第二十九話 意思疎通
お前は人間か。こうした質問を、大抵の人間は喧嘩腰の煽り文句として使うのだろう。しかし、このフォリンという少女は違っていた。彼女は本心から、言葉通りの質問をしていたのだ。コーエン青年も副隊長も、それを察してはいる。しかし、副隊長は不審なものを見るような目で、黙ってフォリンを見つめていた。コーエン青年は戸惑いつつも、フォリンの問いかけに対して言葉を返そうとする。
「えーっと。それは何かな?君には俺達の姿がちゃんと見えてない、とか?」
「……もしかしたら、そう……なのかも……」
質問に質問が返ってきてしまったが、その可能性もあるのかと受け止めてしまったフォリン。おろおろと不安そうな表情を浮かべるコーエン青年の傍らで、副隊長は眉間に深い皺を刻んでいた。
暫く黙っていた副隊長だったが、痺れを切らしたのだろう、苛立ちを隠さない声音と共に口を開く。
「はっきりしろ、娘。お前自身は初めどう思ったのか、それを言え」
コーエン青年がまた、「副隊長」と訴えるような声を上げた。しかし、副隊長は意に介さず、フォリンから視線を外さない。尋問めいた口調にフォリンが怯んでいると、先程とよく似た金属の足音が近付いてきた。それと同時に、溜め息混じりの声が聞こえる。
「おっかねぇなぁ。何でそうなるかなぁ……」
声の主は、困り果てた顔をした男だった。彼の顔にはフォリンも見覚えがある。自分を奴隷商とやらから救い出してくれた人物だ。
そんな彼とはコーエン青年と副隊長も当然の如く面識があり、知った仲のようだ。コーエン青年は「ですよね」と相槌を打ち、副隊長の方はムッとしている。
「隊長、もっと言って!」
「やかましい!」
歩み寄ってきた隊長と呼ばれた男に、コーエン青年が余計な一言を加える。副隊長が声を荒げ、その様に隊長と呼ばれた救世主は苦笑した。彼は副隊長とフォリンの間に立つと、眉間に皺を寄せたままの彼女に声をかける。
「ま、これも得手不得手ってやつか。代わってくれるか」
その言葉に、女性は黙って頷き、後ろに数歩下がった。代わって、隊長と呼ばれた男性がフォリンの前に立つ。かなり恵まれた体格をした彼の頭は、フォリンのそれよりずっと高い位置にある。見上げても首が痛くなってしまうくらいだ。それに気を遣ってくれたのだろう。彼は視線を少女に合わせるべく、腰を折って顔を少し近付けた。そして、優しく笑ってみせる。
「色々あって、落ち着かないよな。上手く言えないこともあるだろう。けど、俺達は君の話を記録しておかないといけない。これはわかってくれるね?」
彼の言葉に、フォリンはしっかりと頷き返す。そんなフォリンへ、彼は「ご協力ありがとう」と礼を述べて、笑みを深くする。
「じゃあ。まず、君が言いたいことを思い浮かべてくれるかな?」
フォリンは素直にその言葉に従った。この指示に従うこと自体は、実の所容易だ。フォリンは自分が置かれた状況を理解できてはいないものの、自分の心の内は把握できている。
ぎゅ、と膝の上で無意識に握っていた拳。いつのまにか、男性はそちらへ視線を落としていた。
「手を少しだけ、貸してくれるかい」
意図は分からなかったが、言われるがままにすっと手を持ち上げる。疑いの感情は、不思議と湧かなかった。獣避けの腕環は純然たる飾りとして、フォリンの手首を彩っている。
「失礼するよ」
逞しい、大きな掌。それがフォリンの小さな手を包む。
――その瞬間、これまでにない感覚がフォリンを包み込んだ。
ぶわっと目の前が開けたような感覚。そこにあったはずの景色がかき消え、視覚を超越したかのような光景が目の前に――否、思考の中に広がっていた。唯一変わっていないのは、少女の手に触れている彼の姿のみだ。
今フォリンが認識しているモノは、その多くが視覚によるものではなく。形を持たないはずの、ヒトの思考そのものだった。
あっという間に、自分が言いたいと考えていたことが視覚化される。上手く言い表せない自分のこと。自分が抱いた疑問。感情。それらが全て、余すところなく顕現している。そしてそれは、目の前の男――ボルス・バイエンスも同じだった。先程、隊長と呼ばれていた男の名。フォリンは、その名を直接聞いてはいない。しかし、視覚化された思考を通してフォリンは彼の名を伝えられたのだ。
踊る情報は膨大だが、不思議とその内容を汲み取ることはできていた。広げられたボルスからの情報を拾い上げていく。自身の前方へと意識を戻すと、ボルスが少し驚いた顔をしていることに気が付いた。フォリンの視線を受け、彼は取り繕うように微笑んでみせる。
ボルスがフォリンから手を離すと、周囲の景色が元の視覚に頼ったものへと戻った。それはあっと言う間の出来事で、つい先程まで見ていた光景が夢か幻のように思えてしまう。
だが、やはりあれは紛れも無い現実だったのだろう。
「成る程、こりゃ口にし辛いな、フォリンちゃん」
声にして告げた覚えの無い自分の名。それを口にしたボルス・バイエンスという男の存在こそが、他でも無い"現実"の証明だった。




