第6話 『2年生の終わりに――校舎裏の口づけ』
三月。
学年末試験が終わり、2年生としての生活が静かに終わろうとしていた。
春が近づくたび、神谷陽翔の心は不安定になる。
残された高校生活は、あと一年。
だけど、その一年も“誰にも知られてはいけない恋”の延長にすぎなかった。
(ずっと抑えてきた。
目が合うだけで、幸せだった。
でも、もう……触れたくて、たまらない)
そう思ってしまった自分に驚いたのは、陽翔自身だった。
放課後、校舎裏。
まだ少し冷たい風が吹くその場所に、陽翔は立っていた。
先生に呼び出されたわけじゃない。
ただ、偶然を装って――何度も、そこに立った。
それでも、今日に限って。
彼はどうしても、“偶然”では済ませたくなかった。
•
午後五時過ぎ。
夕暮れに赤く染まる空の下、
水城梓は静かに現れた。
「……陽翔くん、最近、ここでよく見かけるわね」
「先生が、来てくれるんじゃないかって……思ってました」
「……どうして?」
「2年生が終わるから、です。
なんとなく、今日が“節目”の気がして……最後に、先生に会いたかった」
梓は少しだけ息を飲むようにして、陽翔に近づく。
ふたりの距離は、あと少しで指先がふれそうなほど近かった。
けれど、何も言わなければ、そのまま通り過ぎてしまう気がした。
陽翔は、思わず問いかけた。
「先生。……本当に、俺のこと、何とも思ってないんですか?」
風の音が止んだ気がした。
「ずっと、目が合って。触れた手を、離せなくて。
でも、先生はいつも、“教師としての顔”で笑ってて。
俺だけが、想ってるんじゃないかって……苦しくなるんです」
梓は、その場で目を伏せたまま立ち尽くしていた。
そして――小さく、震える声で言った。
「……思ってるわ。
ずっと、ずっと……教師じゃなかったらって、何度も考えた」
それだけで、陽翔の胸が軋んだ。
彼女もまた、自分と同じ気持ちを隠していたのだと知ったから。
「でも、私は大人で、教師で……
あなたに触れることは、本当は許されないことなの。
それでも、私がここに来たのは――
あなたと同じで、今日だけは……会いたかったから」
陽翔は、もう躊躇しなかった。
目の前にいる彼女に、そっと手を伸ばし、指先にふれた。
彼女は、拒まなかった。
むしろ、その手を、そっと握り返してきた。
沈黙のまま――
陽翔は顔を近づけ、彼女の唇に、ほんの一瞬だけ、口づけを交わした。
とても静かで、触れるか触れないかのような、やさしいキスだった。
「……ごめんなさい」
梓の目に、かすかな涙が滲んでいた。
「でも、今日だけは、あなたを生徒じゃなくて見たかったの。
一人の男の子として……あなたの目に、私がどう映ってるかを、知りたかった」
「ずっと、世界で一番綺麗な人だと思ってました。
誰にも言えないけど、誰よりも好きです」
ふたりは、しばらく手をつないだまま、夕暮れを見上げた。
それは、罪に近い恋だった。
けれど、心が泣きそうなほど、あたたかかった。
•
その夜、陽翔は日記帳の最後のページにだけ、こっそり書いた。
「君と交わした初めてのキスは、音もなく、記憶に染みた」
それが、彼の2年生の最後の想い出だった。
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