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姉と妹が国民的女優ですが、俺は機械をいじっていたい  作者: よんまるよん
第三部「守る人になりそうです」

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第47話「ソソ再び」

 翌朝、ニュースが来た。


 朝七時のワイドショーの冒頭で、「政府系インフラへの大規模サイバー攻撃、未遂に終わる」というテロップが出た。細かい情報はない。攻撃が来て、撃退された、以上、の扱いだった。司会者が「民間の技術専門家の協力があったそうで」と言い、コメンテーターが「ふうむ」と言い、別のコメンテーターが「民間というのが時代ですね」と言い、そのまま天気予報に移った。


 柊家のリビングでは、三人がそれをぼんやり見ていた。


 凛と華が遼を見た。


 遼はトーストをかじっていた。


「……さらっと流れたね」と凛。


「流れた」と遼。


「もう少しこう、盛り上がるかと思ってた」


「盛り上がられても困る」


「でも、おかしくない? 国が守られたんだよ?」


「守ったのが誰かは言っていない」


「言わないの?」


「言わないみたい」


 華がスマホを見た。


「Xでは「民間専門家って誰?」って盛り上がってる」


「見せないでほしい」


「あ、一人、当ててる人いる」


「誰」


「『TechVisionの社員じゃないか』って。でも別の人が『あそこは電子機器だろ』って反論してる」


「議論してくれていい」


「あとは『政府がフリーランスに頼むわけない』って意見がちょっと多い」


「そうか」


「遼、フリーランスじゃなくてTechVisionの社員だもんね」


「そう」


「でも政府の仕事もしてる」


「してる」


「そこがバレたら面倒じゃない?」


「バレなければ面倒じゃない」


「バレないの?」


「バレないように言わないらしい」


「役所が?」


「役所が」


「……役所、そういうとこ仕事できるんだ」


「できるらしい」


 凛がトーストの最後をかじって立った。


「でもまあ、遼の名前が出ないならそれでいいじゃない。今日は?」


「出社」


「仕事だった?」


「仕事」


「攻撃の後で」


「攻撃の後も仕事はある」


「……それはそう」


   


 TechVisionのオフィス。


 遼がエレベーターを降りた瞬間、フロアの空気が変だった。


 変、というのは正確ではない。フロアは普通の顔をしていた。ただし、普通の顔を「している」顔だった。みんな自分の机に向かって、普通に作業をしていた。通常なら誰かが「おはようございます」と言うが、今朝は言わない人が二人ほどいた。言った人も目を合わせなかった。


 遼は自分の机に着いた。


 パソコンを開いた。


 左隣の席の岩崎(いわさき)がゆっくりと首を回してこちらを見た。


「……柊さん」


「はい」


「……今朝、ニュース見ました?」


「見ました」


「サイバー攻撃の」


「見ました」


「民間の技術専門家が」


「見ました」


「……」


「何ですか」


「……いや」


 岩崎は首を戻した。モニターに向き直った。三秒後、また首をこちらに回した。


「……柊さん」


「はい」


「偶然、昨日、半休でしたよね」


「半休ではないです」


「半休じゃなかったですか」


「午後に戻ってません」


「それは半休では」


「直帰です」


「……それを半休と」


「……そうかもしれません」


「昨日、どちらに」


「市ヶ谷のあたりに」


「……」


「仕事で」


「……柊さん」


「はい」


「……いや、何でもないです」


 岩崎はモニターに戻った。戻ったふりをして、また首を回そうとしたが、今度は止まった。止まったまま、小刻みに首が動いた。何かを聞きたい気持ちと、聞いてはいけない気持ちがせめぎ合っているらしい。人間の首は、こういう葛藤を表現することができる。


 遼はそれを見ないふりをして、キーボードを叩き始めた。


 後ろを通った誰かが、ふと立ち止まった。


「柊さん」


「はい」


「おはようございます」


「おはようございます」


「あの」


「はい」


「……なんでもないです」


 歩き去っていった。


 三分後、別の人間が通った。


「柊さん、おはようございます」


「おはようございます」


「あの」


「はい」


「……失礼します」


 歩き去っていった。


 遼はキーボードを叩いた。


 これが一日続くのは困る、と思った。


   


 昼休み。


 部品在庫室で一人になろうとしたら、入った瞬間にロバートがいた。


 ロバートは棚の前に立って、抵抗のリールを見ていた。抵抗のリールを見る必要がロバートにあるとは思えなかった。


「Robert」


「Ryo」


「What are you doing here」

(何をしているんですか)


「……Checking inventory」

(在庫確認)


「Robert, you are CTO」

(CTOですよね)


「Yes」

(そう)


「CTO does not check inventory」

(CTOは在庫確認しません)


「Today, CTO checks inventory」

(今日はする)


「Why」

(なぜ)


 ロバートは抵抗のリールを棚に戻した。


「……Just wanted to talk to you, without others around」

(他の人間がいないところで話したかった)


「I see」

(そうですか)


「Last night」

(昨日の夜)


「……」


「David called」

(デイビッドから電話が)


「I heard」

(聞きました)


「He was laughing」

(笑っていました)


「……」


「For three seconds」

(三秒間)


「That long」

(長いですね)


「That long」

(長い)


 ロバートは一度、首を横に振った。


「Ryo」


「はい」


「You know your output today is being watched」

(今日のあなたの動きは見られていますよ)


「By whom」

(誰に)


「Everyone」

(全員)


「……」


「Please be normal」

(普通にしていてください)


「I am normal」

(普通です)


「That is the problem」

(それが問題なんです)


「……」


 ロバートが部屋を出ていった。


 遼は棚の前に残された。


 抵抗のリールがそこにある。整然と並んでいる。並んでいるが、ロバートが少しだけ位置をずらしたのが分かる。几帳面な人ほど、在庫確認のふりをしたときに微妙な痕跡を残す。


 遼は抵抗の位置を元に戻した。


 その時点でやっと、少し落ち着いた。


   


 夕方、スマホに福永(ふくなが)(そう)からLINEが来た。


「遼ちゃ〜〜〜ん!!! 今夜飲めない?!?!」


 感嘆符と疑問符が混ざっている。


「どうした」


「ニュース見た!!!」


「何のニュース」


「とぼけるなよ!!!」


「……」


「壮介も来る!! 遼ちゃん国守ったんでしょ!! 乾杯しないと!!」


「守ってない」


「守ったから!!」


「守ってない」


「守ったやつ!!」


 遼は三秒考えた。断る理由を探したが、出てこなかった。断ると、颯がもっと来る。颯が来るより、会った方が早い。


「どこ」


「いつもの!!!」


「分かった」


「いえーい!!!」


   


 颯と壮介は、小中の頃から二人セットで呼ばれていた。颯壮。ソウ・ソウ。縮めて、ソソ。誰が最初にそう呼んだかは覚えていない。気づいたら定着していた。本人たちも嫌がらなかった。中学の卒業文集で、颯が「ソソ、これからもよろしく」と書いていたのを遼は覚えている。ちなみに壮介は「颯、人間の名前を略称で書くな」と、律儀に反論文を寄せていた。


   


 上野(うえの)壮介(そうすけ)と颯が、先に店に来ていた。


 いつもの店、というのは、大学の最寄りの駅から徒歩三分の古い居酒屋のことだ。個室に三人で座る。颯が「遼ちゃ〜〜〜ん!!!」とすでに少し酔った声で出迎えた。


「早いな」


「一時間前から飲んでた!!」


「なんで」


「待ちきれなくて!!」


「なんで待ちきれない」


「遼ちゃんがニュースに出てるから!!」


「出てない」


「出てるよ!! 民間専門家!!」


「名前は出てない」


「そこだよ!!」


 壮介がジョッキを置いた。


「颯、落ち着け。俺から聞く」


「頼む」


「遼、確認させてくれ」


「はい」


「ニュースの民間専門家は、お前か」


 遼が、周りを一度見た。個室の扉は閉まっている。


「……否定も肯定もしない方がいいんだが」


「その答え方が答えだ」


「まあ」


「『まあ』とは」


「関係が、ある」


「どの程度」


「それなりに」


「『それなり』とは」


「ソコソコ」


「壮介」と颯。「出てきた言葉が全部曖昧!!」


「遼がいつものテンポで答えている」


「いつものテンポ!!」


「颯、声がでかい」と壮介が言った。「この話はトーンを落とせ」


「え、そうなの」


「そう」


「……分かった」と颯が声を落とした。でも三秒後には戻っている気がする。


 ビールが運ばれてきた。遼も頼んだ。乾杯した。颯の「いえーい!!」が響いた。個室で響くと耳が痛い。


「それで」と壮介が続けた。「何をした」


 遼が一瞬、個室の扉の向こうを気にした。扉の向こうでは誰かが別の会社の愚痴を言っている。誰もこちらを聞いていない。


「……これ、あんまり外で言う話ではないんだが」


「分かってる。俺と颯だ。俺は墓まで持っていくし、颯は明日覚えていない」


「覚えてるよ!!」と颯。


「壮介はラジオで話さないよな」


「話さない。こういう話は絶対に流さない」


「……分かった」


 遼は声を少しだけ落とした。


「少し、止めた」


「少し」


「少し」


「『少し』国を守る人間がいるか」


「大げさに言うのが嫌で」


「大げさもなにも、国だぞ」


「そう言われると、そうなんだが」


「そう言われないとそう思わないのか」


「……」


「遼、お前、自分で何をやったか分かってるか」


「攻撃を止めた」


「他には?」


「あと、ラーメンを食べた」


「……ラーメン?」


「カップラーメンを」


「今、この話にラーメンが出てくる理由が分からない」


「並行してたので」


「並行?」


「並行」


 颯が吹き出した。ビールが少し鼻から出た。颯はそれを手で拭いながら、目が赤くなり始めている。颯はこういうときにも泣く。泣く対象の幅が異常に広い人間である。


「やば……遼ちゃんやば……」


「なぜ泣きかけている」


「だって……国守りながら……ラーメン食べてたって……」


「なぜそれで泣く」


「感動しちゃって……」


「感動する要素がどこに」


「ラーメン食べながら国守ってる人間がこの地球に一人しかいないから……」


「いるかもしれない」


「いない!! いないよ遼ちゃん!!」


 壮介が「颯、いったん落ち着け」と言った。颯が「落ち着けない!! ラーメンだよ!!」と返す。壮介が「ラーメンから離れろ」と繰り返す。颯が「離れたくない!!」と叫ぶ。


 遼はビールを一口飲んだ。


 颯がふと思いついた顔をした。


「そういえばさ」


「なに」


「俺らさ、昔、ソソって呼ばれてたじゃん」


「呼ばれていた」


「あれ、曹操じゃん」


 遼は一瞬止まった。


「……曹操か」


「今気づいた?」


「気づいていなかった」


「十年以上気づかないって何」


「颯壮ってことしか考えていなかった」


「だから颯壮で曹操でしょ!!」


「繋がっていたのか」


「繋がってたよ!!」


 壮介がジョッキを置いた。


「……颯、今の指摘は鋭い」


「だろ!!」


「俺も気づいてなかった」


「壮介も!?」


「……呼ばれていたのは事実だが、中身の成立までは考えていなかった」


「じゃあ俺、今日、発見したんだ」


「発見というか、復元」


「復元!!」


 遼は缶を持ったまま、少し天井を見た。


「……で、曹操はラーメンを食べてたのかな」


「今の流れでそれを聞くか」


「流れで聞いた」


「曹操はラーメン食べない」と壮介が言った。


「食べてたかもしれないじゃん」


「ラーメンが中国に広まったのは曹操の死後だ」


「なんで知ってるの」


「ラジオで曹操特集やった」


「曹操のラジオ!?」


「去年の年末特番で」


「壮介マジ何やってんの」


「壮介は曹操をやる日がある」と遼が言った。「でも今はラーメンの話じゃない」


「そう!! 遼ちゃんだよ!!」と颯が戻ってきた。「で、他には? 他にもすごいことやってるんでしょ?」


「やってない」


「絶対やってる」


「やってない」


「目が泳いだ」


「泳いでない」


「泳いだ」


「……少し、前例を作った」


「前例!?」


「たくさん作った」


「どれくらい」


「三十七個」


 颯が一瞬止まって、またビールが鼻から出た。


「……三十七個ってなんの単位!?」


「前例の単位」


「前例に単位があるの!?」


「役所的には、ある」


「壮介、前例って数えるの?」


「数えない」と壮介。「でも、数えたことがある人間は、この国に三人くらいいる」


「だれ」


「例えば柊遼」


「残り二人は?」


「分からない。噂だ」


「壮介の噂どこから来るの?」


「ラジオ」


「ラジオそんな情報も流すの?」


「流さない。でも流れてくる」


 颯が目を拭きながら「ラジオは深い……」と言った。深いのかどうかは遼には分からなかった。


   


 ビールを一本空けた頃。


 颯が身を乗り出した。


「で、遼ちゃん」


「なに」


「彼女は」


 遼は一秒止まった。


「……なんで今その質問が来るんだ」


「話題変えたかった!!」


「話題変える必要ない」


「国の話ばっかりだと重いじゃん!!」


「お前が国の話にしていた」


「そう!! だから変えたい!!」


 壮介がジョッキを置いた。


「俺も気になる。前に会ったとき、アリアさんとかいう話が出ていたが」


「アリア」


「出ていなかったか」


「……少し出た」


「誰なの!?」と颯。


「仕事関係の人」


 二人が止まった。


 個室が、少しだけ静止した。


 颯が壮介を見た。


 壮介が颯を見た。


 二人とも、ビールに口をつけた。


 同時に、顔を背けた。


「(仕事関係……)」


「(仕事関係、ね……)」


 小声で言い合っている。遼には聞こえている。だが、あえて聞いていないふりをした。


「何を言ってる」


「何も言ってない!!」と颯。


「何も」と壮介。


「二人でそろって「仕事関係」とつぶやいていた」


「気のせい」と颯。


「気のせいだ」と壮介。


「そうか」


「そうだよ!!」


「そうだ」


 壮介が、一度だけ真顔で遼を見た。


「遼」


「なに」


「仕事関係というのは、本当か」


「本当だ。TechVisionのCEOの娘で、スタンフォードの院生で、仕事で関わることがある」


 颯が「CEOの……娘……」と繰り返した。「娘って……」


「娘」


「娘……」


「以上」


「娘って、普通の仕事関係じゃないでしょ!!」


「仕事で関わっている」


「いや、仕事関係は、仕事関係でいいとして、でも娘ってなんかもっと……」


「娘であっても仕事は仕事」


「遼ちゃん、それ、わかってないよ!!」


「何を」


「娘というファクトを!!」


「……」


 壮介が言った。


「颯、遼は、たぶん、その単語の持っている含みをそんなに受け取っていない」


「受け取って!!」


「受け取っても変わらない」


「変わらないのか」


「変わらない」と遼が言った。「仕事は仕事だ」


 颯が目を拭いた。


「……遼ちゃんさ」


「なに」


「国守りながら彼女作れないって、どういうキャラだよ」


「作っていないわけじゃない」


「じゃあ彼女いるの?」


「いない」


「ほら!!」


「あと、守ったわけじゃない。少し止めた」


「その「少し」もう聞き飽きた!!」


「曹操もびっくりだよ」と壮介が言った。


「曹操関係ないだろ」


「関係ある」


「どう関係ある」


「曹操も三人の女性に関わって後々困っている。複雑さに関して曹操はこの分野のパイオニアだ」


「パイオニア」


「パイオニア」


「……曹操の専門家なのか、お前は」


「専門家ではない。でも、年末特番のおかげで、他の歴史人物より曹操の方が多少詳しい」


「偏った専門性だな」


「ラジオはいつも偏る」


「偏ったまま正しいのか」


「正しいかは分からない。でも、偏ってる方が人は聞く」


 颯が「壮介のラジオ、遼ちゃんみたいな人ばっかり聞いてそう」とつぶやいた。壮介が「いや普通の人も聞く」と返す。颯が「普通の人は曹操の回とか聞くの?」と食い下がる。壮介が「聞く人は聞く」と答える。


   


 同じ頃、都内のスタジオ。


 (ひいらぎ)(はな)は、今日も台本を広げていた。


 相手は水城(みずき)蒼真(そうま)。場所は廊下の突き当たりの小さな待機スペース。ソファがあり、自販機が一台ある。二人でそこに座って、MINAの台本を広げている。


 今日も、気づいたら一時間以上経っていた。


「あの」と華が言った。


「はい」


「MINAがジンの死体を見つけるシーン」


「ここですね」


「ジンの指の下に、何か紙の切れ端がある、って書いてあって」


「最後に何か書こうとしてた、という設定らしいです」


「何を書こうとしたか、蒼真くんはどう思いますか」


「……MINAへの最後の一言、ですよね」


「うん」


「ジンは狙撃手で、無口で、言葉を信用しない人だったと思うんです」


「信用しない?」


「言葉より、距離と風速と弾道を信用する人」


「あー」


「そういう人が最後に言葉を残そうとした、って、相当なことじゃないですか」


「……そうだよね」


「だから、書ききれないまま死んだんだと思う」


「書ききれないまま」


「MINAに何を言うべきか、考えているうちに」


 華は台本を閉じた。閉じて、また開いた。


「蒼真くん、考えてるうちに間に合わない、って怖いよね」


「怖いです」


「言いたいこと、言えないまま終わる、ってこと、ある?」


 蒼真が少し止まった。


「……あります」


「どういうとき」


「相手が、言うタイミングを待ってくれないとき」


「うん」


「あるいは、自分が、待ちすぎるとき」


「待ちすぎる」


「俺、わりと、待ちます」


「何を」


「いいタイミングを」


「それで、来るの?」


「来ないこともあります」


「来なかったら?」


「……言わないまま終わります」


 華は台本の紙を指で押さえた。


「それは、ジンと同じだね」


「同じですね」


「書ききれないまま」


「はい」


 華が笑った。蒼真も少し笑った。でも笑った後、しばらく二人とも黙った。


 廊下の向こうから、足音が聞こえた。


 宮本(みやもと)奈々(なな)だ。


 また、奈々だ。


 奈々は何度も「通りがかる」。奈々の仕事の内容を考えれば、別の映画のこの現場の廊下を頻繁に通る理由はないはずなのに、通る。


「またお疲れ〜」


「またお疲れ様です」と二人。


 奈々は自販機の前に立って、缶コーヒーのボタンを押した。出てきた缶を手に取って、ソファから離れた。


「邪魔した」


「いえ」


「邪魔じゃないです」


「じゃあ、続けて」


 奈々は歩いていった。


 少し行ったところで立ち止まって、振り返った。


「ああ、そうだ」


「はい」


「私、ポップコーン買いに行くけど、要る?」


「ポップコーン?」と華。


「いや、なんでもない」


 奈々がまた歩き出した。独り言のように「ポップコーンでも食べながら見たい」とつぶやくのが、華と蒼真には聞こえなかった。聞こえなかったが、奈々の後ろ姿は満足そうだった。


   


 華は、その夜、マンションで凛に報告した。


「今日、台本相談を一時間十四分やった」


「……また台本相談」


「うん」


「毎日、やってる」


「うん」


「撮影中、毎日台本相談する俳優って、そんなにいないよ」


「……そうかな」


「そうだよ」


 華が冷蔵庫を開けた。


 プリンを取った。


 プリンのスプーンを持って、ソファに戻った。


「凛お姉ちゃん」


「なに」


「蒼真くん、「待つ」って言ってた」


「何を」


「いいタイミングを」


「……」


「でも、来ないこともある、って」


「……」


「それって、何の話だと思う?」


 凛がページをめくる手を止めた。


 しばらく止めたまま、華を見た。


「華」


「なに」


「その質問、私に聞くんだ」


「うん」


「……なんで私に聞くの」


「お姉ちゃんの方が、そういうの分かりそうだから」


「……」


 凛は少し考えて、それから言った。


「華、自分で考えなよ」


「考えるの?」


「考えた方がいい」


「えー」


「そのほうが、いい」


 凛がページに戻った。華はプリンを一口食べた。


   


 居酒屋。


 三人はすでに二軒目にいた。別の居酒屋の、別の個室。颯の「二軒目!!」という提案を止められなかった。


 颯がジョッキの中のビールを見た。目が赤い。泣いてはいない。泣いていないが、そろそろ泣く準備が整っている顔だ。


「遼ちゃん」


「なに」


「俺さ」


「うん」


「遼ちゃんのこと、誇りに思う」


「……」


「なんで何も言わないの」


「何を言えばいい」


「誇りに思われて、嬉しくないの」


「嬉しくないわけじゃないが、対応が分からない」


「対応!?」


「嬉しいとか、ありがとうとか、でいいんだが」


「じゃあそれ言って!!」


「……ありがとう」


「棒読み!!」


「棒読みでもいいだろ」


「温度!!」


「温度がない」


「ない!!」


 壮介が「颯、遼はいつもこうだ」と静かに挟んだ。颯が「分かってる、でも今夜はもう少し温度が欲しい」と食い下がる。壮介が「国は守ったが温度は上がらない」と追加する。遼が「守ってないが」と訂正する。壮介が「守った」と断言する。颯が「そうだよ守った!!」と叫ぶ。


「今日はもう諦めろ、颯」


「諦めない!!」


「諦めないで何するんだ」


「もっと飲む!!」


「それは解決ではない」


「解決しなくていい!!」


「じゃあ何がしたい」


「泣きたい!!」


「お前の泣く基準が分からない」


「分からなくていい!! 泣くから!!」


 颯がビールを飲んで、目を拭いた。拭いたときには、もう泣いていた。涙はビールで薄まっていた。


 遼は颯を眺めた。


 颯は小学校の頃からこういう人間だった。泣くタイミングが他の人とずれている。ずれているが、本物だ。本物だからこそ、遼は止めないようにしている。止めるところではない。


「颯」


「なに」


「落ち着いたら、何か食え」


「食う!!」


「食ってから泣け」


「……それ、逆じゃない」


「逆じゃない」


「泣いてから食う方が、多くない?」


「食ってから泣いた方が、ちゃんと泣ける」


「エネルギー補給ってこと?」


「そう」


「……合理的」


「うん」


「遼ちゃんは、泣くのにも合理性を求めるんだね」


「そうかもしれない」


「それがさ」


「なに」


「遼ちゃんっぽくて」


 颯がまた目を拭いた。拭きながら鳥のから揚げに手を伸ばした。食べた。もぐもぐ食べた。食べながらまた泣いた。涙が頬を伝って、から揚げの衣に落ちた。


「やば、塩辛くなった」


「泣きながら食うな」


「泣いてから食う方が逆じゃないってさっき言ったじゃん」


「食いながら泣くのは別の話だ」


「どっちも難しい」


「どっちも難しい」


   


 二軒目を出た後、壮介は「ラジオの打ち合わせがある」と言って先に帰った。颯は「もう一軒!!」と主張したが、ベンチに座ったら五秒で寝たので、遼がタクシーに乗せた。颯の家はここから近い。運転手に住所を伝えて、見送った。


 遼は、一人になった。


 駅まで歩いた。


 夜の街。金曜の夜。人は少なくない。多くもない。街灯が間隔を空けて並んでいる。


 遼は歩きながら、少し考えた。


 考えた、というより、今日一日のことが頭の中でまだ動いていた。岩崎の首の動き。ロバートの抵抗のリール。颯の泣き顔。壮介の「仕事関係」のつぶやき。


「……仕事関係、か」


 小さく言った。誰も聞いていなかった。


 アリアのことを「仕事関係」と言ったのは、嘘ではない。事実として仕事の関係はある。けれど、颯と壮介の「(仕事関係……)」の小声は、遼が「仕事関係」と言ったときに頭の中で省略したものを、二人は見逃していなかった、ということでもあった。


 省略したのかもしれない。


 省略しないで全部言うとどうなるか。


 スタンフォードの院生で、デイビッドの娘で、日本に来るたびに柊家のインターフォンを押して、連絡先を要求して、アメリカから技術的なLINEを送ってくる、TechVisionのCEOの娘で——ここまで並べて、遼は一度止まった。


 「仕事関係」は、情報量が少ない。少ないが、嘘ではない。


 嘘ではないものが、嘘に近くなる瞬間がある。


「……俺ってそんなに変か」


 小さく言った。


 言ってから、変だな、と思った。普段、こういうことは言わない。今日は颯に引きずられて、普段より少しだけ柔らかくなっているのかもしれない。


 電車に乗った。


 席は空いていた。座った。


 スマホを出した。


 詩織のトーク画面を開いた。


 昨日の「おやすみ」が、まだそこに残っている。返信していない。


「今日ソソと飲んだ」と打った。


 打ってから、少し止めた。


 送信した。


 すぐに既読がついた。詩織は起きていた。


「楽しかった?」


「まあ」


 既読。


「そっか」


 遼はその「そっか」を見た。


 詩織の「そっか」は、今日もいつもの「そっか」だった。短い。でも、何かが入っているような気もする。入っていないかもしれない。入っているかもしれないが、聞かない方がいい気がする。


「おやすみ」と遼が打った。


「おやすみ」と詩織が返した。


   


 詩織は自分の部屋で、スマホを持ったまま、少しの間、動かなかった。


 遼から「ソソと飲んだ」と来たとき、詩織は少しだけ安心した。理由は説明できないが、安心した。


 昨日のニュース。民間の技術専門家。詩織はそれが誰のことか分かっていた。分かっていたが、聞かなかった。聞かなかったから、事実として確定させなかった。確定させなかったから、詩織はいつも通りでいられた。


 そして今夜、遼は普通にLINEを送ってきた。


 「ソソと飲んだ」。


 国を守った翌日に、小中の友達と飲みに行く人間が、世の中にいる。いてくれて、よかった。ニュースの話も、攻撃の話も、しない。しないまま、普通のLINEが来る。そのことが、詩織にとっては救いだった。


 詩織はマグカップを持って、窓辺に立った。


 向かいのマンションの、斜めの位置の窓。


 遼の部屋。


 明かりが、ついていた。


   


 柊家。遼が帰ってきた時、凛は起きていた。リビングで台本を読んでいる。華はもう寝ている。


「おかえり」


「ただいま」


「飲んできた?」


「うん」


「颯くんと?」


「颯と壮介」


「元気だった?」


「元気だった」


「颯くん、泣いた?」


「泣いた」


「何で?」


「俺が国を守ったこと」


「……颯くん、相変わらずだね」


「相変わらず」


 凛がページをめくった。


「遼」


「なに」


「ちょっと聞いていい?」


「なに」


「颯くんと壮介くんって、遼のこと、どう言ってた?」


「どうって」


「あんたの仕事について」


 遼は少し考えた。


「……変、って言ってた」


「変?」


「俺が、変、って」


「……それはまあ、そうかもね」


「凛もそう思うのか」


「うん。でも、そういう変は、悪い変じゃないよ」


「悪くない変」


「悪くない変」


「そうか」


 凛が少し笑った。


「あんた、少し酔ってる?」


「少し」


「珍しい」


「珍しい」


「飲みな、水」


 凛がペットボトルを差し出した。遼は受け取って、一口飲んだ。


 部屋に戻った。


 ベッドに座った。


 スマホをもう一度見た。詩織とのトークは「おやすみ」で終わっている。アリアからは連絡がない。凛と華のグループトークには、今日の夕食のメニューについての華の苦情があった。


 普通の夜だった。


 普通の夜なのに、今日は少しだけ、普通じゃない感じがした。


「……俺ってそんなに変か」


 もう一度言った。


 誰も聞いていないと思ったら、ドアの向こうで凛の声がした。


「なんか独り言言ってた?」


「……言ってない」


「言ってたよ」


「言ってない」


「明日ヒマ?」


「多分ヒマ」


「母さんが来る」


「……いつ」


「明後日」


「急だな」


「母さんだから」


「そうか」


 遼は天井を見た。


 母が来る。母が来ると、今週の情報が全部、母のところに集まる。サイバー攻撃も、颯と壮介の飲みも、アリアのことも、詩織のことも、全部。全部集まって、母はそれを聞きながら、何も言わずに笑う。


 変だな、と遼はまた思った。


 ただし今回は、颯と壮介の意味ではなく、別の意味で変だ、と思った。


 電気を消した。

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― 新着の感想 ―
曹操と来ての遼とは上手いなあ
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