■ 第五話 スケルトンシスター、戦闘修道女を絶句させる
カッカッカ。吾輩は一羽のカラスである。森の中に、悲鳴が響き渡った。
「きゃああああっ! お待ちになってぇぇぇ!」
エレノアは必死だった。その後ろを、魔剣レイピアを手にした
修道女ヴィルメが追いかける。
「待て、アンデッド! 逃げるな!」
「む、無理ですわぁ! わたくし、何もしておりませんのにぃ!」
カカカ。吾輩は木の枝に止まり、二人の追いかけっこを見物していた。
なんとも騒がしい森である。
先ほどまで小動物を追いかけて喜んでいたスケルトンシスターが、
今度は本物の狩人に追い回されているのだ。
因果応報という言葉が、吾輩の頭をよぎった。いや、少々違うか。
「きゃっ!」
エレノアの足が木の根に引っかかった。そのまま前につんのめり、
勢いよく尻餅をつく。
「いたた……骨が、骨がぁ……」
骨に痛覚があるのかどうか。吾輩には、さっぱり分からぬ。
「これで終わりだ!」
ヴィルメが地を蹴った。
魔剣レイピアが淡い光を帯びる。鋭い切っ先が、逃げ場を失った
エレノアへと振り下ろされた。 ガシンッ! 森に、硬い金属音が響いた。
「え?」エレノアが目を丸くする。
「え?」ヴィルメも目を丸くした。
そして吾輩は。「えええぇぇぇっ?!」
思わず、羽を逆立てた。
なんと!エレノアの奴、魔剣レイピアを素手で掴みおった!
刃を、である!普通なら手が切れる。いや、相手は骨なのだから、
切れるという表現もおかしいかもしれぬが、とにかく無事では済まぬはずだ。
ところが、どうだ。彼女の白い骨の両の手は、剣をがっちりと握り締めていた。
「なっ……! ぬ、抜けん!」ヴィルメが剣を引く。
しかし、抜けない。もう一度引く。やはり、抜けない。
「な、なんという力だ……!」
当のエレノアは、剣を握ったまま震えていた。
「お・ね・が・い……」
「な、何だ?」
「わ、わだぐじは……家に、家に帰りたい……だけなんですぅ……」
声が、だんだん小さくなっていく。 そして。
「うわああああん!」
泣き出した。
カカカカカ!流石のヴィルメも、こんなアンデッドは見たことがなかろう。
何しろ、魔剣を止める怪力を持ちながら、泣いているのである。
吾輩だって見たことがない!
「え……なに? 何なの、このリッチ……」
ヴィルメの表情に、初めて戸惑いが浮かんだ。
その時だった。エレノアの身を包んでいた修道着が、ふわりと揺らいだ。
布地の輪郭がぼやける。黒と白の衣装が、淡い光の粒となって薄れていく。
そして、みるみるうちに消えてしまった。
「きゃああああっ! 見ないでぇぇぇ!」
エレノアは慌てて魔剣を放し、その場にうずくまった。
そこに残されたのは、立派な修道女の衣装でも、麗しい貴婦人の姿でもない。
ただの白い骸骨であった。
カカカ……!いや、笑っている場合ではないのだが。
あれを目の前で見せられては、流石の戦闘修道女も戦意を失おうというもの。
吾輩も、正直なところ冷や冷やしていたのだ。
ヴィルメはしばらく固まっていたが、やがて小さく息を吐いた。
チンッ。魔剣を鞘に収める。
「……お前、いったい何者なんだ?」
エレノアは、うずくまったまま、そろそろと顔を向けた。
「わ、わたくしは……エレノアと申しますわ」
「エレノア……?」
「あ、あの……お話を聞いてくださいませんか?」
ヴィルメは片手で額を押さえた。
「……あー、分かった。聞いてやる。話してみろ」
その言葉を聞いた途端。エレノアは、ぱっと立ち上がった。
すると、どうしたことか。
先ほど消えたはずの修道着が、再び彼女の身を包んでいた。
「ありがとうございますわ!」
「な、なんなんだ、お前……本当に変わった奴だな……」
カカカ。まったくもって同感である。
エレノアは、ここに至るまでの出来事を、たどたどしくも一生懸命に話し始めた。
廃墟の聖堂で目覚めたこと。自分が骨になっていたこと。
故郷へ帰ろうと思ったものの、肝心の場所を思い出せないこと。
そして、ようやく街を見つけたのに、門番に追い払われてしまったこと。
ヴィルメは腕を組み、黙って聞いていた。
時折、眉間に皺を寄せる。無理もあるまい。
吾輩でさえ、いまだに話の全容を理解できているとは言い難いのだから。
やがて、ヴィルメは深く息を吐いた。
「……大体の事情は分かった。詳しい話は聖堂で聞こうじゃないか」
「本当ですの?」
エレノアの声が、ぱっと明るくなった。
「でも、わたくし、街の門から入れなかったのですが……」
「心配するな。私たち修道女が使う裏門があるのさ」
「まあ!」
エレノアは、両手を胸の前で合わせた。
「ありがとうございます。」
カカカ。ようやく希望が見えてきたではないか。つい先ほどまで、
魔剣に追い回されて泣き叫んでいたとは思えぬ立ち直りの早さである。
「私はヴィルメだ。付いてきな」
「ヴィルメ様……素敵なお名前ですわね」
「……そうか」
ヴィルメは、ほんのわずかに目をそらした。どうやら、調子が狂っているらしい。
そのまま歩き出そうとしたところで、エレノアがふと立ち止まった。
「あの、ヴィルメ様。少々お待ちになって」
「ん? どうした?」
「腕から血が出ておりますわ」
「これか。森の中を走り回ったせいだろう。木の枝で切っただけさ。
大した傷じゃない」
エレノアは腕の、ジワリと血の滴る切り傷を。じっと見つめてた。
そして何を思ったのか、スッと。白い骨の手を差し出した。
「なっ、エレノア?」
「ヴィルメ様、じっとしていてくださいまし」
「お、おい。何をするつもりだ?」
エレノアの手が、傷口へとかざされる。次の瞬間。
淡い光が、彼女の掌からこぼれ出した。
柔らかな光はヴィルメの腕を包み込み、傷口へと吸い込まれていく。
深くは無いが長い傷が、見る間に塞がっていった。
血が止まり、裂けた皮膚が元通りになっていく。
数秒後。そこには、傷跡すら残っていなかった。
「こ、これは……!」
ヴィルメの目が大きく見開かれた。
「聖魔法の……癒しの光!」
彼女は、信じられないものを見るように、エレノアの手と自分の腕を
交互に見つめた。聖魔法。生命を癒やし、邪悪なるものを退ける、神聖な力。
それを使う者は、教会においても限られている。
ましてや、目の前にいるのは骨だけの身体を持つアンデッドなのだ。
「エレノア……」
ヴィルメは、慎重に問いかけた。
「何故、お前が聖魔法を使える?」
「え?」
エレノアは首を傾げた。
「分かりませんわ」
「……分からない?」
「はい。何故か、こうして差し上げたいと思いましたの」
そして、にっこりと微笑むように、金色の瞳を細めた。
「ふふ」
…………。
カカカ。吾輩は、枝の上で黙り込んだ。
先ほど魔剣を素手で止めたことも、十分に理解不能であった。
しかし、今のは別格である。アンデッドが聖魔法を使う。しかも、傷を癒やす。
吾輩の魔眼は、エレノアの身に宿る奇妙な魔力を、以前から感じ取っていた。
だが、その正体までは分からぬ。この娘は、いったい何者なのだろうか。
そして、ヴィルメもまた、同じ疑問を抱いているに違いない。
森の木々の間を、二人の修道女が歩き始めた。
一人は、数々の魔物を討ってきた戦闘修道女。
もう一人は、自分が何者なのかさえ分からない、泣き虫なスケルトンシスター。
この出会いが、聖堂にどのような騒ぎをもたらすのか。
今の吾輩には、まだ知る由もない。
カカカ。どうやら、退屈な日々とは、しばらくお別れになりそうである。




