第4話 『文化祭と秘密の視線――君の隣に、僕はいない』
秋風が、校庭に立てられた模擬店の旗を優しく揺らしていた。
2年生の文化祭――学園最大のイベントが、賑やかに幕を開ける。
神谷陽翔のクラスは「フォトスポット喫茶」を企画し、
彼は地味に裏方として、装飾や写真ブースの設営に回っていた。
周囲では制服にエプロン姿のクラスメイトたちが明るく声を張り、
階段にはカップルが並び、誰もが「青春の主役」だった。
(俺は、あの人の隣には立てない)
人混みに紛れながら、陽翔の目は自然と“彼女”を探していた。
水城梓――英語教師であり、文化祭では英語部と有志演劇の顧問として立ち回っていた。
白シャツにベージュのカーディガン、普段と変わらない落ち着いた服装。
けれど、舞台袖に立つその姿は、誰よりも輝いて見えた。
英語劇の演目は『ロミオとジュリエット』――
「禁じられた恋」を演じる生徒たちを、梓は誇らしげに見守っていた。
陽翔の胸が、締めつけられる。
(あの笑顔は、生徒みんなに向けたもので――
俺だけに向けられたものじゃない)
•
昼過ぎ、校舎裏の準備通路で。
陽翔は飲み物を買いに抜けた先で、偶然、彼女の姿を見つけた。
梓はひとりで缶コーヒーを持ち、静かに風を浴びていた。
近づくつもりはなかった。けれど、彼女が小さく口を開いた。
「……陽翔くん、こっちに来ても大丈夫よ」
その一言で、すべてが許される気がした。
誰にも見つからない裏通路――ふたりの仮の“教室”。
「文化祭、楽しい?」
「まあ……普通です。なんか、みんな恋人同士で回ってるし。
俺には、そういうの、ないから」
そう言うと、梓は笑った。
「私も、よ。教師だもの。そういうのとは、無縁」
「……でも、先生は今日、誰より綺麗だった。演劇の時も。
演じてるロミオとジュリエットより、ずっと、先生を見てました」
言葉にしてから、陽翔は自分の鼓動が早くなっていることに気づいた。
梓は数秒の沈黙のあと、缶コーヒーをゆっくり一口飲んだ。
「……その気持ち、心の中に閉じ込めておいてくれる?」
「はい。……卒業するまで。
でも、気づいてほしかった。俺がどこで見てるか、どんな気持ちで今日、いたか」
「――見つけてたわ。舞台の袖から。
陽翔くん、他の子たちよりずっと遠くから、まっすぐに私を見てた」
それだけで、陽翔の目に何かが滲んだ。
彼女は、それに気づいたように、小さな声で付け加える。
「文化祭って、騒がしくて華やかで……誰もが主役になれる気がするけど。
私は、誰か一人に静かに見つめられてる方が……ずっと嬉しい」
ふたりの視線が重なる。
ほんの一瞬、指がふれそうな距離にあった。
けれど、それ以上は近づかない。
•
再び人混みに戻ると、陽翔の中には確かな想いが残っていた。
自分は“主役”にはなれない。でも、彼女にだけは届いていた。
(俺は――“あの人の恋人”にはなれない。
でも、“先生と秘密の恋をしてる生徒”として、あと1年半、生きていける)
陽翔は、ふと立ち止まって、振り返った。
もう梓の姿は見えない。
けれど、確かにあの通路で――
彼女と“目を合わせた記憶”は、誰にも奪えなかった。
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