第二十二話 立場
ベッドから半身を起こしたマルクは、表情暗く深い溜め息を吐く。
「身体が弱っていると、気まで弱くなる。……いけないな」
そんなマルクの横顔を、フォリンは黙って見つめることしかできなかった。何の力も持たない少女には、彼の悩みを解決することなど出来ないからだ。否、寧ろ、フォリンというこの少女こそが、その悩みの根底にあるのだ。
滅び行く人間に、未来ある種族の王とそれに親しい者が時と力を割いている。こうした現状が一部の杜人の反発を招いているのである。杜の王は杜人を第一に考えた政をすべき、と主張する杜人は老齢な者に特に多い。現王であるミリアをその座から追い落とし、杜人の在り方を"回帰"させる――そうした動きが俄かに活発化していると、先程オルガから告げられたのだ。
『妖精の暴走、王兄の負傷……昨夜のディアデムの件が知られれば、現王の立場は厳しくなります』
『……王兄、ね。こんな時だけ敬うか』
そう呟いた時のミリアはまるで苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべており、嫌悪の情を隠さなかった。
ミリアとオルガは暫く話しあったが、マルクと行動を共にしたいという彼女の希望は叶わなかった。マルクの傷が癒えるまでの時間は、どうやっても稼げないのだ。
『明日の朝、ミテラに帰還する。もう一晩だけディアデムにいさせて。夜になってまた妖精が暴れ出さないとも、限らないから』
明朝。それが、最大限の譲歩だった。これ以上遅くなれば、誤魔化しが効かなくなる。そんなオルガの訴えを受け、ミリアも断腸の想いで帰還を決めた。
二人の会話を見届けてから、フォリンはマルクの部屋へと足を踏み入れた。彼は階下の会話を把握していたらしく、フォリンが何も言わずとも全てを察してくれていた。
「私に出世欲の類は無いが……こういう時だけは、私にも権力があればと思うよ」
実際、マルクは出世欲が無いどころか、無欲な人物だった。環境のこともあるとはいえ、彼はあまり求めるということをしてこなかった。求めてはいけないと思っていたと言うべきかもしれない。
そんなマルクを前にして、フォリンは胸に当てた手を更に強く握っていた。穏やかな窓の外と違って、部屋の中は息苦しかった。
「……ごめんなさい」
絞り出すような、フォリンの言葉。それを聞いて、マルクははっと顔を上げる。
「どうした。何も、フォリンが謝ることはない」
「マルクさん達はそうでも……ミテラには、そう思わない人もいるんでしょう?」
その通りだった。マルクもミリアも、人間の存在を疎ましいなどと決して思っていない。だが、それはあくまでこの兄妹の考えであり、杜人の総意ではないのだ。こう言われてしまうと、マルクには否定ができなかった。彼は半ば泣きそうになりながら、フォリンへと手を伸ばす。
「フォリン……こっちへ」
マルクに招かれ、フォリンは床に膝をついた。フォリンの半身がベッドの上にかかった頃、彼女の身体はマルクに抱き締められていた。杜人の白い指が、人間の少女の髪を優しく梳く。
「私達こそ、すまない。子供の君に、こんなに気を使わせてしまった」
肉の薄い背が、鼓動とよく似た律動で柔らかく叩かれる。フォリンにとって、こうした行動はあまり馴染みがなかった。しかし不思議と心地良く感じられたそれに、フォリンは黙って身を委ねていた。
「こういう役目は……本当は。父母の役目なんだ」
父母。血の繋がった両親は、フォリンの記憶の中には存在しなかった。ある日唐突に王都に現れたフォリン。マルクも、ミリアも、人間達も、そして妖精も。誰も彼女の親を知らない。行方もわからない。故に、フォリンは父母の存在と彼らから注がれるべき愛情無くして育ったのだ。
かつての人間の営みを知るマルクは、こうした境遇のフォリンを常々気の毒に思っていた。彼ができる限りのことはしてやりたいと考え、立ち回ってきたものの。それが正しいのか、間違っているのかもよくわからなかった。唯一確かなのは、"この程度"では決して足りないだろうということだけだ。
「私達のような者が親代わりを務めるしかなくて。……すまないな、フォリン」
そう力無く呟くマルクの背へ、フォリンもまた腕を伸ばす。そして、無言で抱きしめ返した。フォリンは何も言えず、ただただ首を横に振るのみだった。




