かを、観客は、この距離から読み取ります」


「はい」


「足したり、引いたりしないでください。ただ、四十センチの距離を、そこにあるものとして、受け入れてください」


「……はい」


 監督の指示は、短くて、正確だった。


 「足したり、引いたりしない」というのは、演技の用語としては、一見、受け身に聞こえる。けれど実際には、一番難しい指示のうちの一つだと華は知っている。四十センチを、演じるのではなく、ただそこに置く。置くために、俳優は役の時間を、撮影の外から持ち込んでいないといけない。


「はい」と華が答えた。


「はい」と蒼真が答えた。


   


 セットが、本番に入った。


 ミナは、ソファに腰を下ろし、カップのスープの蓋を開ける。湯気が立つ。この湯気は、小道具部がスモークで作った、温度を演出している煙。華はその湯気を、本物として扱う。


 リュウが、隣に座る。


「MINA」


 蒼真が声を出した。


 蒼真の「MINA」は、ほぼ無音に近い呼び方だった。呼んだというより、置いたに近い。


「うん」


 華の「うん」も、置いた。


「笑ってみろ」


 蒼真が、続けた。


 華は、スプーンを持ったまま、止まった。


 止まる、という台本指示があった。でも止まり方を、演技として構えなかった。ミナが、リュウに「笑ってみろ」と言われた時、身体がどう止まるか。その止まり方を、華は身体の中から呼び出した。呼び出したつもりが、呼び出したのか、出てきたのか、境目が曖昧だった。


「……どう、やるの」


 華の声が、予定より低く出た。


「口の端を、上げる」


「こう」


「少し」


「こう」


「……もう少し」


 華は、顔面の左右の口角を、非対称にならないよう、同時に一ミリずつ上に動かした。


 動かしながら、自分の顔の中にある筋肉の、普段使わない部分が、動き方を思い出していることに気づいた。気づいたが、気づいたことを、演技に反映させなかった。気づきの質感を、そのまま身体に残した。


「うん」


 蒼真が、短く返した。


「これが、笑顔」


「うん」


「……嬉しい感じは、しない」


「それは、後から、来る」


「後から」


「笑ってると、そのうち、来る」


「来なかったら」


「来るまで、やっていい」


 蒼真の声が、台本よりわずかに低かった。


 低くしろ、という指示はなかったはず。でも蒼真は低くした。低くした理由を、華は問い返さなかった。問い返す必要がなかった。低くしたこと自体が、このシーンの答えの一部になっていた。


 華は、スプーンに視線を落とした。


 落としたが、口角の位置は、そのまま残した。


 三秒。


 四秒。


 口角を上げたまま、華はスープを一口、飲んだ。


 スープは、本物だった。美術部がわざわざ温めて出したもの。喉の奥を熱い液体が通り抜けて、身体の内側に、一筋の温かい線が引かれた。


 その温かさが、ミナの中に「嬉しさ」の原型として、今、入った。


 入ったのは、華の方かもしれない。ミナの方かもしれない。分からなかった。


 「カット」と監督の声。


 セットの照明が、わずかに変化した。


 華は、スプーンをゆっくりとテーブルに戻した。


 戻してから、息を吐いた。


 自分が息を止めていたことに、吐いてから気づいた。


   


 モニターチェックに、二分ほどかかった。


 監督が「……うん、いい」と言った。


「もう一回、いきましょうか」と三上アクション監督。


「いや、これでいい」と椎名監督。「これ以上やると、崩れる」


 「崩れる」という言葉を、椎名監督は使った。


 華と蒼真が、少し目を見合わせた。監督が「崩れる」と判断したということは、今のテイクに、崩せない何かが映った、ということになる。一回で映ってしまう何かが、画面に残った。二回目でそれを再現しようとすると、一回目の精度から下がる、と監督が判断したわけだ。


 それは、俳優としては、嬉しい判断のはずだった。嬉しい、というより、安心する種類の判断。OKの判子の一形態。


 でも華は、素直に喜べなかった。


 喜べなかった理由を、自分の中で探した。探して、分かった。


 「崩せない何か」の中身が、自分では分かっていないから、だった。


 自分が何をしたのか、分からない。分からないまま、監督がOKを出した。それは、俳優にとって、嬉しいようで、少し怖い種類のできごとだった。


 華は、セットの端に戻って、水を飲んだ。


 さっき飲んだ水より、少しだけ、ぬるかった。


   


 撮影の終盤、スタジオの隅に宮本奈々が現れた。


 奈々は、スタッフに挨拶をしてから、モニターの裏の方に立って、腕を組んでいた。タバコを吸っていない奈々は、少し手持ち無沙汰に見える。でも、目は、ちゃんとモニターを見ていた。


 華が次のカットの準備をしている間、奈々がスタジオの外に出ていった。


 華は休憩時間に、奈々を廊下で探した。


 見つかった。スタジオの裏口の、喫煙所。タバコに火をつけていた。


「奈々さん」


「おう」


「見てました?」


「見てた」


「……どうでした」


 奈々が、タバコを一度、口から離した。


「止まらない、って思った」


 華は、小さく笑った。笑ってから、自分がなぜ笑ったかを考えた。


 同じ言葉だった。


 今日、二回、同じ言葉を聞いた。蒼真の「止まらない」と、奈々の「止まらない」。二人とも、違う場所から、同じ言葉を選んだ。


 偶然かもしれないし、偶然じゃないかもしれない。華はその判定を保留した。


「奈々さん」


「なに」


「止まらないって、どういう意味ですか」


「あんたが自分に聞いた方が早いと思う」


「聞いたけど、答えが出ない」


「だろうね」


 奈々が、煙を吐いた。


「ただ」と奈々は言った。「あんた、今日、いい顔してるよ」


「いい顔」


「うん。撮影の初日の顔じゃない」


「どんな顔ですか」


「分かったら面白くない」


 奈々の答え方は、いつもこうだった。


 華は、ありがとうございます、と言って、喫煙所を離れた。


   


 夕方、ラストカットが終わった。


 クランクインは、無事に終わった。


 スタッフに挨拶をして回って、楽屋に戻って、メイクを落として、着替えて、田村のワゴンに乗り込むまでの間、華はほぼ無言だった。田村も、それを察して、話しかけてこなかった。


 車が動き出してから、華は窓の外を見た。


 七月の夕方。空の色が、朝とは違う種類の白さをしている。湿気を含んだ白さ。


 シースに差していたプロップのナイフは、結局、今日は使わなかった。明日以降のシーンで使う予定で、衣装の一部として持っていただけだった。でも、腰の後ろに、まだ何かが差してあるような感覚が残っていた。ファントム、と呼ばれる現象だ、と三上に聞いたことがある。長く何かを身につけていた人が、外した後も、そこに何かあるように感じる。華は今日一日しか差していないのに、もうファントムが来ている。そういう身体だった。


 手のひらにも、別の感覚が残っていた。壁登りのシーンで、ずっと触れていた、冷たい塗料の壁の質感。あの冷たさが、まだ指先に残っている。


 身体が、すでに「ミナ」の感覚を、あちこちに持ち始めている。


 これは、たぶん、いいことだ。


 いいことだが、家に帰ったら、忘れないといけない、と華は思った。


 家には、普通の家族がいる。


 普通の家族の中に、ファントムのナイフを持ち込まない方がいい。


   


 マンションの玄関を開けた時、凛がソファで台本を読んでいた。遼はダイニングでノートパソコンを開いていた。テレビはついていない。キッチンから、味噌汁の匂いがした。


「ただいま」


「おかえり」


「おかえり」


 二人の声が、少しだけずれて、重なった。


 華はバッグを床に置いて、冷蔵庫に直行した。冷蔵庫を開けて、麦茶のボトルを取り出して、コップに注いだ。注いでから、飲んだ。飲み干した。


 遼が、ノートパソコンから顔を上げた。


「おかえり」


「二回目」


「……そうか」


 遼が、ノートパソコンに戻った。


 華は麦茶を、もう一杯、注いだ。


 二杯目を飲みながら、遼を横目で見た。いつも通りの遼だった。いつも通りに何も気にしていないように見える。


「遼」


「なに」


「今日、壁登った」


 遼の手が、キーボードから離れた。


「壁」


「八メートル」


「……ワイヤー?」


「ワイヤーはついてたけど、ほぼ自力」


 キーボードの手は、まだ戻らない。


「……そうか」


「うん」


「似合ってたか」


 華は、一瞬、答えに詰まった。


 詰まったのは、質問の質のせいだ。遼の質問は、「どうだった」ではなく、「似合ってたか」。その聞き方は、あまり現場を知らない家族が、撮影初日の妹に聞く質問としては、少しずれている。ずれているが、いかにも遼らしかった。


「……知らない」


「そうか」


 遼が、キーボードに戻った。


 華は、麦茶を飲み干した。


 知らない、というのは、本当だった。自分に似合っているかどうかを、華は今日、一度も考えなかった。考える暇がなかった。鏡の中のミナは、自分の顔をしていた。でも、似合うとか似合わないとかいう感覚の外側に、その顔はあった。


「お姉ちゃん」


「なに」


「壁登る女優が似合ってるって、褒め言葉?」


 凛が台本から顔を上げた。


「妹としては、褒めたくない」


「……だよね」


「でも、俳優としては、褒めたい気持ちもある」


「両方あるんだ」


「両方ある」


 凛が、ページを閉じた。


 閉じてから、華を見た。


「今日、どうだった」


「……分からない」


「分からない」


「なんか、分からないまま、終わった」


「それは、たぶん、いい現場」


「そうかな」


「そう」


 凛が立ち上がって、キッチンに入った。味噌汁を温め直す音がする。


 華は、ソファに崩れるように座った。


 座ってから、スマホを取り出した。


 LINEを開いた。


 蒼真から、もう一通、メッセージが来ていた。


 今日、お疲れ様でした。


 華は、しばらくその画面を見ていた。


 見てから、「お疲れ様でした」と返した。


 送信した。


 既読が、すぐについた。


 スマホを伏せて、クッションに顔を埋めた。顔を埋めたが、すぐに顔を上げた。呼吸が苦しかった。息の仕方を、今日、一日、少しだけ、変えていた気がする。身体が、まだ「ミナ」の呼吸の仕方を覚えていた。


 自分の普通の呼吸を、取り戻さないといけない。


 台所から、凛の声がした。


「華、ごはんにする?」


「する」


「遼も」


「食う」


 遼の返事は、いつも通りだった。


 華は立ち上がって、手を洗いに洗面所に向かった。


 鏡を見た。


 鏡の中に、華の顔があった。今度は、ちゃんと、華の顔だった。朝の鏡で見たあの静けさは、もう、顔から引いていた。


 引いていることが、少しだけ寂しかった。


 寂しい、と思ったことを、華は台所に戻るまでの間に、忘れることにした。忘れられなかったが、棚の奥の方にしまった。


   


 その夜、奈々は自宅にいた。


 ソファに座って、焼酎をロックで飲みながら、テレビを消したリビングで、天井を見ていた。


 MINAの現場から帰ってきてから、三時間ほど経っていた。帰ってきてすぐ、別の現場のスタッフとLINEのやり取りをして、台本を読んで、シャワーを浴びて、そうしてやっと、焼酎の栓を開けたところだった。


 蒼真から、LINEが来ていた。


 奈々さん、今日、ありがとうございました。


 奈々は返信を打ちかけて、やめた。


 打ちかけた文字は「どうした」の四文字。消した。


 代わりに「どうした」を、もう一度打った。消した。


 三度目に「どうしたの」と打って、送信した。


 蒼真からの返信は、少し遅かった。


 台本の外の話に、なってしまいました。


 奈々は、グラスを置いた。


 置いて、しばらく画面を見た。


 「台本の外」という言い方を、蒼真が自分から使ってきた、というのは、初めてだった。これまで奈々は、蒼真に向けて何度かその言葉を使ったことがある。でも、蒼真の側から言ってきたのは、今夜が初めて。


 奈々は、返信を打った。


 どっちの話。


 返信は、すぐに来た。


 ……両方かもしれません。


 奈々は、グラスを持ち直した。


 持ち直して、焼酎を、ゆっくり、一口飲んだ。


 両方、か、と思った。


 両方、というのは、つまり、リュウの話と、自分の話、ということだ。蒼真は、今日、現場で、リュウとして華と対面した。対面した時に、「両方」が混ざった、と言っている。混ざるのは、蒼真にとって、いいことと悪いことの両方だ。演技の深度としては、いい。でも、演者として、混ざりすぎると危ない。


 奈々は、返信を打った。


 混ざってるのは、今日はいい。でも、明日以降も混ざるなら、一度整理した方がいい。


 送信した。


 蒼真からの返信は、すぐには来なかった。


 来なくても、よかった。今夜の蒼真は、たぶん、整理している途中だ。整理が終わるまで、奈々は待てる。


 奈々は、テーブルのショートピースの箱を手に取った。


 一本出して、火をつけた。


 煙を吸い込んで、吐いた。


 吐いてから、少しだけ、口の端で笑った。


 (ポップコーン、買っとけばよかったな)


 誰にも聞こえない独り言を、奈々は、心の中で呟いた。今夜は、ポップコーンを食べながら見たい種類の夜だった。華のクランクインが終わって、蒼真が「両方」と言ってきた夜。本人たちが気づかないまま、二人の距離がまた一段縮んだ夜。観客席で、煙草を吸いながら、ポップコーンをつまんでいたい夜。


 そういう夜が、仕事をしているうちに、たまに巡ってくる。


 奈々は、次の煙を吐いた。


   


 同じ夜、防衛省のどこかの部屋。


 宮脇(みやわき)係長は、パソコンの前に座って、ニュース記事を一つ、ブラウザで開いていた。


 芸能サイトの記事。


 「柊華さん主演のアクション映画『MINA』、本日クランクイン」。


 宮脇はその記事を、一度、二度、読んだ。


 読んでから、自分のパソコンの、議事録フォルダを開いた。


 新しいファイルを作った。


 ファイル名を「関連情報ログ」と付けた。


 ファイルの先頭に、「二〇二X年七月XX日、柊華氏主演映画『MINA』クランクイン。共演に水城蒼真氏」と入力した。


 隣の席から、田所(たどころ)三佐が、自分の作業の手を止めて、こちらを見た。


「宮脇」


「はい」


「何を書いてる」


「関連情報の蓄積です」


「関連情報、って」


「はい」


「……なんで防衛省のパソコンに芸能情報が」


「網羅的な記録が職務ですので」


 田所は一度、口を開きかけた。


 開きかけて、閉じた。


 閉じてから、もう一度開けた。


「……宮脇」


「はい」


「なんで柊華さんの映画の情報を、あんたが」


「柊遼氏の関係者として」


「……そういう理由か」


「そういう理由です」


 田所は、ため息をついた。


 ため息をついてから、もう一度、自分の作業に戻った。戻ったが、三秒後に、また宮脇の方を見た。


「宮脇」


「はい」


「……その映画、見るのか」


「見ます」


「……公開したら」


「公開したら」


 田所は、今度こそ、自分の作業に戻った。


 宮脇は、パソコンに戻って、関連情報ログに、もう一行、追記した。


 「田所三佐、本作を鑑賞予定と発言」。

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