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姉と妹が国民的女優ですが、俺は機械をいじっていたい  作者: よんまるよん
第二部「世界が広がっている」

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SILENT AEGIS ──TechVision特殊部隊、東京作戦記録── 最終話「WHAT THEY DON'T KNOW」

 事件から、三日が経った。


 東京は変わらなかった。


 朝のラッシュは続いていて、コンビニは二十四時間開いていて、どこかで工事の音がしていて、昨日と同じ空が今日も頭の上にある。あの夜に工業地帯で何が起きたか、東京は知らない。知る必要もない。


 それが正しい。


   


 河野誠


 朝の九時、TGSアドバイザリー九階。


 夏目が珍しく先に来ていた。河野が入ると、コーヒーが机に置いてあった。


「内部監察、動いたらしいです」


 夏目が言った。挨拶より先だった。


「どこから入った」


「知り合いの知り合い経由で。正確な情報じゃないですが——岸谷に任意同行の要請が出たと」


 河野はコーヒーを持って、椅子に座った。


 任意同行。まだ逮捕ではない。でも——動いた。あの男が、ファイルを読んで、動いた。


「時間はかかる」と河野は言った。「でも、正しい方向に動いている」


「はい」


 夏目が自分のデスクに戻って、キーボードに向かった。


 河野もモニターを開いた。


 二人はそのまま、何も言わずに仕事を続けた。


 それが、二人のやり方だった。


   


 サラ・キム


 同じ日の午後、足立区の工業地帯。


 サラは一人で来ていた。


 理由は特にない。強いて言えば——確認したかった。


 ドローンを飛ばした。作戦で使ったものとは別の機体だ。小型の民生機で、上空百メートルまで上がれる。


 モニターに、倉庫の俯瞰映像が映った。


 がらんとしていた。


 シャッターが開いたままになっていた。内部は空だ。処理班が去った後、誰も来ていない。側面のドアの開口部には、作戦の夜に吹き飛んだ蝶番の破片が残っていた。


 サラはしばらく、その映像を見ていた。


 三日前、ここに三十一人いた。


 今は何もない。


 風が吹いて、シャッターが少し揺れた。それが全てだ。


 この仕事は、終わった後に何も残らない。証拠も、記録も、誰かの記憶にも残らない。残るのは、守られた人間の「普通の日常」だけだ。


 サラはドローンを回収した。


 車に乗り込んで、エンジンをかけた。


 バックミラーに、工業地帯の入口が映った。


 それを見て、前を向いた。


   


 鮎川翔


 自宅のアパート。


 鮎川は机の前に座って、スコープのレンズを拭いていた。


 作戦から帰ってきた夜、まず機材の手入れをした。それが習慣だ。SBU時代から変わらない。使った後は必ず、次に使うときのための準備をしてから終わりにする。


 レンズを拭き終わって、ケースに戻した。


 机の上に、薬莢が二発置いてある。


 .308 Winchesterの空薬莢。作戦で使ったものだ。一発は廃ビルの屋上、クルスを撃った弾。もう一発は路地の制圧——鮎川が別動隊のタイヤを狙撃したときのものだ。


 持って帰ってきた理由は、自分でもよく分からない。


 記念ではない。証拠でもない。ただ——「確かにそこにいた」という事実として、持っていたかった。


 鮎川は薬莢を手に取って、少し見てから、引き出しの中に入れた。


 窓の外は曇っていた。


 新潟の空を思い出した。田んぼの向こうの山の稜線。遠くまで見えた、あの空。


 今日の東京の空は、遠くまで見えない。


 でも——ここで仕事をしている。それでいい。


 鮎川は引き出しを閉めた。


   


 エリック・ソウザとジュリア・ファレオロ、マルクス・ヴォルフ


 TGSアドバイザリー四階。


 午後の事務所は静かだった。


 ジュリアが言った。


「マルクス、傷の確認させて」


「もう三日経った。治っている」


「確認させて」


 マルクスは諦めたように右手を差し出した。


 ジュリアが傷を確認した。


「ちゃんと塞がってる。消毒はもういらない」


「最初からそう言っている」


「言ったけど確認した。それでいい」


 エリックが横でコーヒーを飲みながら言った。


「マルクス、ジュリアには従った方がいい。彼女は正しいことしか言わない」


「お前も言ってる側か」


「事実を述べただけだ」


 マルクスが小さくため息をついた。


 ジュリアがポーチを閉じながら言った。


「終わり。次はないようにして」


「自分では気をつけている」


「気をつけていてもなるときはなる。だから確認する」


 また少しの間があった。


 エリックがヴィクターの部屋のドアを見た。閉まっている。


「ヴィクター、今日は静かだな」


「盆栽の日だ」とジュリアが言った。


「盆栽の日?」


「月に一度、全部の盆栽の様子を記録する日らしい。葉の数とか、枝の伸び具合とか、写真を撮って管理している」


「……どこで知った」


「前に一度、手伝ったから」


 エリックはその情報を少し消化してから、コーヒーを飲んだ。


「そういう人だったんだな」


「そういう人だ」


 マルクスが立ち上がって、自分のデスクに戻りながら言った。


「俺も盆栽、やってみようかな」


 エリックとジュリアが同時に振り返った。


「お前が?」


「何だ」


「いや」エリックが言った。「似合わないとは思わない。ただ——意外だった」


「人間は多面的だ」


 ジュリアが笑った。


「買ってあげようか。次の任務が終わったら」


「いらない。自分で選ぶ」


「そう」


 事務所にまた静けさが戻った。


 東京の午後の光が、窓から斜めに差し込んでいた。


   


 ヴィクター・ライ


 同じ日の夕方。


 ヴィクターは窓際の盆栽の前に立っていた。


 十七鉢。それぞれの状態をノートに書き込んでいく。葉の色、枝の伸び、土の状態。写真も撮る。これを月に一度やっている。始めたのは東京に来た最初の年だ。


 一番古い鉢——四年前から育てている真柏しんぱくを見た。


 幹が少し太くなっていた。四年前より、確かに。


 ゆっくりと育つ。急かしても意味がない。必要なものを必要な分だけ与えて、あとは待つ。それが盆栽の育て方だ。


 ヴィクターはノートに書き込みながら、この三日間のことを考えていた。


 三十一人の実行部隊。六名のECHO。死者が出た。ECHOには誰も死ななかった。


 作戦は成功した。柊凛と柊華は何も知らないまま、今日も仕事をしている。


 それが答えだ。


 でも——作戦が終わった後も、ヴィクターは死んだ人間のことを考える。考えないようにはしない。この仕事を十二年やっていて、考えないようにすることを、ヴィクターは選ばなかった。考えることが、人間であることの証拠だと思っているから。


 作戦の記録を残す。それも仕事だ。


 でも盆栽の記録もつける。それも同じくらい、ヴィクターにとっては大事な仕事だ。


 最後の鉢——一番小さなかえでに水をやりながら、ヴィクターは思った。


 また来年もここにいるだろうか。


 分からない。この仕事は、どこにでも飛ぶ。シンガポールかもしれない。ロンドンかもしれない。別の都市かもしれない。


 でも今日は東京にいる。この窓際に、十七鉢の盆栽がある。


 今日それで、十分だ。


   


 笠置文雄


 同じ頃、都内某所。


 笠置文雄は、弁護士事務所の応接室に座っていた。


 対面に、顧問弁護士がいる。三十年来の付き合いだ。その男が今日、珍しく表情を崩していた。


「笠置さん、これは——」


「わかっている」


「国税局と内部監察が同時に動いています。関連法人の口座が——」


「わかっていると言った」


 笠置は手を上げて、弁護士の言葉を止めた。


 窓の外を見た。


 東京の夕暮れ。橙色の光がビルの間に差し込んでいる。


 六十年、生きてきた。暴力団の下っ端から始まって、裏の世界で積み上げてきた。情報を売り、人間を動かし、恐怖で支配してきた。


 その全てが今、静かに崩れ始めていた。


 誰かが動いた。合法的に、丁寧に、徹底的に。証拠を当局に流した。自分の名前は一切出ない。でも効果は確実だ。


 笠置は分かっていた。これはTechVisionだ。


 あの会社の本当の輪郭が、笠置の目に初めて正確に見えた瞬間だった。


 表の顔は世界的IT企業。でも裏に、あれだけの力を持っている。


 Ouroborosが相手にすべき組織ではなかった。最初から、格が違った。


 笠置は弁護士に言った。


「できる限りのことをしてくれ」


「わかりました。ただ——」


「時間を稼いでくれればいい」


 弁護士が頷いた。


 笠置は窓の外を見続けた。


 表の世界での信用は、もう戻らない。裏の世界での影響力も、じわじわと失われていく。


 止められない。


 その一点だけが、確かだった。


   


 エピローグ:柊家のリビング


 同じ夜。


 柊家のリビングに、夕食の後の匂いが残っていた。


 凛がソファに寝転がっていた。仕事終わりの、完全にくつろいだ姿勢だ。


 華がキッチンから出てきて、凛の足を少し押しのけてソファに座った。


「ちょっと」


「狭い」


「お姉ちゃんが広がりすぎ」


 遼は机の前にいた。モニターに向かっている。キーボードの音がしている。


 凛が天井を見ながら言った。


「今日はなんか、普通だったな」


 華が振り返った。


「え、なんか特別なこと期待してたの」


「別に。ただ——」


 凛は少し間を置いた。


「普通の日って、いいなって。最近バタバタしてたから、余計そう思う」


 華が少し考えてから言った。


「それ、分かる気がする」


 華がクッションを抱えて、凛の横にもたれた。


「ご飯おいしかったね、今日」


「うん」


「また作ろう」


「遼が作ったやつは固かった」


「食べたくせに」


「固くても食べる。でも固かった事実は残る」


 遼がため息をついた。


 リビングにまた静けさが戻った。テレビはついていない。外から車の音がかすかに聞こえる。


 凛が天井を見ながら、もう一度言った。


「普通の日って、いいな」


 今度は誰も返事をしなかった。


 でも、返事がなくても分かる。華も、遼も、同じことを思っている。


   


 知らない、ということがある。


 三日前の夜、工業地帯で何かが起きた。三十一人の人間が動いて、六人の人間が動いて、いくつかの命が失われた。火薬の匂いと、金属が倒れる音と、暗い倉庫の中で閃光が走った夜があった。


 柊凛は知らない。

 柊華は知らない。

 柊遼も知らない。


 三人はその夜も普通に眠って、翌日も普通に仕事をして、今日も普通の夜を過ごしている。


 それが正しい。


 「普通の日」は、誰かが守ったから普通でいられる。でも守った人間は名乗らない。知らせない。それがこの仕事の全てだ。


 愛とは、知られないことの多さに比例する——そう言った人間がいた。


 この一連の出来事の中で、誰もその言葉を口にしない。


 でも、六人はその言葉通りに動いた。


 デイビッド・マクナマラが「No limits on resources」と言ったとき、守ろうとしていたのは資産としての柊凛ではなかった。「本物だ」と思った人間たちの、普通の生活だった。


 ヴィクター・ライが倉庫に入って「Done」と言ったとき、その言葉は誰にも届かなかった。


 届かなくていい。


 届かないことが、正しく終わったということの証拠だから。


   


 柊家のリビングに、夜が深まっていった。


 遼がまたキーボードを叩き始めた。


 華がソファで眠くなってきた。


 凛が「お風呂入ってくる」と言って、立ち上がった。


 何もない夜だった。


 何もないことが、幸せだった。





「見えない攻防戦 SILENT AEGIS ──TechVision特殊部隊、東京作戦記録──」 完結。


彼らの名前を知る人間は、ほとんどいない。

それでいい。

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